想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

完全燃焼、紅葉

2008-11-18 09:26:55 | Weblog

    北西へ伸びる道に沿って奥へつづく敷地の中を歩くと、
    もっとも奥の小川のへりに、紅く染まった木がありました。
    最後の一本、まだあったのね!
    ということで持っていたケータイで即撮りました。(14日)

    紅葉(もみじ)というのは楓のことだと思いますが、

    書物によれば、楓は。
    カエデ科の落葉高木約26種。
    はっぱが手のひら状で、紅く染まる。
    なかには裂け目のない葉や紅葉しない種類もある。
    イロハモミジ、ヤマモミジなどあるが、実はモミジと名のつく楓は
    少ない。○○カエデが主流。
    用途は細工物や器具、火鉢(古木は空洞になるから)など。
     蘊蓄はさておき、完全燃焼のこの赤い色、しばらくため息です。

    枝の下のほうはまだ色づきの途中で、黄色から紅へのグラデーションが
    陽を受けて波打っています。
    寒暖の差と、日中の光と、そして秋の雨。穏やかな陽ざしが少なくなる
    日に、それまでの厳しい日を乗り越えた完全燃焼の姿を見せます。

    翌日には低気圧で強くなった風に、おおかたの葉が舞い散り、数日後には
    すっかり寂びた茶色に変わっていくのです。
    木の立つ姿は、見事です。
    だらだらと生きていない。



    カエデの古語は「かえるで」、蛙の手の意味。
    もみじとは、元々は葉が変色することをさす動詞でした。
    「もみつ、もみつる」など。
    楓がいちばんきれいに紅く染まるので、しだいにもみじと言えば
    紅葉と漢字をあて、楓の別名となったのは平安期くらいから。
    そしてまた秋の象徴として定着したようですね。

    「もみじと楓は違うよね」と言う声がたまにあるけれども‥‥。
    

    万葉集ではもみじに黄葉の字をあてていたなどとは、学校でも
    教えていないですからね、しかたない。
    「もみつ、もみぢ」ではなくて「もみじ」と書いてしまうと
    色づくことをさしていう古語の意味がわからなくなり、
    さらに一番色のキレイな楓にもみじを代表させ紅葉(もみじ)と
    宛てたのです。
    もみじは、秋に木の葉が色づくことという本来の意味ではなくなり
    木の名前だと思われるようになったのです。

    そこで、カエデとモミジは別だと思いがちで、
    「紅葉狩り」に行き、楓をみてモミジ~キレイ~と言ってます。
    カエデもキレイ~、と脇から声があるかもしれませんが。
    
    日本語はだいたい、こんなかんじでおおざっぱ~に変わってきたし、
    変わりつつあるね。
    渋谷センター街でしゃがんだりタムロったりしてる人の言葉が
    いまいち通じなくても、まったくわかんなくてもしょうがない。
    
    日本語とは風景を読む言語、近頃の省略されてる若者語では
    なにを見ても、キレイ~とか、ヤバ、とか繰り返すだけで
    すこぶる簡単な感嘆。味けないことです。
    表現したいことをいい足りないと、身体で求めたりぶつけたり
    して感じるしかなくなるのです。
    寡黙に感じることに耐えられる人は、稀なのですね。
 
     この山の黄色(もみち)の下の花を我れ
       はつはつに見て なほ恋ひにけり
                    (万葉集巻七)

    紅葉狩りにきて、そこにいた若い女性にひとめ惚れ、忘れがたくて歌に
    したのか、その場で詠んだのか、それとも妄想中か‥アヤシい歌なり。

    ヤバ、ヤバって、真っ赤な完全燃焼の前で繰り返し言う彼女(彼)にも
    歌こころは、あると思います。

    
     

 

    

    
    
コメント
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