風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

いっぱいの出会い

2004年12月31日 | 清水ともゑ帳
8月6日から始めたブログ。
なんとか今年最後の日まで続けてくることができました。
159件の記事になったようです。
こんな記事を掲げていいんだろうかと思うものもたくさんありました。
でも、私が思っていた以上に皆さんが読んでくださり、また、そこを一歩踏み込んでコメントを残していただけました。
そのことが、私の日々の力となり、とても救われる思いで過ごすことができました。
本当にありがとうございます。
そして、よろしければ、また、来年も引き続きよろしくおねがいいたします。
HAPPYの風が、ずっとずっと吹き続けている2005年でありますように。
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そば打ち(4)

2004年12月31日 | 食べもの帳
できあがり~。
いただきま~す。
今年も一年、ケンカしながらも楽しくやってきたね。
来年もよろしくおねがいしますよ、お父さん。
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そば打ち(3)

2004年12月31日 | 食べもの帳
なんとなく、麺らしいカッコになりました。
お湯は鍋いっぱい沸かしました。
さぁ、ゆでていきましょう。
そば湯も楽しみです。
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そば打ち(2)

2004年12月31日 | 食べもの帳
いよいよ麺になっていきます。
細く揃えて切るのは、難しいようです。
がんばれ父さん
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そば打ち(1)

2004年12月31日 | 食べもの帳
さぁ、そば打ち開始です。
「おかくらのお父さん」こと夫のタクヤが、
腕をふるいます。
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この日のための床暖房

2004年12月30日 | 清水ともゑ帳
昨日、おせちのことに少しばかりふれました。
ちょっと大げさに言ってしまうと、私の一年の総決算は、おせち料理にあります。
そのために、今の住まいを決めたようなものです。
以前、アパート住まいのときは、おせち料理を作るために、キッチンに長時間立っていると、いつも足元が冷えていました。
ストーブを焚いても、顔がほてるばかりで、足が冷たいままでした。
そして、大晦日の晩、すべての料理を作り終えたあと、冷えた体をお風呂であっためながら、除夜の鐘を聞いていました。
それはそれで、よかったのですが、年明けにいつも、足の指がしもやけでした。

住まいについてなんの知識も情報もなかった私が、今のところを買うことにした決め手は、なんといってもキッチンの床暖房でした。
リビングに床暖が装備されたマンションはいくらでもあったのですが、キッチンにも標準でついているところは、当時ここだけでした。
でも、この床暖のちょっと不便なことは、暖める範囲を区切れないことです。
日中は室内が暖かいので使うことはないのですが、夜、ほとんど一人で過ごすため、広いエリアに床暖を入れるのがもったいなくて、あまり使いません。
でも、おせち料理を快適に作るときのためには、一人だろうと入れてしまいます。
そして、母の味付けを思い出しながら作ります。
生前、母が作っていたおせち料理の中で、私が一番好きだったのは、豆きんとんです。
今夜はこれからその豆を煮るための下準備をします。
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年末に燃えるもの、年末でも燃えないもの

2004年12月29日 | 清水ともゑ帳
とてもとてもぐうたらな主婦なので、たとえ年末でもまったく掃除をする気になれません。
私はアレルギーがあるくせに、「ほこりじゃ死なない」と豪語しています。
とてもきれい好きな夫は、「ほこりがあるストレスで死にそうだ」と言います。
家事全般、私はすべて嫌いなのですが、中でも一番イヤなのが、掃除と整理整頓です。
16年前、夫にプロポーズされたときに私は真っ先にちゃんと言ったのです。
「あたしは家事が全然だめだけどそれでもいい?」って。
そしたら、
「ともちゃんは何にもしないで、庭の花でも見ながら過ごしてくれればいいよ」
って言ってくれたのです。
結婚後、彼は言いました。
「普通、何もできねぇっていうのは謙遜で言うもんだと思ったけぇが、まさかおめぇがほんとにそうだとは思ってもみねぇっけ」と…。
寒いときの大掃除、ほんとに私は嫌いです。
年末だからしなければ、やらなければという、「させられている」気分でまずダメです。
かといって積極的に「したい」気分になるのは到底ありえないのですが…。

家事の中で、唯一好きなのは料理です。
掃除、片付け、洗濯などにくらべて、クリエイティブな仕事に思うからです。
毎年、お節料理を作るのが、一番燃えることで楽しいと思えることです。
家事に対して好き嫌いの両極面がはっきりする年末です。
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「MIX」って、へぇへぇ

2004年12月28日 | 愛犬ポポ
先日、ペットショップに立ち寄って知ったことがある。
それは、「MIX」に高い値段が表示されていることだ。
私は犬について情報を得るようになって日が浅いので、それはとても意外に思うことだった。
値段より先にまず「雑種」とは言わず、「MIX」と呼ぶことにも、60へぇくらいだった。
チワワとダックスのMIXの「チワックス」は、98,000円。
純のチワワ、純のダックスなら、68,000円なのに、ミックスなら3万円の付加価値が付くのだ。
他にも、ポメラニアンとパピヨン、シーズーとダックス、ヨークシャーテリアとダックスのMIXがいろいろあったけれど、いずれも血統書付きよりお高いのには、80へぇ以上だった。
夫は、ポメとパピヨンのミックスがとても気に入っていた。
「もし、ポポがいなかったら絶対買ってる!」と、断言した。
犬を飼うなら、ポメラニアンかパピヨン、と言い続けてきた彼には、両方が一緒だからもうたまらない。
確かにすごくかわいいワンコなのだ。
ポポの個性とはまた違うかわいらしさがあった。
狭い住居ゆえ、多頭飼いはできないのであきらめるしかないのだけれど…。
あとで、夫がぼそぼそ言っていた。
「このミックスは、ポメピヨンかなぁ、それともパピラニアンかなぁ」って…。
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A代表の合宿から…

2004年12月27日 | 清水ともゑ帳
「げんをかつぐ」ということは、あまり意味のないことと思っていた私だけれど、マラソンを始めてからその気持ちが変化した。
順位やタイムを意識し、いいと思うことは何でもするようになった。
プロ野球の監督や選手、オリンピックのアスリートたちが「げんをかつぐ」気持ちがよくわかるようになった。

3年前のこと、トルシエ監督率いるサッカーA代表の合宿に、スタッフとしてたずさわったことがある。
そのころの私は、「A代表って何?」と訊ねるくらいに、サッカーに疎かった。
合宿の施設内で、チームのトレーナーから、「○○選手は今どこにいるか知ってる?」と聞かれても、名前と顔が一致しなくて困った。
事前に手渡された写真とは、ヘアスタイルもヘアカラーの色も変わっていたから、なおさらわからなかった。
知っていたのは、出身校が私と同じ選手だけ。
とにかくすべてが初めてのことばかりだったので、彼らのゼッケンナンバーに対するこだわりぶりにも、私には「ほぉ~」という驚きがあった。
たとえば、ロッカーを使うときのこと。
身長が180cmくらいある選手たちがロッカーを使いやすいよう、高い位置にあるロッカーナンバーのキーを渡すようにと私は指示されていたのだけれど、彼らはあくまでも自分のゼッケンと同じナンバーを選ぶのだった。
そのロッカーの位置がたとえ、足元の低いところであるにしても。
練習のあとはまるで中高生の修学旅行みたいに遊んだりする彼らだけれど、コンフェデレーションズカップを前に、ますます勝つことへの執念が燃えていたようだった。
合宿の初日の夜のことだったと思う。
トルシエ監督が希望していたシャンプーをシャワールームに用意するように言われた私は、その準備ができたことを、室内のジャグジープールにいる監督と通訳のダバディさんに伝えに行った。
私がまずダバディさんに伝えると、フランス語で監督に言ってくれた。
監督は照れて耳までピンクになりながら、日本語で「ありがとう」と言ってくれた。
私は、水着を着ているんだから、そんなに恥ずかしがることないのに…と思いながら、監督の意外にもシャイな一面を知った。
たった3日間だったけれど、私が垣間見ていたトルシエ監督は常に優しくて紳士的だった。
スポーツ紙などでいろいろ言われてしまうと、こちらまで辛くなってしまうほどだった。
監督と選手、そしてサッカー界の間では、いろいろ難しい問題があったかもしれないけれど…。
通訳のダバディさんは、日本語での冗談も面白く、楽しいお話をする人だった。

以来、サッカーはぐっと身近に感ずるスポーツになった。
翌年のワールドカップのとき、すでに選手の顔と名前が一致していた私は、連日テレビに釘付けだった。

ワールドカップが終わってしばらくしてから、ダバディさんが語っていたトルシエ監督像が、私の印象にとても近いものだと知ったときには、ほっとした気持ちになった。
あのとき、日韓共催のワールドカップに向けてがんばっていたA代表の合宿にかかわることができたのは、とてもラッキーなことだった。

元日の天皇杯、そして、げんかつぎの1111円のことを考えていたら、そんなことを思い出した。
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お気に入りは、オロナ○ン

2004年12月26日 | 清水ともゑ帳
このところとても、オロナ○ン軟膏に助けられています。
…というのも、あかぎれがひどくなってしまったからです。
この商品、今でもCMをやっているロングセラーではありますが、花粉症が発症した5年前まで、私にとっては赤チンと同じくらい、懐かしいものの一つでしかありませんでした。
最初は、小さいチューブのものを買いました。
花粉症で、鼻や目のまわりのかさついてしまった部分にオロナ○ンを塗ったら、なんと一晩で元にもどったのです。
チューブのそれを使いきったあとは、迷わず瓶入りを買いました。
私の肌には高い栄養クリームを塗るより、「荒れ」という炎症を改善させるためにはいいように思いました。
この前、風邪をひいて、鼻の下がかさついた時も塗っていました。
ポポを飼ってからというもの、手を洗う回数が増えたせいか、カサカサがひどくなりあちこちひび割れて、指を動かすたびに痛みます。
あまり好きなにおいじゃないのですが、寝る前にオロナ○ンをすりこんでおくのが日課になっています。
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その後の1111円

2004年12月25日 | 清水ともゑ帳
「1111円」のレシートのことを翌朝、夫に話しました。
そして、レシートを見せたら、早速、宝くじの封筒へ一緒に入れました。
私は宝くじが買ってあることすら忘れていました。
彼曰く、1並びは一億に通じる…と、いうことだそうです。
ほんとかいな?
さて、元旦はどうなっていることでしょう。
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1111円

2004年12月24日 | 清水ともゑ帳
夕方、散歩をかねて買い物に出かけようとしたら、マンションの入り口にサンタさんのコスチュームをしたピザのデリバリーが来ていた。
きっとどこかのお宅で頼んだんだ…いいなぁ、よその家はパーティなんだなぁと思った。
ここ数日、街のあちこちで見かける。
師も走るけど、ピザ屋のサンタさんも大忙しだ。
スーパーに行ったら、いつもと同じ時間にレジに並んでいるにもかかわらず、長い行列。
ここでも、やっぱり、周りの人たちがうらやましくなった。
だって、うちのタクヤは今夜も仕事だし…あたし、一人じゃん…あっ、違う違う、今年はポポがいるから一人じゃないじゃん。
…って、あれこれ思っているうちに、私の順番が来た。
おおよそ今日の買い物金額はわかっていた。
1000円ちょっとはいくはずだけど、一万円札は細かくしたくないなぁと思っていた。
合計金額が液晶に映った。
おっ、おぉ~? 1111円!
1並びってなんかすごい!
いいことありそうじゃん!
一人で舞い上がってしまいそうなのをこらえて財布をさぐると、なんとか1枚だけ千円札が顔をのぞかせていた。
小銭も合わせて、支払いも全部一つづつで済ませた。
ついさっきまでの、ちょっとさみしくなるような気持ちはどこかへいって、私にもなんだかサンタさんが来たみたいでうれしかった。
確か、ヤワラちゃんは日本を出発するときの買い物金額がやっぱり1並びで、それで金メダルじゃなかったけ。
う~ん、なんだか、ヤワラちゃんみたいでうれしい!
今日のレシート、とっておこうっと。
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路上寝

2004年12月23日 | 清水ともゑ帳
ニュース記事を見ていたら、「路上寝」に頭痛める沖縄県警というトピックスがあった。
若いとき、私にも一度だけ経験がある。
会社の寮に入っていたころのことだ。
当時はよく11時の門限の時間が過ぎ、寮母さんが寝たころを見計らって活動開始していた。
みんなでベランダから非常階段を降り、塀を乗り越えて、繁華街へ飲みに出かけるのだ。
スナックで飲み、それからラーメンを食べて、帰りのタクシーを拾う。
そして、タクシーは寮からちょっと離れたところで止めてもらう。
いつもなら、またみんなで抜き足差し足で塀を乗り越え、階段を上り、ベランダからそれぞれの部屋へ戻る。
けれど、ある夏の晩、私は泥酔してしまった。
まったく力の入らない私をみんなが背負って部屋まで運べるはずもなかったし、私も歩く気力がなかった。
それで、私は今夜はここにいると言い張ってみんなを追い払った。
私はそのまま朝まで、アスファルトの上で寝てしまった。
寮の門はすでにあいていたので、私は何食わぬ顔で部屋に戻った。
すごく飲んだあとにもかかわらず、路上で迎えた夏の早朝がとてもすがすがしかったのを覚えている。
交通量の少ない道路だったけれど、何もなくて良かった。
路上で寝てしまうほうが悪いのだから、そのアクシデントにあった運転手も嫌な気持ちだろうなぁと思う。
やっぱりそんなになるまで、飲んじゃだめ。
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コシパン

2004年12月22日 | 清水ともゑ帳
今日はロルフィングのセッションの日でした。
平日の11時ごろの電車はそれほど混んでいないはずなのですが、今日は混んでいました。
学生が多かったのです。
そっかぁ、終業式だったんだ…と、気がつきました。
それにしても、これだけ学生がいっぱい乗っていると、ついつい目についちゃうんです。
女の子のすごい短いスカートと、男の子の腰パン姿。
…で、近ごろは女の子もジーンズがローライズを通り越して腰パンです。
私が高校生のころは、女子はスカートが長いとか、男子は学ランの刺繍とかボンタンとか注意されていました。
そのころは、「ビーバップハイスクール」とか「花の応援団」が流行ってました。
どの世代にもそういうのってあるものなのだなぁと思います。
でも、腰パンって歩きにくくないかなぁとか、急に走らなくちゃいけないときは大変だろうなぁとか、余計なおせっかいで思っちゃいました。
あれって、ウェストのサイズで買っても意味ないんでしょうね。
お尻のサイズ=ウェストにしないと、ズボンが下がらなさそうです。
股下のサイズは関係なさそうです。
腰パンにしている男の子の裾って、みんなボロボロなんだけど、あれもカッコよさの一つなのかしら…なんて、足元を見ちゃいました。
腰のあたりにトランクスをのぞかせているんだけど、もろに下着っぽいと「おいおい」と思ったり。
清水から熱海までの1時間半ほど、こんなふうに腰パンウォッチングをしていました。
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年末ステーショナリー

2004年12月21日 | 清水ともゑ帳
ふだんは目的買い以外では、あまり訪れることもない文房具売り場。
けれど、この時期になると、翌年のカレンダーや手帳、日記帳の類に吸い寄せられるように足が向いてしまう。
見本の品を、ぺらぺらとめくりながら、そこに何を書き込んでいこうかと、心はだんだんスキップ状態になってくる。
そして、気持ちは早々とあくる年の年末に一足飛びし、きっといい締めくくりが待っているはずだと考える。
…でも、いつも、そこで思考はストップする。
毎年毎年、日記には挫折し、たとえいいエンディングでも、記しておいたためしがない。
ふ~っと大きくため息をつきながら、今日も売り場から出てきた。
一昨年は、新潮社の「マイブック」に挑戦した。
これは「束見本」のような感じ。
見た目は一般的な文庫本のサイズで、中身は日付がふってある以外はブランクになっている。
けれど、1cmほどの厚さがあるものに文字を書き入れていくのが大変で、半年ほどでやめてしまった。
昨年は、書きやすいものにこだわって少し小さめの薄いノートにした。
一年の途中で違う色や形に変えるのがイヤだったので、同じものを2冊買っておいた。
結果は…2冊買うまでもなかった。
1冊目でさえ、途中でやめてしまった。
ブログはほぼ毎日更新しながら、5ヵ月目に入ったので、私の日記としては長続きしている。
先日、以前の日記帳を読み返してみた。
傾向として、心がネガティブなときは、小さい文字でくちゅくちゅ書いてある。
陽気なときは、そのときの気持ちを表すかのように、文字が大きく躍っている。
どんなときでも文字が一定しているブログは読みやすくていいけれど、ペンを持って書き記しておくのもいいものだなと思った。
いずれにしても、続かなければあまり意味がないんだけど…。
今の私に日記帳やノートは必要ないなと思いつつ、暮れの文房具売り場は、
つい足を踏み入れてみたくなる不思議な魅力がある世界だ。
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