「きっかけ(CUE)」

”CUE”が写真を載せ発信します

伊丹十三という男 その壱 

2008年09月28日 | 芸能・entertainment

 

伊丹十三・京都市右京区鳴滝泉谷町に生まれ
第二次世界大戦末期・京都師範付属国民学校
(現・京都教育大学附属小学校)を経て英才集団特別科学学級で教育を受け
当時としては珍しく戦時中に英語教育を実践していたと云われる

同窓に日本画家の上村淳之がおり 中学生の時に父親は死去する
京都府立第一中学校(現・京都府立洛北高等学校)に入学 

だから厳密には松山出身ではないのですね
その後愛媛県松山市へ移り 愛媛県立松山東高等学校に転入した為
松山出身の知名度が高いわけです

ここで大江健三郎と知り合い その後二度落第して愛媛県立松山南高等学校に転入
同校を卒業したが大学を受験して失敗したため 
東京へ行き新東宝編集部を経て商業デザイナーとなります

その後伊丹は前歴の
俳優・エッセイスト・ドキュメンタリー作家・CM作家・イラストレーターとしての
全ての経験が活かせる事を発見し 
映画とテレビドラマで存在感のある脇役として またCMタレントとしても活躍します


『家族ゲーム』(1983年)『細雪』(1983年)では
キネマ旬報賞助演男優賞を受賞しているのですよ


映画監督への転身後はめざましい活躍を
まず1984年 51歳で『お葬式』で映画監督としてデビューし日本国内で高い評価をうけ
この作品で受賞した映画賞は日本アカデミー賞を始めとして30を超えた
この映画は信子の父の葬式がきっかけであり
わずか一週間でシナリオを書き上げたことは皆さんの記憶に新しいことでしょう

その後も食欲と性欲の未分化な人びとを喜劇的に描いた『タンポポ』や
国税局査察部・通称「マルサ」に対する徹底した取材を元にした『マルサの女』
ヤクザの民事介入暴力と戦う女弁護士を描いた『ミンボーの女』など
日本の社会に対する強い問題意識をもちながら
かつエンターテイメント性に富み映画史的引用や細部にこだわった映画作品を作り
一躍当時の日本を代表する映画監督となり
「伊丹映画」というブランドを築く事に成功するのです

特に1992年の『ミンボーの女』では地上げやゆすりをやる暴力団は
市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描き観客は大喜びし
これまで日本では映画でヤクザ(暴力団員)をヒーローとして扱い礼賛しました

(「ヤクザ映画」という一ジャンルが存在する)
まさにこの頃が 伊丹の絶頂期だったのでしょう
それから 様々な事で不幸に見舞われてゆくのですが・・・その顛末はその弐に記します



伊丹十三という男 その弐

2008年09月28日 | 芸能・entertainment

 

ミンボーの女の公開1週間後の5月22日夜に自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され 
顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負うがあ「私はくじけない 映画で自由をつらぬく」と宣言します
(病院に搬送された際に取材陣から「大丈夫ですか!?」と声をかけられて
声こそ出なかったもののピースサインで気丈に応えたのです
警察は現場の車より山口組系後藤組の犯行であることを
突き止めた5人の組員が4年から6年の懲役刑となりました

1993年3月には自称右翼の男が
『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起こるなど
数々の被害や脅迫・嫌がらせを受ける事となったが、襲撃事件により身辺警護を受けた経験は
1997年に『マルタイの女』で映画化された 『タンポポ』はアメリカでも配給され評判となります

ここまでは 順風満帆だったのですが・・・
ただ、1993年『大病人』以後の作品は 批評家の評価も厳しいものとなり
また『マルサの女』『マルサの女・2』で
主人公(権藤)やソープ嬢を障害者とする設定を行ったことに対して
倫理的観点から厳しい社会的批判を受けてしまいますが
伊丹の演出面での特徴は俳優に対して一言一句のアドリブも許さず
画面に映る全ての小道具に一切の妥協を許さないという厳格かつ・情熱的ななものでした

しかし俳優がNGを出しても決して怒鳴り散らしたりしないため
俳優にとっては非常にやり易かったといいます
 
そして1997年12月20日突然の「自殺」
写真週刊誌「フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対して
「死をもって潔白を証明する」とのワープロ打ちの遺書を残し
伊丹プロダクションのある東京麻布のマンションから投身自殺を遂げました

不自然な自殺のため他殺説も根強く存在し
因みに予定していた次回作のテーマは創価学会だったため
学会の陰謀説も 流れていますし 真相は闇の中です

そんな伊丹はその壱にも書いたように 多彩な人でした
商業デザイナー・俳優・エッセイスト・TVマン・雑誌編集長・映画監督と
興味のおもむくままに様々な分野の職業に分け入り多彩な才能を発揮した人で
また音楽愛好家・猫好き・乗り物マニア・料理通など趣味人としても
一流の見識を持っていたことはつとに有名でした

やはり 皆さんの一番の関心事はグルメかな
食べ歩くのだけでなく 造ることもお得意だったようです
そんな上
の写真は 自身の監修した ご存知たんぽぽラーメンです



あとはパスタとかもお得意だったと聞きます
伊丹が1975年頃に出した本「女たちよ!」の中に
【スパゲッティの美味しい召し上がり方】というのが載っており
とある 店の店主が早速実行してみると納得!
新しい定番が増え 人気メニューになったそうですよ



そして あの有名なたいめいけん名物「タンポポオムライス」は
チキンライスの上に、中がトロンとしたオムレツがのります
映画「タンポポ」でレシピが出てくるオムライス・・・
セルフでオムレツの中央から開いて全体に広げ その上にケチャップをかけてます
僕個人としては オムライスはあまり好きではないけど 
これなら ペロッと食べられそうです

尚 一番上の木はクローバーに覆われた庭の中に立っている桂の木
一株なのに根元から二つに分かれた双幹の形をなしています
ちょうど伊丹十三と宮本信子の夫婦を象徴したようで当館のシンボルとも言えるものだそうです

※ 尚伊丹の作品の数々を敬愛するあまり あえて敬称略にしてます 
   写真も一部記念館の物を撮影してますが ご容赦ください

 


スイーツ

2008年09月28日 | 写真・photograph




・ ショートケーキ(主に日本)
・ ストロベリーショートケーキ
・ モンブラン(台にパイ生地やメレンゲを使用することもある)
・ ロールケーキ
・ タルト (郷土菓子)
・ スポンジケーキ
・ チョコレートケーキ
・ ガトーショコラ
・ トルテ

・ ザッハトルテ - チョコレートスポンジのケーキにチョコレートで包んだケーキ
・ キルシュトルテ - サクランボを使ったケーキ
・ エルトベーアトルテ Erdbeertorte - イチゴのケーキ
・ ヘレントルテ Herrentorte - 甘みを抑え
洋酒 ココアや
    チョコレートを用いマジパンで覆うことの多い 多層のケーキ
   バリエーションがたくさんあり 
ヘレントルテという絶対の定義は今のところなさそうである

・ ドボシュ・トルテ
・ 
シフォンケーキ
・ カステラ
・ メレンゲ(ベゼー)
・ マカロン(マコロン)

先日所用の為 東京・tokyoに行って来ました
いつ 訪れても刺激的な街である事に変わりありません

友人へ会うのが目的の一つでもあったのですが
お土産には 彼女の大好きな店の栗のお菓子にして貰ったのです
本当はふわふわのプチモンブランにしたかったらしいのですが
日持ちがしたほうが良いと気を使って貰い 「ガトーモンブラン」にしてもらいました
マロンは僕も好きで 甘さ控えめだったので幸いでしたね

さて スイーツと言ってもこれだけの種類があるのですねぇ・・・驚きです
上記の商品はケーキ類だけですから
まだまだ この世の中に沢山の甘いものが存在するのでしょう
そして 和菓子・洋菓子問わず 
スイーツが嫌いな女性はまず90%方聞いたことがありません
これからも 世界上の女性方を虜にすることは間違いないのでしょうね

ちなみに このモンブランは
http://www.printemps-ginza.co.jp/restaurant/angelina/index.html にて購入できます
参考までに



日 々 想 う

2008年09月24日 | 諸々・various



年を追うごとに 今までは考えられなかった様々な出来事が起こってます
あまりに短命に終わる政権 親が子を殺め 何食わぬ顔で葬儀に参列する事件
テレビの過剰な演出=やらせ そして視聴率の取れなくなったバラエティから 
硬派なドキュメンタリーへの移行
これでもかと押し寄せる 食の不安。。。あとは 異常気象地球の温暖化ですかね

うーん これはあくまで僕の勝手な推測ですが
この15年くらいの 携帯とpcの常時接続の
爆発的な普及が起因してるのはないかと思うのです

既に携帯の端末には 高齢者向けのラクラクフォンにもカメラが標準装備ですから
誰でもが 事件の現場画像をマスコミに送信すれば 
日本・・・いや世界を揺るがす発信者となりえるわけですよねぇ
このことには 悪い面だけではなく 良い面もありうるわけですが
そこのところの さじ加減は難しいと思います

でも 皆 このあまりに流れの速い世の中に ついていけてるとは思えないんですよね
ただ ひとつ 信じられるとすれば 【人と人のリアルなつながり】 これに尽きるでしょうか
親子の愛情 夫婦・家族のつながり ご近所の結びつき 
恋人や友人との語らいってところかな

あと 異性間との友情も成立すると思いますよ
やはり 男と女って違うDNA持ってますから
良い意味で考え方も違うわけで・・・やはり 話してると
触発されるものは大きいです
僕には県内に一人 東京・横浜方面に二人 かけがえの無い女友達がいますけどね

写真は 記事の本筋には直接関係ないですが 7月に撮影した 燕(ツバメ)の雛たちです
よく 僕の写真は透明感があるとか 音楽性が感じられるとか賛辞をいただきますが
それは これまで自分のおこなって来た 罪滅ぼしの意味もあると思っています
こんな僕の写真でも 元気の原動力になってくれれば幸いと思ってますね
水不足の松山にも優しい雨が降ってきたkがお伝えしました ではまた 
  
  


snap shot

2008年09月23日 | 写真・photograph

 

スナップショット【snap shot】
人物などの被写体を自然な形や雰囲気の中で早撮りした写真 スナップ写真

撮影日&場所 松山城月見の宴 ―お城と月の物語―
日時 平成20年9月14日(日)場所 松山城 本丸広場 特設ステージ



イベント らくさぶろう 古今亭菊志んによる寄席
松山検番の芸者さんによる伊予節、野球拳おどり
城山荘(本丸広場)によるいもたき無料配布(18:00~限定300食)が振舞われました


 

 

 

芋煮=芋炊きって聞くと 関東の方は山形で パワーシャベルなど重機を使って
大人数分 一気に炊き上げてしまう光景が有名ですが
ここ 愛媛では 広い河原に それぞれ人数分の鍋で コトコトと優しく煮込むのです

その味は 決して山形には引けをとらないと思ってます 詳しくはまでお問い合わせください
食べ切れなかった分は 新たに具材足して 
ホワイトシチューやカレーに仕立てるのも乙なものだと思ってますよ

先日の台風13号は通り過ぎていきました
九州地方など 甚大な被害受けた方には心よりお見舞い申し上げます
ですが この四国=特に愛媛と香川は深刻な水不足です

当然 マスメディアは被害に遭われた方を大きく取り上げるのでしょうが
その陰で 水不足に喘ぐ地方のこともせめて写真だけでも
全国紙扱いで取り上げて欲しいものですね では また

 


和傘 

2008年09月22日 | 写真・photograph


和傘。。。東洋では傘はまず魔除などの目的で
貴人に差しかける天蓋(開閉できない傘)として古代中国で発明される
その後、飛鳥時代の552年に仏教の儀式用の道具として
朝鮮半島(百済王)から貢物として日本に献上され 「きぬがさ」(絹笠、衣笠)と呼ばれた

その後平安時代に製紙技術の進歩や 竹細工の技術を取り込んで改良され
室町時代には和紙に油を塗布する事で防水性を持たせ
現在と同じ用途で広く使用されるようになった

しかしながら明治時代以後の洋傘の普及により
和傘は急速に利用されなくなっていった

現在では雨傘としての利用はほとんどなく観光地での貸し出しや
日よけ用として旅館や和菓子屋の店先 野点用などに持ち歩くのでなく
固定して利用される程度である
現在では岐阜 京都 金沢 淀江 松山等に少数の和傘製造店が残っている

松山城月見の宴 ―お城と月の物語― 日時 平成20年9月14日(日)にて撮影
では このイベント関連 あと2記事は続くかな・・・と思います
どうぞ観てやってくださいませ


城 a castle

2008年09月21日 | 写真・photograph

ロープウエイ街を撮った後 イベントに足運ぶため 城山に昇り 
ライトアップされた松山城を広場で撮ってみました

で 眼下に見える 松山市内 まあ比較するのが酷ですし
僕の撮影がイマイチだったので 幼少期を過ごした長崎には完敗ですね
もちろん 神戸や函館とは 比較の対象になりません
でも 僕はこの街=松山が好きですよ
この日松山城ではイベントあったので何枚か撮りました 
で・・・もう少し この関連の記事続きます  



野球拳

2008年09月20日 | 写真・photograph

皆さんが松山と聞いて連想するのは 
坊ちゃん&マドンナ 正岡子規 種田山頭火 道後温泉 伊丹十三etcってところでしょうか
動きがあって人物がややぶれてますが 野球拳も松山が本家なんですね
ただし ホントの野球拳は脱ぎません

野球拳としては上述した松山本家の野球拳が本来の姿であるが
その後お座敷芸として全国的に広まり
昭和30年代には現在のようなじゃんけんで負けたら脱衣するルールが定着した

1969年、日本テレビのバラエティ番組『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』
(後に『コント55号の野球ケン』という独立した番組も生まれる)で
罰ゲーム的に紹介され一層誤った認識が全国に広まってしまった
ゲームセンターでもじゃんけんをして人間が勝つと
画面上の美人女性が服を脱いでゆくゲームまである

これに比べ郷土芸能である本家野球拳の知名度は未だに低く
単に「野球拳」と言えばお色気ゲームとしての意味に取られがちであった
現代でも当時の影響で野球拳を中途半端な形で 
バラエティ番組で披露する場合が殆どである
製作サイドも誤った認識をしていると自覚していない

なおこの事態に陥ったことに対し
その張本人であるコント55号の欽ちゃんは2005年に松山を訪問し
本家野球拳の四代目家元である澤田剛年に謝罪
もともと欽ちゃん自身当時のテレビ局側に「やらされた」こともあり
松山市の関係者に対し罪悪感があったようである

尚 欽ちゃんはこの際 ゴールデンゴールズのメンバーと来訪し
松山まつりにて ホントの野球拳を踊り 観客にも謝罪してます
さて 上の写真は「松山城月見の宴 ―お城と月の物語―」の一コマなので
もう少し このイベント絡みの記事続きます

 


街角 a street corner

2008年09月19日 | 写真・photograph




===イメージ===
撮影日および場所:2008/09/14/18:52 愛媛県松山市大街道 
プログラム名:Ver1.04 水平・垂直方向の解像度:72dpi
ビットの深さ:24 解像度の単位:2 色の表現:sRGB 圧縮ビット/ピクセル:4

===カメラ===
製造元:Panasonic モデル:DMC-FZ10 絞り値:f/2.8 露出時間:0.77秒 
ISO速度:ISO-100 露出補正:0ステップ 焦点距離:6mm 最大絞り:3 
測光モード:パターン 35mm 焦点距離:36

===高精細===
コントラスト:標準 光源:日光 プログラムモード:標準 彩度:標準 鮮明度:標準 
白バランス:自動 デジタルズーム:0 EXIFバージョン:0220

===ファイル===
名前:003.jpg 種類:JPEGイメージ 
フォルダのパス:C¥ユーザー¥keisuke¥ピクチャ¥2008-05-17
作成日時:2008-09-17-18:52 更新日時:2008/05/17/18:52 属性:A
所有者:keisuke-PC¥keisuke コンピュータ:KEISUKE-PC(このコンピュータ)

ここは松山市のロープウエイ街です
街の名前は 松山城に昇るためのロープウエイ乗り場に由来しるのですよ
ここ数年で 電柱が地中化され 車道はわざとジグザグにして速度を落とし 
歩行者・自転車優先のスッキリとした 街並みに変わりました

もちろん各店舗の色合いは統一され
洒落たお店(着物屋 ジェラート屋 お食事処etc)も徐々に増えましたね
あと 製造が追いつかぬほど ネット通販で高い売り上げを誇る 
霧の森大福
http://www.kirinomori.co.jp/shop/index.html もあるんですよ

抹茶ムースは6個で¥1200とお手ごろです 
クール便で全国に送ってくれるので 
ホームページで他の商品で比べてみるのもいいかもしれませんね
では 次の記事は 松山城のイベントの模様をお伝えします


オールドカー

2008年09月15日 | 自動車・automobile



久々な自動車ネタです
8月の終わりに 松山一番の繁華街で行われた
イベントの模様を記事に興してみましょうか



この形式は 車に詳しくない人でも分かるでしょうね
VWのビートルです 最新型も基本的にはこのフォルムを踏襲してます



これは 日産ブルーバードSSSという車種です
今から35年は前のモデルでしょうか SSSとはスーパースポーツセダンの略
ラリーなどでも大活躍しました



こちらは縦目のベンツ さりげない風格がありながらも
ジーンズにTシャツで乗りこなせる カジュアルな雰囲気があって
歴代のベンツの中でも好きなモデルです
現行型は バブルの頃ほどではないですが 怖いおにーさん方が
オラオラ 道空けんかい的に乗りこなしてる場合が多いですからね



このベンツは 僕の記憶に間違いなければ 
戦後最初の首相 故・吉田茂氏の愛車だったと思います
バカヤロー解散など やや傲慢な行動も目についた彼ですが
戦後の復興に 一役かったことは間違いないでしょう

この車で大磯の私邸と永田町を移動してたそうです
第三京浜は 東名が開通する前 彼の肝いりで造られたらしいですね
詳しくは http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82 で



ロールスロイスです 今も昔も世界の富豪に愛されてることには変わりありません
この磨きこまれた シルバーのボディ 
芸術・・・いや工芸品と言っても過言ではないでしょう
美術館に動体保存されてもいいくらいだと思います ではまた


TOKYO ♯1

2008年09月13日 | 写真・photograph

東急東横線 代官山駅近く 現在は改装中で 渋谷まで地下化されるそうです
僕の好きなアーティスト perfume のPV 『マカロニ』 にも全く同じアングルが登場します
なんか この板張りの軌道に ノスタルジー感じてしまいますね



代官山を散策中に 住宅街の中で見つけたとあるヘアサロン
まだまだ 残暑はキツイのか 向日葵も咲いております



一年中がハロウィン・・・ その関連グッズ売ってるショップで 一枚撮ってみました



意外にも 代官山は 庶民的な雰囲気も 同居してます
あるお宅の前で撮った 人懐こい猫ちゃんなのです



ここは 空きテナントなのかな
入り口の 独特の格子模様が印象的ですね
この 東京3Days あと一記事続きます


TOKYO ♯2

2008年09月13日 | 諸々・various

代官山を後にして 恵比寿駅に戻る途中で撮った一枚です



移動の流れが ややずれますが 
中野ブロードウエイ街・途中のカレーハウスの一枚です
僕はキーマ(挽肉)カレーを頼みましたが
日本人向けのマイルドな味わいでしたね

当然時期が時期だけに 秋冬物のラインナップに入れ替わってました

表参道ヒルズ 入り口にて
館内は原宿サイド 表参道サイドと分かれてましたが
案外 規模は小さかったのが残念でしたねぇ

 
今回の 東京行きの目的は大きく3つ 
① 愛媛から千葉・市川に兄が移してくれた父の墓参り
② ブルーマンの公演を観る事 
③ 僕のブログ=写真の大ファンである女性との語らい。。。だったのですが
事前に緻密にスケジュール組んだので
全て 恙無く(つつがなく)有意義に過ごせたと思っています

でも その結果 表参道 汐留 麻布十番 新宿 市川 
中野 代官山 恵比寿 羽田etcと移動しまくり 
松山に戻ったときはヘロヘロでしたけど

なにをさておいても とにかく暑かったので 
今度訪れる際は もっと涼しい時期に
いつものデジカメ持参で上京しようかと考えてますよ
携帯では 良い写真取れないので・・・ね

次に東京訪れるのはいつでしょうか 
その際の写真をお楽しみにね  ではまた




BLUEMAN

2008年09月08日 | 芸能・entertainment



ブルーマン・グループ(BLUE MAN GROUP)とは
クリエイティヴ集団である「ブルーマン」が
音楽や演劇など様々なパフォーマンスを展開する
顔を真っ青に塗った「青のクリエーター組織」である

「ブルーマン」は主に3人の青いキャラクターを示し
「ブルーマングループ」は劇場型のショーを意味する
米国オフ・ブロードウェイのショーとしては「STOMP」と並ぶメジャー作品
ミュージカルというより『劇場』という概念にとらわれない
アヴァンギャルドな前衛的パフォーマンスと言われるステージは圧巻

少しのご無沙汰の間に9月に入りました
まだまだ 残暑は厳しいですね 皆さんお元気ですか

さて 5~7日の金・土・日と東京に行ってきました
今回は 4月のときと違い いつものデジカメは持っていかなかったので
携帯で15枚ほど撮っただけですが 後日記事に興すつもりでいます

当然上の ブルーマンは盆踊りのはっぴ着てるので
僕の撮影ではありません
それはさておき ブルーマンの公演は とにかく凄かったぁ~
感想を言葉にすると 陳腐になるからやめておきます

あえて言うなら 僕が今まで観てきた 映画 音楽 芝居などの
エンターテイメントの中で間違いなく 第3位までに入りますね
ユーミンのシャングリラⅡと1位を争うくらいなので

公演は11月末まで延長されてます 
これを見ずして死ぬことなかれ・・・ってちょっと大袈裟かな
現段階で東京でしか公演ありませんが 
興味持ったら是非劇場 http://blueman.jp/index.html へGOです ではまた