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BASS的ひとりごっつ。

ふと思ったことを、そこはかとなく書く忘備録。(コメントは承認制です。ご了承ください。)皆様のお役に立てれば幸いです。

『僕がジョンと呼ばれるまで』劇場予告編

2014年01月12日 | 僕のお仕事。
『僕がジョンと呼ばれるまで』劇場予告編


ときどき、仕事にまつわる映画を見る事があります。
この映画はまだ見ていないけれど、
是非見てみたい映画だなあ~と思います。

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コミュニケーション障害があると、昔よりも大変。

2013年10月30日 | 僕のお仕事。
昔は第一次産業(自然界に働きかける産業。農業、林業、漁業、鉱業など)、
第二次産業(材料を加工する産業。製造業、建設業、電気・ガス業など)が多かったけれど、
現代社会は7割以上が第三次産業(サービス業)になっているといわれている。

そのため、自然と第三次産業従事者(サービス業)が増えるわけで
コミュニケーションに障害がある人たちにが働くには厳しいわけです。
(コミュ障だけど、1次・2次産業につけずに、
 三次産業=サービス業につかざるを得ない人が増えてしまう。)

なかなか生きづらい世の中ですが
就労支援もOTの仕事の一環なので
そういった状況の動向に常々感心を持っています。
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『いち』か『しち』か。

2013年08月14日 | 僕のお仕事。
利用者さんは
昔砲兵をしていたため、
耳が遠くなってしまいました。

そのため、電話で用件を聞き取るのにすごく苦労するそうです。
特に数字の「いち」と「しち」がききとれず
(お坊さんが1時に来るのか、7時に来るのかききとれず)
この間も大変だったそうな。

砲兵では伝え間違いを防ぐため
「1=いち」、「7=なな」と読んだそうな。
というのも、1と7を聞き間違えて着弾場所を計算すると
砲弾がとんでもない所に飛んでいくそうな。

そんなところも、
「へえ~!」と思ったので
自分も利用者さんに伝える時には
数字の読み方を気をつけようと思いました。
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食べ物が無かった話を聞きました。

2013年08月11日 | 僕のお仕事。
戦時中、農家をしていた方の思い出話。

小樽から江別まで国鉄の線路を歩いてやってきた人が居たそうな。
農家までやってきて、「子供に食べさせるものがないのです」と。

かわいそうだから・・・とその人は、
馬に食べさせる飼料用のかぼちゃの中身をくりぬいて
その中に大豆をつめて持たせたそうな。

なぜ中身をくりぬいて持たせたかと言うと
闇市で手に入れたものだと間違われて没収されるといけないから・・・と言う配慮のようです。

にしてもだ、60kmの距離を歩いてやってくるって
どんだけ食べ物に困ってるの?
どんだけ子供が飢えてるの?

戦争しなければ
食べ物なんて捨てるくらいに余るわけだし
(生ごみの約40%は食べ残しらしいですhttp://www.gov-online.go.jp/useful/article/201303/4.html)
食べ物も満足に食べられない世の中は嫌だなあ。

今日も美味しいご飯を食べられたのも
戦争がないおかげだなあ。

戦争が起こって
泊まり原発とか標的にされた日にはどうしようもないなあ。

そんなことを考えさせられるお話でした。
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耳元を銃弾が掠める音。

2013年08月09日 | 僕のお仕事。
利用者さんから聞いたのですが
「ひゅん!」っていうそうです。

本当に顔の近くを掠めたら
空気を切り裂く音がするようです。
そして、その音を聞くたびに
「まだ、当たってないな」なんて思うそうです。

上官が突撃と言えば
どんなに分が悪くても
行かざるを得ないわけで。

軍隊のお偉いさんは
「兵隊はいくらでもいるからいいんだ」と言う考えだったとのこと。

逆に武器や兵器の方が数に限りがあるから
大切にしなくてはならないと言う風潮だったと
戦争に行っていた利用者さんから聞きました。

そんな考えで
人数を上回る中国の要塞都市を落とすために
毎回、相手以上の犠牲を払っていたと教えてくれました。

こういう90代の方からの話を聞いて思うのは・・・
戦争って、本当に悲惨だなあと。


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原爆投下直後の広島のお話を聞きました。

2013年08月08日 | 僕のお仕事。
その人は軍人で終戦を中国で向かえ、
中国では敗戦国(日本)の兵士という事で
中国の人民から身を守るためにアメリカ軍が護衛してくれて
九州の港まで届けられたそうな。

そんななか、北海道に帰るために
電車に乗って広島を通過したとの事。

ただただ焼け野原で、原爆にやられたであろう列車などが
そのまま残っていたのこと。

その当時は100年草木が生えない
新型爆弾が投下されたと言う話を聞いていたとのことです。

戦時下ではバンドなんてできないだろうし
花火なんて見れないだろうし
戦争なんて何があってもしちゃ駄目だなあと思いました。

仕事は色んな思いを
僕に抱かせてくれます。
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にんじんが嫌いなにんじん農家。

2013年05月22日 | 僕のお仕事。
魚が嫌いな寿司職人。

作ったにんじんが美味しいと褒められたり
握った寿司が美味い!と褒められたりしても・・・
「はあ、そうですか。そんなもの食べるなんて・・・」って感じのことを
御二人方はおっしゃっていました。

そこから感じたことは・・・
世の中って
理屈で割り切れないことを
どう受け入れるかだと思ったり。
へんに焦って答えを出すから
おかしなことになるのです。

そういう人が居るなんて
この仕事をする機会がなければ
知らなかっただろうな~。
勉強になります。
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リハビリとしての散歩。

2013年05月10日 | 僕のお仕事。
リハビリと称して
利用者さんと外を散歩しています。

足元に目をやると
色んな花が咲き始めています。

散歩だって一人よりも二人の方がいい。
綺麗な景色を見て、
それを共有できる人が一緒にいるほうが良い。

まあ、現実的な側面として
僕が日中ぶらぶら花なんてみながら歩いていたら
職務質問されそうだしね。

なので、散歩と称して利用者さんと
施設の周りをぶらぶらしたいと思います。
花に『待ってました!』と言いながら。

一本じゃなくて二本。
一本で咲くのもいいけれど
よければ一緒にと、
仲良く咲いているんだろうな。

生命力いっぱいに咲いている花。
今をしっかりと生きているんだなあと感心させられます。
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遠くに行ってしまったOタワラさん。

2013年05月03日 | 僕のお仕事。
Oタワラさん、明治生まれの男性で
いろんなお話を聞かせてくれたなあ。

鹿児島で生まれ育ち
桜島を見ながら毎日生活し、
小学校には天皇陛下を祭るお宮があったり
遠くの山には霧島神宮があったと。

台風なんかが良く来たけれど
今とは違って天気予報もないから
大洪水にあったり家が飛ばされたりしたなんてことも言っていたなあ。

それからおばに農作業を手伝うように言われて呼ばれて北海道は
雨竜町あたりにきたとのこと。

冬場の寒さは厳しいけれど
軍手をはめてスコップをもったりして作業していたと。

冬あいだ、暖をとるためのマキは
1年前にすでに用意して乾燥させておくとの事。
そして、そのまきを取りに行くのは2月ごろの冬の最中だったとの事。

なぜ冬にまきを取りに行くかというと
大地一面が雪と凍りに覆われて
切り倒した大木を畑の上だろうがどこだろうが
馬で引っ張って家まで帰ることができたのと
冬の間は木の葉が落ちて引っ張りやすかったんだそうな。
そういうのを集落の人たちと協力して作業したそうな。


戦争で小笠原諸島のほうへ派遣されたことも
興味深い話だったなあ。

一歩ちがえば、東南アジアや硫黄島に言っていたかもしれないので
戦友のように死んでいたかもしれないと言っていたなあ。

派遣された島ではほとんど敵機も来ず
信管の爆破タイミングをセットして砲弾を打ち上げても
日本の高射砲では高度が高い敵機には玉が届かないこと。
一度だけ打ち落としたことがあってけれど
すぐに仲間の飛行機が救助に来たって。
それをさらに狙おうとしたら
「打つな」と上官に止められてうたなかったこと。

その高射砲の砲弾が重くて、
もてない兵隊(散髪屋さんで徴兵)がいて
かわいそうだからいつも持ってあげていたとか。

そこでは道端にバナナがなっていて良く食べたこと。
食糧確保のために畑仕事をやらされるけれど
それが月交代で一貫した作業ができないので
その月ごとの兵隊が作物を盗んで食べてしまうために
全然作物が育たないこと(野菜を芽のうちに食べちゃうんだって!)

食料はそれなりに豊富にあってお酒もあった。
それを上等兵は飲むことができていたけれど
Oタワラさんは下戸なので全くお酒を飲むことはできず
お酒の見張り番をさせられていた(お酒飲めないから盗まないだろう!)とのこと。

戦争が終わって東京に行くと
戦争から帰ってきた兵隊がお酒を飲んだり賭博したりして
生活がすさんでいる人が多かったみたいで
「こんなんじゃ駄目だ」と思って、
また北海道にきて
農家を始めたとの事。その後、
しばらく稲作農家を雨竜周辺で行ってから田んぼを親戚に売り払って・・・
僕はOタワラさんに、作業療法士と利用者さんという立場で出会いました。

「友達も、親戚も、もうみんな死んじゃって居ないんです。
90歳くらいまでは、何人かは、まだ居ったんですが。
そりゃあ、100才を超えればそうですな、うわっはっは!」と笑っていた
人なつっこい坊主頭にメガネをかけたOタワラさんの声が
今でも耳に聞こえてくるのです。

立場上、リハビリを一緒にしていたわけだけれど・・・僕の中ではちがうんだな。
僕が人生というものをOタワラさんに教えてもらっていたんだ。

Oたわらさん、ありがとう。
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気持ちは嬉しいです・・・

2013年03月29日 | 僕のお仕事。
だがしかし、なぜタフマンを僕にくれるの?
そんなに疲れているように見えるのかな?

なんて、実際に疲れていることが多いので
それもしようがないのかななんて思ったり。

う~ん、でも、栄養ドリンク飲んで
リハビリの仕事をしているひとから
リハビリを受けたいとも思えない気もするんだが
いかに・・・。

それでも、みなさんに愛されていると思うと
それはそれで嬉しいものです。
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働いていない人の手は、こんな感じです。

2013年03月16日 | 僕のお仕事。
よく言われるんです。
「あんたの手は働いていない人の手だね~。
 農作業していたらこんな手にはならないよ」と農家さんに。

そんな時、僕は言います。
「そうなんです!
 働いている振りさえすればいいんです~。」と。

でも、自分の手を見て思うのです。
本当に年をとったなと。

JBを聞きながら思うのです。
余命は何年だろうか?
神のみぞ知る?かな。

農作業はしないから
これからもずっと言い続けられるんだろうな。。。
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看護師に呼ばれ行って見ると・・・

2013年03月07日 | 僕のお仕事。
『利用者さんが骨折しているかどうか診てほしい!』と。

打撲部位は胸部。
こけて胸をぶつけたらしい。
触診していると・・・
鎖骨を圧迫している時に
強度の痛みが出現し、やや骨がずれている印象。

「左鎖骨骨折の疑いがあります。Drに診せてください」と看護師に伝えて
結果、受診することとなりました。

残念な事に、やはり鎖骨骨折でした。
しかし、原因は、一体なんだろう・・・。

写真は森彦のグラス。
こんな風に透明に見えないから
骨折かどうかはレントゲンでないと
確定的にはわからないのです。
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『優しいね』って言われます。

2013年01月31日 | 僕のお仕事。
担当もしていないお客さんから
「優しいね」っていわれることが多いです。
いわく、話しかたから感じるらしいのです。
(確かにそういわれることは多いです。)

僕自身から良い印象を受け取ってくれる人も居たら
そうでない人も居るわけで、そういう人からは・・・
「あの人は感じよくない人だから 
 あの人のリハビリなんて受けても何の効果もない」・・・
なんて人格否定から始まり、仕事も否定してくるでしょう。

そういうものも、全て反面教師として・・・
僕のことをどう思う人が居ようと
僕は僕のすべきことを、していこう。
そう思うのです。


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仕事初日から、今年の抱負が砕かれそう・・・。

2013年01月03日 | 僕のお仕事。
今日から仕事だったのです。
そして、今年こそは体重の適正化を実現させるため
(現在71kg!6kg増です!)
『余計なお菓子は食べないぞ!』と決めていたのに・・・
利用者さんがくれるわくれるわ、お菓子!

いや、ほんとにありがたいんだけれど
僕のおなかがちょ~やばい出具合なので
これぐらいで勘弁してください・・・なんていいながら
お菓子が美味しくて困ります・・・。

そしてだ、バンドメンバーまでお菓子をくれるの!
しかも、さっき。

うれしい悲鳴です。
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千羽鶴を折って気がついたこと。

2012年12月28日 | 僕のお仕事。
千羽鶴を折っていて
気がついたことがあります。

それは、折ることが祈りであること。

それを誰かに届けた時に
千羽鶴の意味がなされるのではなく
一羽一羽おっている時、
さらにいうなら、
折り目をつけていく時に
折っている人の心が浄化されていくのです。

で、折った鶴を標本に持たせてみたら
これが意外に似合っていた件。
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