もうひとつ、ぱらっと眺めるのに最適な 『俳句小歳時記』 という本がある。
水原秋櫻子編・四季の基本季語が満載、コンパクトサイズの一冊で、季語が367ほど収められている。
芭蕉・一茶・子規・秋櫻子・無名詠み人も含め 3百数十名、どのページからも眺めることができる。
万葉集とこの俳句小歳時記の二冊は、幾度もの入院時に重宝した優れ物だ(笑)。
春はまだまだ遠しの札幌の今日この頃。 暦のうえでは節分の翌日が立春、寒明けとも言うのだそうだ。
寒が明けても暖かくなるどころか、寒気団の襲来を受けることも。 これを余寒とか春寒ということで表し、
真冬のような寒さがぶり返すことを、<冴(さえ)返る>という季語をも使うようです。
日本の、これら季節の微妙な移り変わりを表現する季語って凄いものですね。
夏目漱石の ≪草枕≫ にこんな文章があった。
『 空しき家を、空しく抜ける春風の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒むものへの面当でもない。
自ら来たりて、自ら去る。 公平なる宇宙の意(こころ)である。 ・・・・・・・
余の心も、わが住む部屋の如く空しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく抜けるであろう。』
待つ人にも待たざる人にも 春は来る。 確実に一歩一歩近づく今年の春やいかに かな。
水原秋櫻子編・四季の基本季語が満載、コンパクトサイズの一冊で、季語が367ほど収められている。
芭蕉・一茶・子規・秋櫻子・無名詠み人も含め 3百数十名、どのページからも眺めることができる。
万葉集とこの俳句小歳時記の二冊は、幾度もの入院時に重宝した優れ物だ(笑)。
春はまだまだ遠しの札幌の今日この頃。 暦のうえでは節分の翌日が立春、寒明けとも言うのだそうだ。
寒が明けても暖かくなるどころか、寒気団の襲来を受けることも。 これを余寒とか春寒ということで表し、
真冬のような寒さがぶり返すことを、<冴(さえ)返る>という季語をも使うようです。
日本の、これら季節の微妙な移り変わりを表現する季語って凄いものですね。
夏目漱石の ≪草枕≫ にこんな文章があった。
『 空しき家を、空しく抜ける春風の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒むものへの面当でもない。
自ら来たりて、自ら去る。 公平なる宇宙の意(こころ)である。 ・・・・・・・
余の心も、わが住む部屋の如く空しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく抜けるであろう。』
待つ人にも待たざる人にも 春は来る。 確実に一歩一歩近づく今年の春やいかに かな。