スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

昭和の白虎隊

2016年12月19日 | 雑感
新聞記事では、今回の日ロ会談の 「評価せず」 が54%だという。 

≪ 領土は我が国のもの!≫ とお互い主張しあってウン十年にもなる。 
主張し続ければ外交で優位に立てる。 中国などはその点凄いを通り越している。

これが外交の鉄則といえばそれまでだが、どの国もこんなんでいいのだろうか、なんて
大して知らない私などは思ってしまう。 憎きは 「戦争」 だが、誰かがこんなことを言っていた。

≪ 平和とは戦争で何も無くなった状態をいう≫ ・・・ とは、あまりにも悲しいではないか。

この本、ノンフィクション作家の著者(豊田正義氏)が2年半の取材の後に完成させたという。
戦争に突入していった経緯や、終戦時に満州でなにが起きていたかを詳細に描いた力作だ。

8・19満州 最後の特攻として女性と一緒に飛び立った史実があったとは、始めて知った。

    
  テレビドラマにもなったようだ。 主演は堀北真希と芸能界から突然消えたあの成宮寛貴 今頃どこの空。  

天皇陛下によるあの玉音放送で涙に暮れる頃、ソ連軍は戦闘を停止する義務があるにもかかわらず
進撃を緩めず、暴挙のあらん限りを続けたという。 無論関東軍においても総司令部の停戦命令
に従わず、自らの意志で闘い続けることを決断した兵士もいた。 


連行・強姦・虐殺など目を覆うばかりの蛮行が満州各地で繰り広げられていたようだが、
蛮行が蛮行を生む。 これが戦争・人間の成せる業(ごう)というものなのだろうか。

戦車隊に体当たりし進軍を遅らせ、居留民が本国に帰還する時間を少しでも稼げるとの
思いを胸に、11機による特攻機「神州不滅特攻隊」が組成された。 

いざ出撃の日、エンジンを始動するやいなや突然、見送りのフリをしていた白いワンピース姿の
2人の女性(白装束を彷彿させるが如くの)がその特攻機に乗り込んできたという。


航空将校・会津藩士の家系を持つ谷藤徹夫の妻・朝子と大倉少尉の恋人・スミ子の二人の女性。 
朝子はれっきとした妻だが、スミ子は宿舎で働く娘、大倉少尉には故郷に許婚(いいなずけ)がいたという。
どちらが嘆願したかは定かではないが、本書では「女性の方からきりだしたのでは」 の推測をしていた。

「 女が乗っている!」 「 軍紀違反だ。 飛行機を止めろ!」 の声がする間もなく
日傘を捨ててサッと二人が乗り込んだ、それぞれの特攻機は積乱雲の中に消えて行ったという。

戦後史実は黙殺され、軍の記録上も存在せずにて、これら幻の特攻隊隊員たちは「戦没者」
として認定されずにいたが、12年後始めて元飛行兵有志により名誉回復がなされ、
遺族年金も給付、靖国神社への合祀もされたとのこと。



追記ですが、≪ 満州侵攻におよぶ経緯 ≫ はこのように描かれていた。

昭和20年2月、ルーズベルト(米)はスターリン(ソ連)に対し、「 対日戦争(満州国へ侵攻)への参戦 」
を強く要望したという。 世に言うヤルタ会談という秘密協定があった。

その背景を全く知らない日本政府は、ソ連が米・英・中からのポツダム宣言に参加していないことに、
日本からの和平交渉の仲介を受け入れる意思ありとの思いから、政府は「天皇の特使をソ連に派遣し、
ソ連に和平の仲介を求める」という終戦構想を最優先し、ポツダム宣言の「黙殺」を決定した。

その黙殺だが、当時の鈴木首相は「no comment」に相当する日本語を探し、「黙殺」という言葉
を使用したが、アメリカの通信社が「reject」という強い否定の英語に訳して報道したため、トルーマンは
「日本政府がポツダム宣言を拒否した」と受け取り、アメリカは広島への原爆投下に踏み切ったという。

すぐさまスターリンは満州侵攻を命じたとの経緯が史実のようだ。  
                                  当ブログちょっと長くなってしまいました。