下北沢(しもきたざわ)は東京都世田谷区の北東部に位置する地域名
概ね同区北沢の全域と代沢の一部あたりを指す 略して下北(しもきた)とも呼ばれる
但し現在は「下北沢」という地名は存在していない 町名としての北沢(きたざわ)は一丁目から五丁目まで存在する
同地区の人口は17,726人(2007年10月1日現在 住民基本台帳による 世田谷区調べ)である
鉄道は下北沢駅(小田急小田原線・京王井の頭線)の他に 東北沢駅(小田急小田原線)
池ノ上駅(京王井の頭線 代沢に所在)が設けられている
道路は茶沢通りの他に東京都道420号鮫洲大山線や井の頭通りが通るものの
自動車は元より休日には自転車の相互通行もままならない様な幅員2m程度の狭小路地が多く
下北沢駅前の商店街などではそれら狭小路による安全上の問題が指摘されている
テレビや雑誌などで吉祥寺・三軒茶屋・自由が丘・中目黒・代官山などと並んで
若者の街・ファッションの街に加えて小劇場の求心的な地域として紹介される事が多い
新しい店舗の多くは最近のメディアなどで集まる客を相手にし
昔ながらの店舗は比較的庶民的な構えのまま残り 新旧が混在している雑多な街である
国士舘大学世田谷・梅ヶ丘キャンパス 明治大学和泉キャンパス
東京大学駒場キャンパスなどが近いため 学生の訪問も多い
下北沢駅は小高い丘を挟んで位置し南口は低く 西口周辺は高い位置にあり
狭隘な街路が入り組むといった地域特性から 周辺住民を対象とした雑貨屋・古着屋・生地屋などが古くから存在し
コットン・タウンと呼ばれ脚光を浴びた時期もある いくつかの店舗名にコットンを付けたものがある事で当時の名残りが偲ばれる
また北口の駅前には「下北沢北口駅前食品市場」という戦後の闇市の名残りの場所がある
今日ではこの「闇市的」な場所の規模は小さくなったが1980年代頃まではかなり大きかった
商業地域はそれより前からある小田急線の線路で概ね区分される状態で複数の商店街組織がある
下北沢です 井の頭線も小田急線も昔から「下北沢駅」って看板掲げてますが実際に地名は存在しないのですね
小田急線の複々線化及び連続立体交差化(地下化)事業により景観 治安 バリアフリーへの一層の重視へ配慮した
街づくり進めるべく地元商店街が動いてるそうです ともかくも一方通行多く車が進入できないため
防災・防安面で不安なのが一番の理由 さらにこれを機に駅周辺の雑多な立地にある劇場や飲食街にもメスを入れたいのでしょう
当然地元民・文化芸能人(演劇 音楽etc)・来訪者の間の溝はなかなかに深刻なよう・・・
ですが意外にも地元民な方が大幅な市街地整備に着手してくれって声が多いようです
確かに商店街の通りは配送車・自転車・通行人でいっぱいになります 高齢者な方は危険でしょう
ですが僕が学生時代何度か来訪したときに比べ 駅前には駐輪場構えた商業施設小田急マルシェ出来てましたから
これでいくらかはお買物の煩わしさ回避できるのではないかなって(だって日用品ほぼ揃うしね)
僕の暴論から言えば下北はそのままでよし=今のままの雑多さこそがこの街だからね
地元の方の買物の利便性についてはもう一つくらいショッピングセンター作ればいいのだし
基本的な街並みいじると魅力が半減してしまうよ なんか腸が縺れる様な通りの入り組み方
そこに本拠構える劇場や 営業する飲食店 古着屋 中古レコード(CD)店あってこそです
東京五輪で何もかも新しく街並み入れ替えようとしてますが 新しい場・旧い場は共存図るべき!
他はそうだな~ 新橋・有楽町・神田のガード下はなくしてほしくない 風俗街・五反田もそのままでいいよ
ついでにいえば渋谷のやや薄暗いホテル街も変に手をつけ再開発はしてほしくないものです
諸外国から訪問者も多く それぞれの街で役割は違うのです 五反田・吉原など間違っても
何も知らないお子ちゃまが迷って行くわけないし(新橋ガード下然り)
ただ僕の住む四国松山は都市・人口規模全く違いますからね 文化財クラスの街並みは別として
日常に不便な部分や青少年に有害な箇所はドンドン改良してもらわないと困りますから
ともかくも雑多さこそがこの街の魅力 何気ないお店の飾りつけ・開店前の閉じたシャッターもよくデザインされてるでしょう?
人間臭さがなくなり画一化されたら 下北ってホントにつまらないよ