「げんをかつぐ」ということは、あまり意味のないことと思っていた私だけれど、マラソンを始めてからその気持ちが変化した。
順位やタイムを意識し、いいと思うことは何でもするようになった。
プロ野球の監督や選手、オリンピックのアスリートたちが「げんをかつぐ」気持ちがよくわかるようになった。
3年前のこと、トルシエ監督率いるサッカーA代表の合宿に、スタッフとしてたずさわったことがある。
そのころの私は、「A代表って何?」と訊ねるくらいに、サッカーに疎かった。
合宿の施設内で、チームのトレーナーから、「○○選手は今どこにいるか知ってる?」と聞かれても、名前と顔が一致しなくて困った。
事前に手渡された写真とは、ヘアスタイルもヘアカラーの色も変わっていたから、なおさらわからなかった。
知っていたのは、出身校が私と同じ選手だけ。
とにかくすべてが初めてのことばかりだったので、彼らのゼッケンナンバーに対するこだわりぶりにも、私には「ほぉ~」という驚きがあった。
たとえば、ロッカーを使うときのこと。
身長が180cmくらいある選手たちがロッカーを使いやすいよう、高い位置にあるロッカーナンバーのキーを渡すようにと私は指示されていたのだけれど、彼らはあくまでも自分のゼッケンと同じナンバーを選ぶのだった。
そのロッカーの位置がたとえ、足元の低いところであるにしても。
練習のあとはまるで中高生の修学旅行みたいに遊んだりする彼らだけれど、コンフェデレーションズカップを前に、ますます勝つことへの執念が燃えていたようだった。
合宿の初日の夜のことだったと思う。
トルシエ監督が希望していたシャンプーをシャワールームに用意するように言われた私は、その準備ができたことを、室内のジャグジープールにいる監督と通訳のダバディさんに伝えに行った。
私がまずダバディさんに伝えると、フランス語で監督に言ってくれた。
監督は照れて耳までピンクになりながら、日本語で「ありがとう」と言ってくれた。
私は、水着を着ているんだから、そんなに恥ずかしがることないのに…と思いながら、監督の意外にもシャイな一面を知った。
たった3日間だったけれど、私が垣間見ていたトルシエ監督は常に優しくて紳士的だった。
スポーツ紙などでいろいろ言われてしまうと、こちらまで辛くなってしまうほどだった。
監督と選手、そしてサッカー界の間では、いろいろ難しい問題があったかもしれないけれど…。
通訳のダバディさんは、日本語での冗談も面白く、楽しいお話をする人だった。
以来、サッカーはぐっと身近に感ずるスポーツになった。
翌年のワールドカップのとき、すでに選手の顔と名前が一致していた私は、連日テレビに釘付けだった。
ワールドカップが終わってしばらくしてから、ダバディさんが語っていたトルシエ監督像が、私の印象にとても近いものだと知ったときには、ほっとした気持ちになった。
あのとき、日韓共催のワールドカップに向けてがんばっていたA代表の合宿にかかわることができたのは、とてもラッキーなことだった。
元日の天皇杯、そして、げんかつぎの
1111円のことを考えていたら、そんなことを思い出した。