家も年々、古くなります。
六年が経ち、そろそろ塗るか、ということで、職人さんに来てもらいました。
あちこち相談の末、この塗り本職の親子にお願いしたのです。
早い! 仕事が早い! おまけにユニークでした。
ネタの宝庫のような二人にウケまくりですが、その話はおいおい‥。
人が亡くなった日を命日といい、年を追ってその日(祥月命日)がやってくると、
年忌という仏事を行う風習がありますね。
これはキマリ事だと思って、必ずやる家と、そうでもないわ、もういいわいな、と
一年、三年まではやっても七年にはもういいかとしている家も近年は少なくないですね。
「三十三回忌」が最後でその後にやると障りがある、と母が言います。
母に何度、供養は坊さんに頼むもんではないですよ、日々想い偲ぶことなので
お寺へ行かなくていいです、と言っても「しきたり」とか言います。
「しきたり」もいいでしょう。
なのに今年は何年目なのかよくわかっていないので母は過去帳を取り出して‥。
ちょっと複雑な思い、うさこは父さん子なのであります、母さん今年は三十三回忌よ。
あなたのいう打ち止めの年ではありませんか?
でも障りはありませんよ、毎年想っていても。
永遠に想ってもいいのです。
忘れないほうがいいのです。忘れるというのがなかったことにすることならば。
鎌倉時代に盛んになった日本の仏教は、儒教や道教を内に含み、
日本では本地垂迹説という考えのもとでさまざまなキマリ事、
つまり制度を作っていったのですね。
仏教を浸透させていくには有効な方法だったと思います。
年忌もその一つで、三十三年(32年目の祥月命日)を弔い上げといいます。
それ以降は行わないという決め事があるのはありますが、これは宗派や土地に
よってさまざまです。
母の育った土地では、その後はやると障りがあるというそうな。
いったい誰がなんのために言ったことなのでしょうか。
迷信ですねえ、困ります。
母は、みんながそう言ってる、意味など知らぬと言い張ります。
昔の、因習に縛られた田舎で育ち、何を言われよう説明されようが、
聞き入れない頑固者な母さんに、障りはないよ、と言いました。すると、
「まあ、毎日拝んでるからだいじょうぶ」
だそうです。
それでいいと思います。
嫌なことは忘れなさい、なんて言う人もいるけれど、嫌でなくなるまで
思い考えるという方法もある。
諦念はそこからしか始まらないと思います。
仏教は本来、生きる人を導くための思想だったはず。
お釈迦さま、ガウタマ・シッダールタは人はみな生老病死という門を
平等に通るのだと知り、ならばどう生きるのかということを問い、
苦悩の元である執着から解き放たれようと修行をしたのでした。
悟りとは、一瞬一瞬のこと。
お釈迦さまの生涯は、瞬間の積み重ねなので、経典に記された言葉も
膨大です。坊さんは面倒でもその一言一句を檀家さんにお伝えなさると
いいんじゃないかと思うのです。
己も、みなも、迷信や因習から解き放たれるように。