スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

8月15日

2016年08月14日 | 雑感
一昨日の道新紙上に なるほど と頷けるコラムがあった。

直木賞作家・高村 薫氏の寄せた 「8月に思う」 (変質し始めた戦争の記憶) というコラムだ。

 『 5月のオバマ大統領の広島訪問、原爆資料館をわずか10分ほどで通り過ぎ、原爆投下について
   の遺憾の意を表明することも無く、世界に向けて核兵器廃絶の理想を語っただけではないか。
   ・・・人類史上初の原爆投下に対する被爆地の怒りは、すでにこの国から消えてしまった。 』

 『 私たちが「戦争の記憶」と呼んでいるものは、爆弾の雨も、その下の阿鼻叫喚も、ちぎれ飛ぶ
   肉片もない、どこまでもあいまいな記号でしかない、 いわば精巧なバーチャルリアリティである。 』 

                                
と一刀両断。   夏の風景になった 「戦争の記憶」 に疑問を投げかけていた。

        

先日ドイツ在住の作家・川口マーン惠美氏が 「 歴 史 」 についてこんな事を書いていた。

日本では歴史と物語(作り話)はまったく違うと解釈しているが、
ドイツでは、≪歴史≫ も ≪物語≫ もどちらも同じ単語で ≪Geschicte≫ と書く ・・ と。


歴史は作り話だということを日本人は認識していないのかも知れませんね。 

高村氏が言うように、過去の戦争も憲法の条文もそのバーチャルリアリティとして再生・消費され、
それを自然に受け入れる国民が大勢となっていくのでしょうか。

私たちはどう向き合うべきなのか 明日また、あの ≪8月15日≫ がやってくる。