想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

明るい寂寥

2008-11-05 23:48:53 | Weblog

    「明るき寂寥」 歌人、前登志夫の言葉。
     吉野の山中に暮らし、都会のカルチャーセンターで短歌講座を持ち
     講演をし、また山へ戻る。現と幽冥の境をかるがるまたぎ、
     だんだん人の形を薄くしていった。
     名の売れた歌人は都会のホテルなどにいる昨今、この方は吉野に住み
     林業を生業としていた、ほんものの歌人。
     今年の春、四月に逝かれた。享年八十二歳。

     秋の澄んだ空気のなかに立っていると、思いがけない人を思い出す。
     好きな人が逝ってしまうのは、寂しく、悲しくもあるが、
     人はみな死ぬものだ、そう口に出して言ったときにやってくる
     明るい寂寥。

     この森で死ぬことがわたしの望みで、死ぬ日までを生きる。
     死んだあとのことを生きているうちはわからないが、
     だんだんとそれもわかってくるのではないか。

     繰り返す秋。
     この赤く染まった樹々は、三年前のものだ。
     庭は、ねずみ師がずいぶんと働いて今では形を変えた。
     写真に残った数年前の秋の風情。

     見ていると、そのときの空気を思い出す。
     清々としていたな。
       そう、ねずみ師も、そうだった。

     東京の汚濁を途中の道に落としてきたし、この日は客もいず
     ねずみ師をあてにくる人もいなかった。
     めずらしく、ほんものの静寂で、ゆっくりゆっくり別の時間が
     流れていた。
     ここが、どこだか、わからない。ふと思うのだった。
     結界がたしかにあるのだった。

     斜め前の道路一本はさんだ土地に家を建てたSさんの奥さんが
     ほおかむりをして通りすぎた。
     彼女の仕事は映画プロデューサーだ。
     夫君のほうはいつもこの森へ来るが、彼女は忙しいようで姿を
     みせるのは珍しい。
     すぐにわかったのは、麦わら帽に手ぬぐいをかぶせて顔を被う
     まるで百姓女のようなスタイルだったから。
     訊かなければ華やかな世界にいるようには見えない。
     この女性(ひと)も、来る道々でいろいろと捨てて、ここへ
     来ているのだなと思ったものだ。
     たまにワインをぶら下げて門扉のところへ現れたりしたが
     わたしが酒を飲まないのを聞いてから、ほっかむりで前を通りすぎる
     だけになった。
     森に溶けていく人だけの日、ここがどこだかわからなくなるような、
     寂寥と、胸のなかに夢のつづきがあるような日だった。     

     
     
    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする