10月15日、新宿文化センター公演。
インペリアルバレエ芸術監督、ゲジミナス・タランダの演出力により、光藍社公演の中では、公演のカラー、コンセプトのはっきりした、集中して楽しめる公演になっていた。前半からかっとばして、魅せてくれる公演で興奮したが。時間の都合でラストの演目「シェヘラザード」について、とりあえず書いておく。
「シェヘラザード」
音楽:N.リムスキー=コルサコフ
振付:M.フォーキン
美術・衣装デザイン:L.バクスト
キャスト
王妃(王の愛妾)ゾベイダ:スヴェトラーナ・ザハロワ
金の奴隷(ゾベイダの浮気相手)ファルフ・ルジマトフ
シャリアール王:ゲジミナス・タランダ
他インペリアル・ロシア・バレエ団
アラビアンナイトの中の話らしい。タイトルのシェヘラザードは出てこない。
この話は、前も同じような企画で、ゾベイダをマハリナで金の奴隷をルジマトフ、王を同じタランダで見ている。その時は、タランダの愛の表現の強さ以外は、スターが定番の演技をした「普通」の絵巻物だった。
ところが今回の舞台は違った。
ザハロワの解釈?タランダの演出が変わった?
詳しくは調べてはいないが。
ドラマが、ずっと細やかになって面白くなっていた。
以前のマハリナ・ルジマトフのは、水戸黄門みたいに、定まった「お話」をただ楽しむものだった。今回のザハロワの演技はずっと構築的で「考えさせる」ないようになっていた。
あら筋はハーレムの王の留守に愛妾(王妃)が金の奴隷と浮気をし、それが王にバレて奴隷もろとも王に切り殺される、(厳密に言うと王の弟が王妃の不貞に気づき、ハメたらしい)そんな内容だった。
いや、数年前に見たマハリナ・ルジマトフ、インペリアルバレエの「シェヘラザード」では、ゾベイダと金の奴隷が饗宴して盛り上がってると、突然王がそこへなだれ込んできて、あっけなく奴隷は切り殺され、記憶違いかもしれないがゾベイダも王にあっさり切り殺されていた、というのが私の記憶だ。
(今回、最後にゾベイダは自害している。前回も自害だったとしても、ずっと印象が薄かった。)
なんといっても、ラストの修羅場シーン、見せる事見せる事。前回よりずっと長く引っ張ったことは間違いない。前半のシャリアール王の芝居も、作品の意味を考えて前回より細かい設定を見せていたと思う。
インペリアルバレエ団は、前回と大幅にメンバーが入れ替わった。
このバレエ団は、ハーレムの雰囲気を出すのが秀逸だ。アラビアの王の後宮の女たちの、しどけない雰囲気を、どのバレエ団より映画より、自然に、こんなにリアルでいいのかな~と思うくらい女たちが妾っぽさを出していた。絶えず緩やかに蠢くアームス。半分寝そべった感じ。愛妾たち特有の目線。
そんな中に王宮の第1花たる、ザハロワのゾベイダが登場する。
彼女は他の女たちとどこか違う。しどけないしぐさの中にも、官能性とは別の、囲われた女の倦怠感のような、どこか酔ってはいない様子を覗かせる。
タランダ扮する王が、彼女にネックレスを与える。
少し嬉しそうに媚態を見せて受け取るゾベイダ。
タランダはいかにも絶対者たる王が「与えて」いる感じを見せる。ゾベイダと王は、当然ながら対等な存在ではない。
そして王は、他の寵姫たち(パンフ上は女奴隷)にも、ほとんど同じようにネックレスを与える。彼の表情は権力者らしくクールだ。
愛は、それぞれに分け与えられる。首飾りと同じように。他の寵姫たちはそれをあたりまえのように受け取る。
ゾベイダだけが少し違う気がする。
彼女は現状に満足していないのだ。金の奴隷と愛欲の饗宴に没入していくのはそのために見えた。金の奴隷と会うために、賄賂として見張り役に高価なネックレス(王の贈り物)を惜しげもなくくれてやるしぐさのそっけなさ。「こんなもの!」と投げ捨てているようにさえ見えた。
最後まで見て、ザハロワのゾベイダが何がほしいのかが、わかった。
他の女たちと同じものなど、いらない。
他の女たちにも分け与える愛など、いらない。
私だけを愛してほしい。
私だけを愛してくれる人が、欲しい。
みだらな大饗宴のさなか、突然王が帰還し、ゾベイダの不貞が明らかになる。
奴隷は断罪されるが、ゾベイダは一瞬、お得意の可憐な媚態を見せて王にとりすがる。
「ごめんなさい、あなた。私寂しかったのよ」かな?
「本当はあなたに私だけを愛して欲しかったの」かな?
或いはただの謝罪?ザハロワが何を思って芝居したかしらないが、この媚態で王を軟化させることは可能であるかに思われた。
ところが・・・。
一瞬のすきをついてゾベイダは一転して鋭い目を見せて、どうやら王の懐中の短刀を取った、らしい。(見損ねました。あの短刀どこからとったのか)
王を刺す気だったのか?
あっけなく王にかわされ、王はその刃をゾベイダの方へ向けさせた。
王が切り殺すのではなく、王はゾベイダに自害を促すのだ。このあたりから、タランダはとても怖かった。
追い詰められたゾベイダは、絶対者の王に逆らうこともできず短剣を腹に付き立て、自害する。
それまで無表情に近く思われた王の全身から、ゾベイダへの愛と悲しみがここでにじみ出た。
王妃ゾベイダは、本当は真実の愛を求めていたのではあるまいか、とは私がザハロワの表現を見て思ったことだから、彼女の解釈と同じかどうかはわからない。
(それとも金の奴隷に操をたてていたのだろうか?)或いは王を憎み解放を望んでいただけなのかもしれないが。
タランダはほとんど動かず、表情もあまり動かさず、権力者そのものに見えた。
王にとって、愛をわけあたえるのも、女たちが自分とは対等でないのも、きっとあたりまえのこと。この王は王妃よりずっと年齢を重ねていて複雑な人物のように見えた。若い王妃に愛だけを求められても、それは無理なのかも。絶対者に服従する女しか必要としていないと思える。自分の望む女のままで、愛を注げる寵姫が、彼の立場には合うだろうと思える、そんな男性だった。
王も、王妃も、それぞれに孤独だった。
そして、すれ違いながら、孤独な心で愛を求めていたのではあるまいか?と。
ラストの王妃の死の前から、なぜか涙が出た。
タランダもザハロワも、それぞれの愛の世界をもっているから、こういう表現が可能になったのだと思う。
ルジマトフは丁寧な踊りに、いつもの官能性でザハロワの身体を包む踊りだった。スターの貫禄をみせつけたが、内容的には、物語の真の主人公はザハロワとタランダの王に思えた。
シェヘラザードで泣くなんて。
ただ水戸黄門のように予定調和の舞台を見せる、スター性で押す舞台よりも、こういう脳髄を刺激するような舞台を見たいと、いつも思っている。
インペリアルバレエ芸術監督、ゲジミナス・タランダの演出力により、光藍社公演の中では、公演のカラー、コンセプトのはっきりした、集中して楽しめる公演になっていた。前半からかっとばして、魅せてくれる公演で興奮したが。時間の都合でラストの演目「シェヘラザード」について、とりあえず書いておく。
「シェヘラザード」
音楽:N.リムスキー=コルサコフ
振付:M.フォーキン
美術・衣装デザイン:L.バクスト
キャスト
王妃(王の愛妾)ゾベイダ:スヴェトラーナ・ザハロワ
金の奴隷(ゾベイダの浮気相手)ファルフ・ルジマトフ
シャリアール王:ゲジミナス・タランダ
他インペリアル・ロシア・バレエ団
アラビアンナイトの中の話らしい。タイトルのシェヘラザードは出てこない。
この話は、前も同じような企画で、ゾベイダをマハリナで金の奴隷をルジマトフ、王を同じタランダで見ている。その時は、タランダの愛の表現の強さ以外は、スターが定番の演技をした「普通」の絵巻物だった。
ところが今回の舞台は違った。
ザハロワの解釈?タランダの演出が変わった?
詳しくは調べてはいないが。
ドラマが、ずっと細やかになって面白くなっていた。
以前のマハリナ・ルジマトフのは、水戸黄門みたいに、定まった「お話」をただ楽しむものだった。今回のザハロワの演技はずっと構築的で「考えさせる」ないようになっていた。
あら筋はハーレムの王の留守に愛妾(王妃)が金の奴隷と浮気をし、それが王にバレて奴隷もろとも王に切り殺される、(厳密に言うと王の弟が王妃の不貞に気づき、ハメたらしい)そんな内容だった。
いや、数年前に見たマハリナ・ルジマトフ、インペリアルバレエの「シェヘラザード」では、ゾベイダと金の奴隷が饗宴して盛り上がってると、突然王がそこへなだれ込んできて、あっけなく奴隷は切り殺され、記憶違いかもしれないがゾベイダも王にあっさり切り殺されていた、というのが私の記憶だ。
(今回、最後にゾベイダは自害している。前回も自害だったとしても、ずっと印象が薄かった。)
なんといっても、ラストの修羅場シーン、見せる事見せる事。前回よりずっと長く引っ張ったことは間違いない。前半のシャリアール王の芝居も、作品の意味を考えて前回より細かい設定を見せていたと思う。
インペリアルバレエ団は、前回と大幅にメンバーが入れ替わった。
このバレエ団は、ハーレムの雰囲気を出すのが秀逸だ。アラビアの王の後宮の女たちの、しどけない雰囲気を、どのバレエ団より映画より、自然に、こんなにリアルでいいのかな~と思うくらい女たちが妾っぽさを出していた。絶えず緩やかに蠢くアームス。半分寝そべった感じ。愛妾たち特有の目線。
そんな中に王宮の第1花たる、ザハロワのゾベイダが登場する。
彼女は他の女たちとどこか違う。しどけないしぐさの中にも、官能性とは別の、囲われた女の倦怠感のような、どこか酔ってはいない様子を覗かせる。
タランダ扮する王が、彼女にネックレスを与える。
少し嬉しそうに媚態を見せて受け取るゾベイダ。
タランダはいかにも絶対者たる王が「与えて」いる感じを見せる。ゾベイダと王は、当然ながら対等な存在ではない。
そして王は、他の寵姫たち(パンフ上は女奴隷)にも、ほとんど同じようにネックレスを与える。彼の表情は権力者らしくクールだ。
愛は、それぞれに分け与えられる。首飾りと同じように。他の寵姫たちはそれをあたりまえのように受け取る。
ゾベイダだけが少し違う気がする。
彼女は現状に満足していないのだ。金の奴隷と愛欲の饗宴に没入していくのはそのために見えた。金の奴隷と会うために、賄賂として見張り役に高価なネックレス(王の贈り物)を惜しげもなくくれてやるしぐさのそっけなさ。「こんなもの!」と投げ捨てているようにさえ見えた。
最後まで見て、ザハロワのゾベイダが何がほしいのかが、わかった。
他の女たちと同じものなど、いらない。
他の女たちにも分け与える愛など、いらない。
私だけを愛してほしい。
私だけを愛してくれる人が、欲しい。
みだらな大饗宴のさなか、突然王が帰還し、ゾベイダの不貞が明らかになる。
奴隷は断罪されるが、ゾベイダは一瞬、お得意の可憐な媚態を見せて王にとりすがる。
「ごめんなさい、あなた。私寂しかったのよ」かな?
「本当はあなたに私だけを愛して欲しかったの」かな?
或いはただの謝罪?ザハロワが何を思って芝居したかしらないが、この媚態で王を軟化させることは可能であるかに思われた。
ところが・・・。
一瞬のすきをついてゾベイダは一転して鋭い目を見せて、どうやら王の懐中の短刀を取った、らしい。(見損ねました。あの短刀どこからとったのか)
王を刺す気だったのか?
あっけなく王にかわされ、王はその刃をゾベイダの方へ向けさせた。
王が切り殺すのではなく、王はゾベイダに自害を促すのだ。このあたりから、タランダはとても怖かった。
追い詰められたゾベイダは、絶対者の王に逆らうこともできず短剣を腹に付き立て、自害する。
それまで無表情に近く思われた王の全身から、ゾベイダへの愛と悲しみがここでにじみ出た。
王妃ゾベイダは、本当は真実の愛を求めていたのではあるまいか、とは私がザハロワの表現を見て思ったことだから、彼女の解釈と同じかどうかはわからない。
(それとも金の奴隷に操をたてていたのだろうか?)或いは王を憎み解放を望んでいただけなのかもしれないが。
タランダはほとんど動かず、表情もあまり動かさず、権力者そのものに見えた。
王にとって、愛をわけあたえるのも、女たちが自分とは対等でないのも、きっとあたりまえのこと。この王は王妃よりずっと年齢を重ねていて複雑な人物のように見えた。若い王妃に愛だけを求められても、それは無理なのかも。絶対者に服従する女しか必要としていないと思える。自分の望む女のままで、愛を注げる寵姫が、彼の立場には合うだろうと思える、そんな男性だった。
王も、王妃も、それぞれに孤独だった。
そして、すれ違いながら、孤独な心で愛を求めていたのではあるまいか?と。
ラストの王妃の死の前から、なぜか涙が出た。
タランダもザハロワも、それぞれの愛の世界をもっているから、こういう表現が可能になったのだと思う。
ルジマトフは丁寧な踊りに、いつもの官能性でザハロワの身体を包む踊りだった。スターの貫禄をみせつけたが、内容的には、物語の真の主人公はザハロワとタランダの王に思えた。
シェヘラザードで泣くなんて。
ただ水戸黄門のように予定調和の舞台を見せる、スター性で押す舞台よりも、こういう脳髄を刺激するような舞台を見たいと、いつも思っている。