風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

ANNA2歳

2006年07月10日 | 愛犬ポポ
 私は猫を一匹飼っている。
 いや、この表現は正確ではない。私の気持ちの中では、猫は人間と対等の位置にある。日本語の便宜上「猫を一匹飼っている」と、書きはしても、私は、うちの猫のことを、一度も「一匹」と思ったこともなければ、また「飼っている」と感じたこともない。
 強いていうなら、私は、一人の猫と共に住んでいる、とでもいうべきだろう。

                    ― 伊丹十三/著 『猫』より ―


故伊丹氏のこの随筆の冒頭部分には、「うんうん」と思わずうなずいた。
伊丹流にいうと、私も二十数年前、「二人の猫と共に住んでいた」ことがある。
一昨年から、犬と暮らすようになり、猫と過ごしていたころの、忘れかけていたこんな感覚が、再び呼び起こされている。

氏が一緒に暮らしていた牝猫のコガネ丸の様子が面白い。
あるとき、氏は仲間と共に弦楽の合奏に励んでいたそうだ。
構ってもらえないコガネ丸は、一番上等なバイオリンケースの中に座り込んで粗相をしたという。
「自分が構ってもらえない時、(中略)立った腹の持っていきどころが無くてそういうことをやる」と、氏は書いている。

うちの犬ポポも同じようなことをする。
生理的に催すときはいいのだけど、ストレスを感じて用を足したときは、食糞をしてしまう。
まさしく、私たちが嫌がるようなことをする。
本人(本犬)にその気があるかどうかはわからないけど。
ポポに構いすぎているせいかもしれない。
夫と私が込み入った話をしているとき、私がドラマを見て感極まって泣いているときなど、ポポはケージの中のトイレへ飛び込んでいく。

今朝も、サッカーW杯の決勝を見ていたときだった。
PK戦5球目を蹴るイタリアのグロッソがボールを置いたところで、ポポがトイレへ走っていった。
用を足したあとは、すぐに取り除かなければならない。
けど、優勝が決まるかもしれない、この瞬間は見のがせない。
私は、テレビに向かっては「早く蹴ってくれ~」という気持ちだし、ポポには「まだ、しないでよ~」と、気が気でなかった。
双方のタイミングは、うまくずれてくれた。

そんなポポは、登録上の名前を「ANNA」と言う。
今日、2歳になった。
私の気持ちとしては、去年1歳を迎えたときよりも、「ああ、2年経ったんだ」という感慨に似た気持ちを強く感じている。
1年目は、初めての犬との生活に、自分の気持ちに余裕のないまま過ぎてしまったからかもしれない。
こうして、だんだん家族になっていくんだなぁと思う。
生後1ヵ月のころからの写真や書類などをあらためて見た。
そして、「アンナ」と呼んでみた。
ポポは、きょとんと首をかしげていた。

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