崖の上のポニョ(2008年) 宮崎駿が2004年にスタジオジブリの社員旅行で訪れた鞆の浦を気に入り
2005年春一軒家を借り切って2ヶ月間滞在 自炊生活をしながら散策する毎日をおくり『崖の上のポニョ』として映画化
だが そんなポニョの舞台(モチーフ)となる鞆町の道路は
大部分が江戸時代から継承されたものであるため幅員が狭く車の円滑な通行に支障をきたす箇所が多く存在
またこの地域は少子高齢化が進行し産業の衰退も深刻化していた
この為広島県と福山市は 1983年に鞆地区を東西に結ぶ県道バイパスの建設を計画
この計画は港の両岸を埋立てと橋梁によって結び 同時に近代的港湾施設や公園などの整備も行い地域活性化を図るものであった
しかし 景観保護などからこの計画に反対する住民もいたため 埋立て面積の縮小や橋梁部のトンネル化などが検討
1995年に埋立て面積を半分に縮小する計画へと変更され
2000年には更に埋立て面積を縮小し景観に配慮した計画へと変更される
それでも反対派の賛同は得られず 2003年に計画は事実上凍結された
だが2004年福山市長の病気辞任(直後に死去)に伴い
行われた市長選挙で計画推進を掲げた候補が当選したため 埋め立て架橋計画は再び実現に向かって進められることになった
これに対し2006年1月に反対派団体が1万人を超す署名を市に提出し計画の再検討を要望
また、この頃には鞆周辺の世界遺産登録の可能性が指摘されるようになり
3月には世界遺産審査に当たるユネスコスタッフが鞆を視察
4月に反対派団体はC・W・ニコルを迎えて講演会を開催し 10月には鞆の街並み保存基金設立に
映画監督・宮崎駿や大林宣彦が協力を表明するなど反対運動も活発化し その動きは全国的な関心を集めるようになる
2009年10月 広島地裁は原告の景観利益を認め免許差し止めを命令 被告の広島県は広島高等裁判所に控訴
前原誠司・国土交通大臣は広島県が申請している埋め立て免許の認可を当面見送ると表明
【鞆の浦埋め立ての架橋計画の事実上の凍結】
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江戸時代から継承される独特の景観や趣きのある町並みが色濃く残る鞆の浦
映画「崖の上のポニョ」のモチーフになったことは 有名な話です
開発か保全か?で住民が 激しく対立したこともあったようですが
先月の広島地裁で免許差し止め命令が出て 一定の沈静化は保たれたようですね☆
最寄り駅の福山までは 東京からのぞみで3時間40分ほど・・・
そこから路線バスに乗り換えること30分で風光明媚な瀬戸内海国立公園・鞆の浦に到着します
旅行好きな方は機会があれば一度足を運び 実際に街並みにふれ
景観保全のあり方など考えてみるのもいいかもしれませんよ
特に港湾事業は一度埋め立ててしまうと生態系も大きく変わり
途中資金難で事業凍結!ってことになると 中途半端にコンクリートで固めた護岸だけが残り
二度と景観を取り戻すことの出来ないことになってしまいますからね
この 鞆の風景 次の記事は街並みを載せる予定です
上から写真の簡単な解説いれておきますね ではまた♪
① 路線バス終点 ターミナル脇の観光案内所です 映画宣伝用に使われたおなじみのものです
② 鞆港の全景。。。宗介と母親・リサの暮らす 港町のモチーフになったといわれてますね
物語の上で実際は もう少し時代背景が新しいため 僕の私的な考えではお隣・尾道も混ざってるのでは?と思わされました
ちょうど写真右上に 宮崎監督が借り切った一軒家がありますが 一般民家なため 立ち入りは禁止です
③ 海食洞が広島県指定天然記念物の仙酔島方向です 監督も日々この方向で海を眺めながら 絵コンテを煮詰めていったようです
(実際 ドキュメンタリー番組「プロフェッショナル・仕事の流儀」の映像では 仕事場の机の目前がこの方向だったので)
④ この渡船の場所は 鞆からは3~4km離れるのですが 確か映画・劇中にも こんな光景を目にしたような気がします
(瀬戸内海は このような小さな渡船が無数に発達してるのです)
ワゴンRに乗った若い奥さんは上陸後 運転席窓開け
船長さんに「おいちゃん どーもありがとねぇ♪」って手を振って出かけてゆきました
⑤ 鞆の商店街内カフェに飾ってあったオブジェ・・・粘土細工? ほのぼのした雰囲気が伝わってきますね