風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

夢の涙

2004年08月25日 | 清水ともゑ帳
明け方、悲しい夢を見た。
姪っ子を抱いて、私は泣きながら一生懸命走る。
現実の姪は私よりずっと背が高くて、こっちが抱っこされそうなくらいなんだけど…。
夢の中の姪はまだ子供のまま。
折れそうな華奢な手足をしてるんだけど、私は強く強く抱きしめて彼女を救うために走っている。
ここまで来れば安心…と、ほっとしたところで目が覚めた。
その瞬間、涙がこめかみをつたって枕に吸い取られた。
私、ほんとに泣いていたんだなぁと思った。
そして、また、夢の中のストーリーを思い出して泣いてしまった。
夢なのに走るとちゃんと足が前に出て、逃げ切ることができた。
それだけにあまりにもリアルだった。
数ヶ月前にも、悲しい夢を見た。
そのときも今朝みたいに、夢なのにストーリーがちゃんとしていて、とても現実的で、目が覚めたときに泣いていた。
そんなことはそのときが初めてだったので、私っておかしいのかなと思って夫に話してみた。
「それってな、おめぇの感情が何かたまってんだよ。泣きたいことがあるのに、ふだんの生活じゃ泣けないこととかさ。そういう気持ちを夢っていう形で吐き出して、精神がおかしくならないようにコントロールしてんだよ。いわゆる防御本能ってのが働いてんだよ」
と、夫に言われた。
ほ~、そうか、なるほどね…って思った。
一笑に付されてバカにされるんじゃないかと思ってたのに、夫にしてはなかなかいいこと言うと思った。
はぁ~、それにしても切ない夢だったなぁ。
あっ、また涙が出てきた。

がんばるって何だろう?

2004年08月24日 | 清水ともゑ帳
「がんばってください」
「ハイ、がんばります!」
って、結構何気なく使ってるけど、ふと気がつくと重荷になってるなぁってことがある。
自分以外の誰かのペースに合わせてがんばる時って特にそう。
私の今までの仕事のほとんどが、「前月比○%、前年比○%を目指して社員一丸となってがんばるゾー!」「オー!」っていうノリだった。
100%は出来て当たり前、そこに二桁はのせて110%以上で、初めてちゃんと評価される。
そうでないと自分たちの給料にも反映されないわけだけど…。
人のペースで自分が走らされるのって大変だけど、実生活ではそういうことの方が多い。
向上、前進、成長…って気持ちいい言葉なんだけど、いつもそうならなくてもいいんじゃない?って、私は時々思ってしまう。
犬が散歩の途中で座り込んでしまって、びくとも動かないっていう場面によく出くわすけど、私は今、そのわんこの気分。
リードをどんなに引っ張られても、もう進まなくてもいいよ、進みたくないよって感じ。
甲子園やオリンピックでがんばった、がんばっている選手たちをみて、「感動をありがとう」って言いながら、ガンバリズムにのっている人たちを横目に、私はひっそりと自分のペースをかたくなに守ろうとしている。
コメント (4)

ボケたほうが幸せ…だなんて

2004年08月20日 | 清水ともゑ帳
ケアマネージャーが、こんなことを自分が言うのはいけないかもしれないんですが…と前置きして家族に言う。
ボケたほうが本人にとって幸せなのかも…って。

…っていうシーンが、小説の中にあった。
フィクションとわかっていても私はつい感情移入してしまった。
「そりゃ、ないでしょ」って。
いくら前置きがあっても、その言葉は、痴呆症にかかった家族を持っている人に向かって言っちゃいけないように思った。
その病人を介護する家族が、自分を納得させるために口に出したとしても、他人がそれを言っちゃいけないと思う。

うまく言えないんだけど、例えばこんな感じだ。
自分が大好きなおじいちゃんなりおばあちゃんが、百歳で亡くなったとする。
悲しくて喪失感でいっぱいなんだけど、それをこらえて弔問客に「大往生でした」と、
自分を納得させるためにもそう言って挨拶する。
そんなときに、逆に弔問客から「百歳まで生きられて大往生でしたね」
とは、決して言われたくないものだ。

この小説のケアマネージャーが「ボケたほうが本人にとって幸せだった」と家族に向かって言うのは、
「大往生でしたね」と遺族に向かって言うのと似ている。
なぐさめにはならないと思うのだけど、私が素直に受けとめられないだけなのかな。
幸せの基準なんて誰が決めるものでもないって思っちゃうのだ。
何歳で人生が終わろうと、どんな状態で生存していようと、
その幸せの基準というか満足感は、他人が推し量れるものじゃないと思っちゃうんだよね。
小説の中のほんのひとコマにすごく反応しちゃったんだけど、
あたしってどっか違ってるっていうかズレてんのかなぁ。
作者の意図は他にあったんだろうけど、私にはひっかかる場面だった。







コメント (2)

頂に白いベレー帽の富士山

2004年08月20日 | 清水ともゑ帳
やっぱり今日も暑くなりそう。
でも、今朝の富士山と空は秋の気配。

ブログ散歩

2004年08月11日 | 清水ともゑ帳
ブログを始めてみて、あらためてブログの多さに驚いている。
こんなにたくさんの人が自分の想いや出来事を発信しているんだなぁって思う。
そして、あちこちアクセスしては読んでみる。
興味のあること、同感したことはその場でコメントを入れている。
当たり前みたいことだけど、実にいろんな形の「今日」がある。
みんなの「今日」に触れつつ、自分の「今日」を振り返り、噛みしめる。
そうしてみると、今日を生きていられることって本当にありがたいことだ。

コメント (2)

今日はちょっと違うかも

2004年08月06日 | 清水ともゑ帳
毎日 何かしなくちゃ、するべきことはいっぱいあるのに…
と思いつつ、何から始めていいのかわかりませんでした。
パソコンの前に座っても、ゲームばかりやってしまって、
それだけで一日が過ぎていました。

以前から興味があったブログに今日はTRYしてみました。
昨日とはちょっと違う今日になるといいなって思いながら。
何かが始まるワクワク感です。
変化のない日々が過ごせることは幸せなことですが、
今の私はちょっと変化を望んでいます。
自分の周りにまとわりついてしまったよどんだ空気を動かして、
爽やかな風を感じてみたいと思います。
コメント (2)