想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

夕闇~反省の時間

2009-04-04 01:19:08 | Weblog

    メニエール氏病あるいはメニエル病というめまいの病気がある。
    若い頃はそれに悩まされた。入院したり倒れて運ばれたりして
    たかがめまいなのに、なにも手につかなくなる。
    もう一つの持病が腰痛であった。これも突然襲いかかり、何も
    できなくなる。ちょっと痛いとかではなく、歩けないので寝たきりに
    なって一週間くらいは万事休す。

    これらを過去形で書いていられる今、まったく安心しているわけでは
    ないが、原因がわかったから不安ではない。
    医者ではなく、カメに治してもらったんである。

    最近はそういう研究もなされるようになったようだが、腰痛が心因性で
    起きるなどと大学病院のエラい先生も気づかなかった時代、わたしは
    嘘を言っているんじゃないか、ほんとに痛いのかよ、みたいな視線を
    お医者に向けられてはがっくりしながら、痛いのを我慢して病院まで
    来たのに二度とくるものかと思った。
    しかし何度も医者を頼り神経ブロック注射でごまかし、ギブスで固定し
    真夏にコルセットをしたまま過ごし、17歳から始まった腰痛は十数年間
    わたしを呪縛し続けた。運動をしないまま若い時期を過ごしてきた。
    運動をしないというのは、言い換えると遊べないということでもある。

    それに加わったのがメニエル氏病。三半規管に異常をきたすらしいが、
    要するにくるくると周囲が回るめまいである。難聴までは行かなかった
    のが救いであったが、突然起きるので仕事を投げたことが何度もあった。
    つまり失業である。自由業は受けた仕事をやらないと失業するしかない。

    激しいストレスがかかると耐えきれないぞーという信号を身体が発している
    とわかったのは、十円ハゲを発見してからのことだ。
    ある日、あっ禿げてる~と仲良しの美容師が教えてくれた。
    その時トラブルはすでに終わっていて元気なので、ああ禿げたのか、
    気づかなかったですまして笑い、禿げるほどあたいは辛かったっけ?
    みたいなもんである。
    実感したが、正常を知ると病んでいたこともわかる。
    まちがえっぱなしだと、悪循環から抜け出せないということだ。

    身体に出るさまざまなサインは、自分の限界を教えてくれる。
    今は腰痛が出る寸前くらいになんとなくわかるようになったので小休止する。
    寝るのが一番いいが、そういうときはすでに眠れなくなっている。
    うちの神様と踊り明かして疲れて眠る。
    ゴーゴーと神様がイビキをかくのを聞きながら。

    カメの厳しい教えのもと、瞑想と自省の日を送るようになって腰痛と
    めまいから解放されたのだが、はっきりしているのは反省がたりんと
    腰痛は治らんということだった。わたしの場合はそうなのである。
    いいわけをしているうちは痛いのである。
    人は誰でも自分の言い分はある。自分は悪くない、原因は外にあると。
    しかしカメの教えはそういうことは通用しない。
    徹底してつつしめ、と教えられた。
    そこへ至ったとき、痛みから解放されるというのを繰り返してきた。
    身体と精神のバランス、うまくできている。
    もの言う身体、考えるのは精神ばかりではない。

    器としての身体であるが、そこに宿る魂とつながっているのだから
    あたりまえのことだ。
    あたりまえを知らなかったので、若い頃からずいぶんと痛い目にあって
    おかげで、うさこはカメにたどり着いたのである。
    物語と一緒で、うさぎはカメに追いつけない。

    踏んだり蹴ったりの因幡の白兎よりましなんだが、ああいうお調子者
    でも傷ついた挙げ句、救いの神大国主命に遇ったわけさ。
    転んでも病んでも、あきらめ嘆くばかりではいけない。
    反省反省、どっかに反省の種はありますでしょうが、と夕闇に沈む
    山影をみつつ、思うのであった。

    
    
    
    
コメント (2)
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