風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

堪能しました。

2006年07月28日 | 食べもの帳
あまりにおいしくて1週間のうちに2度出かけたお店、「旬海鮮 時代屋やす兵衛」。



お店の前を何度も通り、ランチメニューや夜のメニューを眺めながら、いつか入ってみたいと思っていた。

初めて行ったときには、まぐろの尾肉のから揚げに感動。
他にも、柚子こしょうをつけていただく、鶏肉のソテーも抜群においしかった。
貝の刺身、とこぶしのふっくら煮など、オーダーしたもの全部良かった。

それらの味に舌が取り付かれてしまい、二度目はお義母さんと義弟、私たち夫婦の4人で出かけた。
一回目のときに印象に残ったものと他に、牛肉の朴葉焼き、もちカツオなども注文した。
まぐろの尾肉のから揚げには、再び感動!
な~んでこんなにおいしいんだろう。

とこぶしのふっくら煮は箸を使わず、カキを食べるときみたいに殻ごと口元へ持っていき、つるんと口の中へ滑らせた。
歯ごたえをほどよく残しながら、やわらかい。
だしの味が出しゃばらず、とこぶし本来の味と調和している。

海辺で生まれ育った義母は、魚の味をよく知っている。
その義母は、特にもちカツオに感動していた。
カツオは苦手だという義弟が、「こんなにうまいカツオは初めてだ」と目を丸くして言う。
魚介類すべて大好物の夫は、「うめえ!」を連発しながら、食べることに一生懸命。

最初の味に感激して再び同じ場所を訪れても、初めてのときの感動を上回るというのは難しい。
味が同じでも、舌に記憶があるためインパクトが弱くなってしまうのだと思う。
けれど、この店の味は奥深いのか、二度目も心地よくKOされた。
お値段もお手ごろ。
平均して一品600~700円ほど。

そうそう、飲んだあとは、鯛茶漬けで仕上げたい。
鯛とだし、ごはんのハーモニーがいい。
器の温度がそれらを上手に包み、指揮している。
今のような暑い時期でも、胃の腑が温まると満足度がさらにアップする。

店を出て、川面からの風に吹かれながらそぞろ歩いた。
ボラが跳ねる音にも趣を感じた。
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青い青い

2006年07月26日 | 清水ともゑ帳
暑い。
車を降りたとたんアスファルトから熱風が吹き上げてきた。
舗装された道路を少し歩き、水田へと向かった。
青田を渡る風は、さっきとは違い爽やかだ。
稲が順々にそよいでいく。
そのうねりは、応援のウェーブみたいだ。
「暑いけどがんばって」稲たちの声が、
涼風に乗って聞こえてきそう。
稲が青い。
空も青い。
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規則正しい生活

2006年07月23日 | 清水ともゑ帳
子どものころ、夏休みに入ると、必ずといっていいほど、「規則正しい生活を心がけましょう」と学校で言われた。
けれど、それができたためしがなかった。
朝の涼しいうちに勉強しましょう…という学校の指導を無視して、毎日、遊ぶのに夢中だった。
夏休み最後になって、泣きながら宿題を片付ける…毎年、その繰り返しをしていた。

それを夫に話したら、呆れた顔をしていた。
彼は7月中にすべての宿題を済ませ、8月に目一杯遊んだらしい。
目一杯遊んだのは、私も変わりなかったのだけれど……。

中学、高校のころは、ラジオの深夜放送ばかり聴き、社会人になってからは、深夜までの残業に休日出勤、夜遅くまで遊び歩くこともあり、規則正しさからはかけ離れていくばかりだった。
朝、なかなか起きられないのは、低血圧のせいだし、だいたいそんな模範的な生活なんかできるわけがない、と思い込んでいた。

それが、4年前から変わった。
人生で初めて、規則正しい生活が送れている。
夏の朝は5時ごろ、冬は6時ごろに自然と目が覚める。
特別な用事がない限り、アラームをセットしなくなった。
日中の家事なども、大まかな時間のリズムでこなせている。
そして、夜更かしもしない。
長い間、ダラダラ生活を送ってきた私としては画期的なことなので、時々自慢げに人に話したりもしていた。

ところが、最近になってふと気がついた。
生活ペースが変わることに、体が適応しにくくなってきただけかもしれない、ということに。
夜更かしは「しなくなった」のではなくて、「できなくなった」のであり、日の出とともに起きるのは、一度目が覚めると寝られなくて、二度寝の心地よさを味わえなくなった、という気がする。
とはいえ、近ごろの私の体には合っているみたい。

生活は変わっても、お尻に火がつかなければ、やるべきことをやれない性格は相変わらずだ。
あさって締め切りの課題をさっきやっと片付けた。


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汽笛の音

2006年07月22日 | 清水ともゑ帳
靄なのか霧なのか、視界がはっきりしない。
昨日の天気予報では、今日の静岡は「晴れる」はずだった。
けれど朝から、あたりの景色は白っぽく、小雨もぱらついている。

海からは、いつもより多く、汽笛の音が耳に届く。
ふだんは、音の輪郭がはっきりとしている汽笛が、今朝は気のせいか、綿に包まれたようにくぐもった音に聞こえる。
音のトーンが違って聞こえるのは、霧笛なのか……。



天気予報を期待して、すっきりと洗濯をしたかったけれど、ちょっと幻想的になった景色を眺めるのも悪くない。



パチンコ

2006年07月21日 | 清水ともゑ帳
私の父は、パチンコを卒業して久しいけれど、パチンコ歴は随分長かった。
30年近く、通っていたと思う。
物心ついたころには、私も父と一緒にパチンコ屋へついて行き、床に転がっている玉を拾っては、父の台へ入れていた。
社会人になると、私もパチンコへと足を運んでいた。
一度でも打ち止めを経験すると、次の休日もまた出かけたくなる。
大負けすると、スパッとやめ、長いブランクを経て、また何かのきっかけでハマる。
そんなことを繰り返しながら、最後に遊んだのは、もう10年以上前のことになった。

先日の三連休のとき、再び、「きっかけ」ができてしまい、パチンコに夢中になっている。
…と言っても、ネットでの無料ゲームなので、これなら、懐が痛まなくていい。
「三つ子の魂…」が蘇り、パチンコの血が騒ぐ。
WORDを使うつもりで、パソコンを立ち上げるものの、ちょっとだけこのゲームで遊んでから…と、自分に言い訳し、クリックする。
ほんとのパチンコなら、財布と相談して切り上げられるけれど、ゲームでは懐が痛まない分、延々と続けてしまう。
玉の流れを目で追っているうち目が疲れ、結局、すべきことをせずにパソコンをシャットダウンする。
これじゃぁ、夏休みの宿題を後回しにするのと同じだ。
自分に呆れてため息が出る。
そんなこと言いつつ、明日もまた、繰り返してしまいそう


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青色青光

2006年07月14日 | 清水ともゑ帳
ここ数年、黒のフォーマルが何度も、クリーニング屋さんと自宅の箪笥の間を往復している。
そういう年回りになったんだなぁと思う。
お寺のご住職のお話を聞く機会が多くなった。
若いころ、たまに聞く法話は、右の耳から左の耳へ通過していたけれど、近ごろは反芻しては、深くうなづく自分がいる。

ついこの前は、阿弥陀経にある言葉を、ご住職がこのように説明してくださった。
   
青色青光(しょうしきしょうこう)。
黄色黄光(おうしきおうこう)。 
赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)。
白色白光(びゃくしきびゃっこう)。

これは、浄土に咲く蓮華の花の美しさをたたえたもので、青い色の華は青い光を放ち、黄色い華には黄色い光が、赤い華には赤い光が、白い華には白い光があるのです。
それは、私たち人間にも言えることで、みんなそれぞれ違う個性があり、光っています。
人まねをするというのも限度があります。
青い色の人が無理して赤い色にはなれません。

色について詳しい人の話によると、青、黄、赤が混ざると黒っぽい色になってしまうそうですな。
しかし、これらが「光」の色となって混ざると、白く輝くんだそうです。
私たちもみな、それぞれの個性の色を精一杯放ちながら交わって、光り輝いていきたいものです。

と、お話を締めくくられた。

その晩、「青色青光…」と法話を振り返った。
私はどんな色の光なんだろう…今、放っている色があるとして、それは本当に自分の色なんだろうか…あれこれ考えていたら、いつのまにか眠っていた。

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電化厄年

2006年07月13日 | 清水ともゑ帳
先日の掃除機の故障に続き、今日はエアコンが壊れてしまった。
ウンともスンとも言わない。
幸い、一日の限られた時間しか使わない部屋なので、それほど大きな影響はないけれど、このエアコンは今年で4年目だった。
販売店の10年補償がついているので、明日、電話してみようと思う。

この前の壊れた掃除機は、修理でなんとか直りそう。
修理代も買ったときの金額の1割でおさまる見積もりで、一安心だった。

これまで我が家では、機械ものが壊れると、持ち込める物は、販売店ではなく、直接メーカーへ持ち込んでいた。
たいていのメーカーが、静岡、清水地区にサービスセンターを構えていた。
でも、ここ数年、生産性がなく採算が合わないという理由なのか、だんだん撤退し、関東方面での集中サービスに変わってしまうところが多くなった。

掃除機の修理をしてくれるというメーカーへ出かけたところ、とても新しい社屋でびっくりした。
時代に逆行するかのように、地方へこのような拠点を新たに作ってくれるなんて。
大げさな言い方をすると、砂漠にオアシスを見つけたような…だった。

次々と故障する我が家の電化製品、今年、厄年なのかしら……。

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ガッテン流

2006年07月12日 | 食べもの帳
NHKの『ためしてガッテン』が好きで、よく見ている。
食べることに関しては、実践してみると、本当に「ガッテン!」することが多い。
近ごろ、一番良かった「ガッテン流」は味噌の活用術だった。

たとえば、から揚げをするとき、水少々に味噌を溶き、肉をつけておく。
そうすると、肉のたんぱく質が分解され、うまみ成分のアミノ酸に変わり、ジューシーでおいしいから揚げができるというもの。
粉をまぶす前に、肉についた味噌は、水で軽く洗い流すといいらしい。
これは、魚でも同じことが言えるそうだ。

私は、ゴーヤチャンプルーを作るときに、この方法を少し変えてやってみた。
味噌少々を酒大さじ1くらいで溶き、豚肉を漬けておいた。
そして、味噌を洗い流さず、そのまま炒めた。
その分、味付けは塩加減を少なめにした。
味噌味はまったく気にならず、肉と具材の味がよく馴染み、いつもよりおいしくできた。

他には、つい最近、黒酢の酢豚を作るときにも、ガッテン流でやってみた。
以前、キャイーンがとんねるずの「食わず嫌い対決」に出演したときに、天野くんの大好物だった黒酢の酢豚がとてもおいしそうに見えたから。
でも、我が家の場合、豚肉ではなく、いつも鶏肉を使うので、正確には「酢鶏」だ。
やはり味噌を酒に溶かし、鶏肉を漬けておいた。
そのあと、味噌は洗い流さず、キッチンペーパーでぬぐい、粉をまぶして揚げた。
うちの場合、「揚げる」というよりも、少し多めの油で「炒め揚げ」が正しい気がする。
鶏肉がやはりとっても柔らかくて、いい感じだった。

そして、黒酢にもはまってしまった。
今まで、ただ冷水で薄めて飲むだけだったので、黒酢の意外なおいしさに感動だった。
黒酢のドレッシングも風味豊かだ。
オリープオイル、黒酢、醤油を混ぜるだけで、いろいろな野菜と相性がいい。

今夜の『ためしてガッテン』はバナナについて。
食べ物の話題は大好きなので、どんな「ガッテン流」が飛び出すか楽しみだ。


二番目に高い山

2006年07月11日 | 清水ともゑ帳
山登りを始めて、8年になる。
大学時代は山岳部にいたという職場の後輩に誘われ、私たち夫婦が初めて挑んだ本格的登山は、八ヶ岳の東天狗岳、西天狗岳だった。
山についての知識が乏しい私に、彼女は、
「日本で一番高い山はなんという山でしょう」と聞いてきた。
それぐらいは知っている、とばかりに「富士山でしょ」と答えると、彼女はさらに質問を重ねてきた。
「じゃ、二番目に高い山はなんという山でしょう」
「えっ、二番目?…二番目は…え~と、わからない」私は早速つまづいた。
「そうなんですよ~。これが意外に知られてないんですよ。正解は北岳です」と教えてくれた。

その北岳(3193m)に、4年前の夏、夫と二人でチャレンジした。
3分の2くらいまで登ったところで、天候がどんどん悪化してきた。
登り続けるかどうか迷いつつも、頂上を目指した。
行き交う人も少ない中で、下山してくる年輩の男性と出会った。
単独登山らしい。
男性は頂上まで行かずに下山にかかっているとのことで、私たちにも「引き返すのも勇気だよ」とアドバイスしてくれた。
以来、北岳は私にとって心残りの山となっている。

体調がよくなってきたので、この夏、登ってみたいと思っている。
と、いうのも、NHKの朝の連ドラ『純情きらり』の原作『火の山 ―山猿記―』(津島佑子/著)を読んだからだ。
上下巻とも400ページ以上に及ぶ長編だった。

火の山は富士山で、物語の舞台は、主に山梨県と東京になっている。
津島佑子氏は太宰治の次女で、この物語に登場する女学校教師だった笛子は母、青森県出身の画家、杉冬吾は父 太宰治とイメージが重なる。

正直なところ最初は、数ページ読んでは眠くなるほど、退屈だった。
それが、面白くなり夢中になったわけは、私も登ったことのある山々の名前や馴染みのある地名が出てきたからだ。
甲斐駒ケ岳、鳳凰三山、八ヶ岳、増富温泉、鰍沢、富士五湖など。
有森家の兄弟姉妹は、これらの山々を父親と共に登り親しんできた。
地図が読めない私だけれど、このあたりの地理は把握しているので、情景も目の前に浮かんでくるようだった。

そうなってくると、ドラマの舞台も原作どおりだったら良かったのに…なんて、わがまま勝手に思ってしまった。
でも、ドラマはドラマで面白く、毎朝楽しみにしている。

今朝、富士山のシルエットを見ていたら、夏山への期待が膨らんできた。

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ANNA2歳

2006年07月10日 | 愛犬ポポ
 私は猫を一匹飼っている。
 いや、この表現は正確ではない。私の気持ちの中では、猫は人間と対等の位置にある。日本語の便宜上「猫を一匹飼っている」と、書きはしても、私は、うちの猫のことを、一度も「一匹」と思ったこともなければ、また「飼っている」と感じたこともない。
 強いていうなら、私は、一人の猫と共に住んでいる、とでもいうべきだろう。

                    ― 伊丹十三/著 『猫』より ―


故伊丹氏のこの随筆の冒頭部分には、「うんうん」と思わずうなずいた。
伊丹流にいうと、私も二十数年前、「二人の猫と共に住んでいた」ことがある。
一昨年から、犬と暮らすようになり、猫と過ごしていたころの、忘れかけていたこんな感覚が、再び呼び起こされている。

氏が一緒に暮らしていた牝猫のコガネ丸の様子が面白い。
あるとき、氏は仲間と共に弦楽の合奏に励んでいたそうだ。
構ってもらえないコガネ丸は、一番上等なバイオリンケースの中に座り込んで粗相をしたという。
「自分が構ってもらえない時、(中略)立った腹の持っていきどころが無くてそういうことをやる」と、氏は書いている。

うちの犬ポポも同じようなことをする。
生理的に催すときはいいのだけど、ストレスを感じて用を足したときは、食糞をしてしまう。
まさしく、私たちが嫌がるようなことをする。
本人(本犬)にその気があるかどうかはわからないけど。
ポポに構いすぎているせいかもしれない。
夫と私が込み入った話をしているとき、私がドラマを見て感極まって泣いているときなど、ポポはケージの中のトイレへ飛び込んでいく。

今朝も、サッカーW杯の決勝を見ていたときだった。
PK戦5球目を蹴るイタリアのグロッソがボールを置いたところで、ポポがトイレへ走っていった。
用を足したあとは、すぐに取り除かなければならない。
けど、優勝が決まるかもしれない、この瞬間は見のがせない。
私は、テレビに向かっては「早く蹴ってくれ~」という気持ちだし、ポポには「まだ、しないでよ~」と、気が気でなかった。
双方のタイミングは、うまくずれてくれた。

そんなポポは、登録上の名前を「ANNA」と言う。
今日、2歳になった。
私の気持ちとしては、去年1歳を迎えたときよりも、「ああ、2年経ったんだ」という感慨に似た気持ちを強く感じている。
1年目は、初めての犬との生活に、自分の気持ちに余裕のないまま過ぎてしまったからかもしれない。
こうして、だんだん家族になっていくんだなぁと思う。
生後1ヵ月のころからの写真や書類などをあらためて見た。
そして、「アンナ」と呼んでみた。
ポポは、きょとんと首をかしげていた。

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蚊取り豚

2006年07月09日 | 清水ともゑ帳
「蚊取り線香の豚の置物」と、まどろっこしい言い方をしてきた。
つい最近のことだ。
これを「蚊取り豚」とか「蚊遣り豚」というのを知ったのは。
この豚を、陶器店などの店頭で見かけると、痛い思い出が蘇ってくる。

小学校低学年ころの夏だった。
母と何をもめたのか、大喧嘩をした。
いつも一方的に叱られるだけなのだが、その日、私は、どうしても引くことができず、とうとう癇癪を起こした。
縁側に出、蚊取り豚を両手で頭上に掲げると、思いっきり庭に叩きつけた。
蚊取り線香と同じくらいのもろさで、豚は粉々に割れた。

さあ、これでどうだ、とばかりに、部屋にいる母を振り返った。
そこには母の悲しげな顔があるだけだった。
それまで見たことのない切なそうな表情に、私は視線の行き場をなくし、形を失った豚をもう一度見やった。

とんでもないことをしたと気づき、母の膝にすがって泣き、「ごめんなさい」と謝った。
ふだんの母なら、「冗談じゃない。自分の小遣いで弁償しなさい!」と言うところだ。
が、意外にも母は、優しく許してくれた。

「危ないから向こうへ行ってなさい」
庭へ出て、背中を丸めながら、陶器の破片を一つ一つ丁寧に拾う母の後ろ姿に、胸が苦しくなった。
自分の意が通らないからと、物にあたったことが恥ずかしかった。
その後、二度と蚊取り豚が、我が家に置かれることはなかった。

母に許されたことで、あのときの後悔と反省が、一層深く私の心に残った。
もし、そのまま叱られていたのなら、いつもの親子喧嘩をしただけ、と頭の片隅に追いやってしまったことだろう。

「蚊取り線香の豚の置物」に出会う季節が、今年もやって来た。
彼らは相変わらずユーモラスなその姿で、親のようなまなざしを私に向けてくる。
教訓を生かしきれていない私は、急ぎ足でそこを通り過ぎたくなる。
けれど、視線の束をかわすことができず、私もまた彼らを見つめている。

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白桃ジャム&カスタード

2006年07月08日 | 食べもの帳
またまた買ってしまったヤマザキの5個入りシリーズ。
薄皮シリーズに似ているけど違うのは、二つの味が楽しめるところ。
他に、粒あん&ミルク、いちご&練乳、りんご&カスタードなどがあって、これはたぶん新発売。
白桃ジャムってどんなだろう?って、ちょっと心配だったけど、これも
薄皮シリーズのように、パン生地はしっとりで、2個続けて食べてしまった。
もう一度食べたくて、この1週間ほど何軒かのお店を探しているけど、なかなか再会できずにいる。
幻の味になってしまいそう


気になる木

2006年07月07日 | 清水ともゑ帳
今月初めのこと、運転していたら、前方の木に、薄い緑色した松ぽっくりのようなものが、いっぱい生っているのを見つけた。
木のある場所が近所の神社なので、次にはカメラを持って出かけた。
かなり背の高い木。
コンパクトカメラのズームを目一杯にし、なんとか写真におさまるよう、あーでもない、こーでもないとトライした。

私のその姿を見てのことか、うしろで声がした。
「こりゃ、何の木ずら?」
「松ぽっくりみてぇのがなってるんて、松じゃねぇだか」
「だけぇが、葉っぱは松じゃねえみたいだなぁ」
おじさんたちが三人集まって話していた。
会話の内容が、私が心の中で自問自答していたことなので、びっくりしてしまった。

こんなとき、ネットは便利だ。
家に戻り、早速調べてみた。
定かではないけど、レバノン杉のようだ。
レバノン杉は「杉」といっても「マツ科」に属するので、松ぽっくりみたいな実ができるらしい。
レバノンの国旗には、この杉がデザインされているそうだ。
そのような木が、神社の境内に高くそびえているのがちょっと不思議でもあり、これは、レバノン杉ではないような気もしてきた。

わからない時には歌っちゃおう。
  
  この~木なんの木 気になる木♪


別の角度からもう一枚

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七夕まつり

2006年07月06日 | 静岡
清水の七夕まつりが始まった。
犬の散歩もかね、そぞろ歩いてきた。

サッカーW杯の年、選手たちの姿がここにも。



夕方から夜にかけての賑わいには、子ども時代を思い出し、心浮き立つものを感じる。
またここ数年は、写真にあるような飾りがまだ出ていない早朝、地元園児たちによって作られた素朴な七夕飾りだけが並ぶ中を歩くのも、私にとってのこの祭りの楽しみとなっている。


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東海道ちょっくらウォーク2

2006年07月05日 | 静岡
以前、このブログを読んでくださった方から教えていただき、歩いてみたいと思っていた高架橋。
車では通れず、橋の上、フェンスに隠れている部分が歩行者、自転車用通路、下の水色のペイント部分には水路がある。
線路の上を跨いで水が流れている…と思うと、不思議な気分だった。



橋から静鉄狐ヶ崎駅を眺めていたら、ラッピング電車が入ってきた。
先月デビューした車両で、何度か見かけはしたものの、シャッターチャンスを逃していた。
静鉄グループの新カードのデザインが描かれている。



上原堤。



写真の奥に見える建物は大型ショッピングセンターで、このあたりはかつて、遊園地があった。
幼稚園の遠足、小学生のころは写生大会などでも訪れていた。
中高生のころは友達同士で、夏はプールに、冬はスケートリンクに何度か来た。
そして、この池でボートに乗ることもできた。
私は、今ではもっぱら、ショッピングセンターへ買い物に出かけるだけとなってしまい、池に来たのは久しぶりだった。



NHK『街道てくてく旅。』で、テルさんがこの池に来たのは、4月下旬だった。
あれから2ヵ月ほどが経ち、草木は生い茂り、たくさんのトンボが飛び交っている。
「木下闇」という季語は、木々がうっそうと茂り、昼なお暗いという世界のことだそうだが、池の周りにはそんな感じのところがあった。
この松は、東海道の旅人を見つめてきた木なのだろうか。
倒れそうになりながらも、太い幹で自分を支え、枝葉はさらに上へと伸びていた。


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