風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

忘れちゃいけないんだよなぁ

2004年11月15日 | 清水ともゑ帳
起業家の人のサイトが好きでよくのぞいている。
コラムには、日々の決意や明日への意欲が書かれていることがあって刺激を受ける。
けれど、近ごろ、その中のいくつかに「あれ?」という変化を感じている。
事業が成功のきざしを見せ始めたせいだろうか。
会社を興したときのひたむきさや謙虚さがなくなり、「オレはビッグになった、オレはスゴイ」というものになっている。
確かにそう。
ずっと貴方のコラムやブログを読んできたから、どれだけがんばってきたかよくわかる。
でも、くじけそうになったとき、助けてくれた周りの人に感謝していたあの気持ち、今、どこにいっちゃったの?と、私はちょっとさびしく思う。
そして、そんなふうに思う自分について、わが身を振り返る。
そう、私だって…と思う。
今の仕事は年2回だけといっても、一応「ベテラン」と言われ、売り場に立てば新人にはもちろん正社員の人たちにも教える身となった。
私だって最初は何もできなかったのに、そのときの自分をすっかり忘れて、「なんでこのくらいのことができないの」みたいに、えらそうに指導しちゃってる。
私の失敗だっていろんな人のカバーがあって、仕事が回ってきたというのに…。

病気のときは健康な体を思うのに、健康になるとそれが当たり前になって忘れてしまう。
仕事も人生も、たくさんの人の支えがあって、自分が生かされているのに、ある程度の満足を得始めると、そんなありがたさをいつしか忘れてしまう。
体を病んでいたときのこと、社会の中でよちよち歩きだったこと。
忘れちゃいけないんだ、いつまでたっても。

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肌ツヤがいい…わけ

2004年11月13日 | 清水ともゑ帳
この一週間ほど、化粧のノリがいい。
あくまでも、just my thinking …なんだけど。
ファンデーションがすーっときれいにのびる時って気持ちいい。
特に朝、化粧した時なんか、それだけで一日のスタートが違う感じ。
隣人や職場の人への挨拶だって断然変わってくる。
肌の調子のいい訳はなんだろう…って、ちょっと思い巡らしてみた。
ロルフィング効果もあると思うけど、それを相殺してしまうくらいに、今の生活は肌に良くないことばかりだ。
仕事を始めたことによる睡眠不足、職場では一日中、エアコンの風にさらされている、季節的に乾燥している…などなどある。
身なりに頓着ない私は、化粧品は安いものばかりだし、顔を洗うのにもフェイシャルフォームなど使わず、体を洗う浴用石鹸で済ませてしまう。
にもかかわらず、なんだか調子がいいのは、気分のせいかもしれない。
鼻が治ってからというもの、いい「気」をいっぱい吸っているように思う。
呼吸とともに、幸運まで一緒に吸い込んでいる感じ。
現実にはそうじゃないかもしれないけど、自分の都合のいい方に考えている。
「風が吹けば桶屋が儲かる」式リレーならこんなところかな。
体調がいいと肌ツヤがいい→肌ツヤがいいと気持ちがいい→気持ちがいいと笑顔になる→笑顔でいれば運が向く。


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義父の古切手

2004年11月12日 | 清水ともゑ帳
この春、義父は叙勲した。
私は勲章というのがよくわからないが、瑞宝単光章というものだそうだ。
義父が生前、まだ療養中のころ、どこかの業者から、分厚いカタログが何冊か届いていた。
内容は、叙勲したときの額とか、祝いの品、お返しに使う品などが掲載されている。
そのときは、家族みんな、まさか義父が勲章を授与するなんて思っていなかったので、70代になった人たちに適当にカタログを送りつける商売があるのだと思っていた。
そして、世の中にはいろんな業種があるものだと笑いながら、あまり中身も見ず放っておいた。
あとになってわかったことに、カタログが入っていた封筒の中には、政府官報のコピーが入っており、業者は叙勲者と知っての送付だったらしい。
義父の他界後、勲章と賞状が届いた。
勲章は漆のケースに入っていた。
そして、賞状には菊のご紋と小泉首相の毛筆のサインがあった。
最初は興味がなかった私も、さすがにそれには「すご~い」と何度も見入ってしまった。
そうなると、じわじわと自分のことのようにうれしくなるし、自慢もしたくなった。
何人かにはそのことを話したのだけど、たぶん私はすごく鼻にかけていて嫌な感じだったのだろう。
「そんなのは名誉欲の何ものでもない。世の中には勲章をもらわなくても立派な人はいっぱいいる」ときっぱり言われた。
以後、私は義父の叙勲のことは身内だけの喜びにしようと決め、誰にも言わなかった。

先月、夫の実家の家屋解体に伴い、義父の遺品の整理をした。
そのときに、たくさんの年賀状や手紙とともに、封筒がたくさん出てきた。
封筒の表書きには、「切手500枚」とか「切手1000枚」と書かれていた。
それぞれを開けてみると、切り取られた古切手が入っていた。
義父は丹念に切り取っては、500枚、1000枚と数えて封筒に分け入れていたのだろう。
きっとボランティアに使うつもりだったのだと思うと、私はふいにあふれた涙をおさえられなくなった。
家族の誰も、義父がこつこつと古切手を集めていたとは知らなかった。
義父の叙勲は長年の公務員としての功労が認められたものらしいが、私には義父は公務員というより公僕というほうが似合っていたと思う。
義父もきっとそうありたいと思っていたのではないか。
古切手はいかにもそんな義父の社会への貢献の姿を物語っているような気がした。
外で生真面目に働く分、家庭にあってはお酒で荒れて家族をずいぶん悲しませてきたという義父だが、やはり国からの勲章はふさわしかったような気がしている。

大きな紙袋いっぱいになった古切手を、夫と私は家に持ち帰った。
マンションの掲示板に小学生が描いた「古切手を集めてます」のポスターが貼ってあるからだ。
義父の遺志を、未来ある彼らに託し役立ててもらえたらと願っている。




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コーヒーの反動

2004年11月10日 | 清水ともゑ帳
コーヒーを飲みたくて仕方ない。
先月から長引いていた風邪がやっと治り、香りも味もしっかりわかるようになったからだ。
コーヒーは私の健康のバロメーター。
今はすこぶるいい。
ひと月近く、コーヒーを飲んでいなかったせいか、その反動もあり、先週来、コーヒーばかり飲んでいる。
ほんとのコーヒーから、自動販売機の抽出コーヒー、ペットボトル入りのカフェラテまで、体が欲するままにコーヒーと名のつくものは何でも飲んでいる。
川島なおみ風に表現するのなら、今「私の血管にはコーヒーが流れている」状態。
さて、また、コーヒーを一杯入れてこよっと!
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犬の名前

2004年11月10日 | 愛犬ポポ
つい最近、ポポは散歩デビューをしたので、歩いているとよく名前を尋ねられる。
「ワンチャン、お名前なんていうんですか」
「ポポって言います」
「まぁ、かわいいですね」
…と、雛型みたいな会話が始まる。
この瞬間に私はいつもちょっと後悔する。
もっと、違う名前の方が良かったかなぁって。
この前、私とポポに話しかけてくれた小学生の女の子たちが飼っている犬の名前は「アンディ」だったし、ダックスの先輩の方のところは「ニーナ」だったし、なんだか隣の芝生っぽくよそが良く思えてしまう。
ポポはすでに、自分が「ポポ」という名前であることを認識しているので、今さら変えられないけど、気になってしまう。
ワンコのHPやブログでおじゃまする先々でも、いい名前に出会う。
ポポの血統書には一応「アンナ」と名前はあるんだけど…。
「ポポ」と命名したのには、作家の柳田邦夫氏が影響を受けたとおっしゃる、詩人の谷川俊太郎氏の意見による。
「パピプペポ」には、心を明るくする響きがある…というものだ。
それで、私は「パパ」「ピピ」「ププ」…というふうに考えて「ポポ」に決めた。

う~ん、なんだか軽やかな明るい感じはあるみたい。
やっぱり「ポポ」にしとこ!

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とにかく、ありがとう!

2004年11月05日 | 清水ともゑ帳
今朝、ほんのわずかだけど、味噌汁のだしとネギのにおいを感じることができた。
それがちょっとうれしかった。
職場に行くと、更衣室でコロンの香りをふわっと感じた。
いい香りだったからっていうんじゃなくて、香りがわかったことが心地よかった。
昼休み、社員食堂でラーメンを食べた。
おいしいとは言いがたいんだけど、麺を噛んだときの小麦粉のにおいがうれしかった。
仕事が終わって外に出ると、車が渋滞していた。
その排気ガスのにおいがむせるほどだった。
でも、体に悪そうな排気ガスさえ喜びだった。
デパ地下の食品売り場に入ったときは、食欲全開になるほど、いろんなにおいを嗅ぎ分けることができた。
家に帰るとポポのトイレのにおいが部屋に充満していた。
そのにおいで、ポポに対するいとおしさが増した。
今日一日、朝から夕方まで、鼻がどんどん元にもどっていった。

こんなにたくさんの香りやにおいを感じられる鼻になってよかった。
治療にあたってくれた耳鼻科の先生はもちろんなんだけど、なんだかいっぱいいろんなものに「ありがとう」って言いたくなった。

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当たる人

2004年11月04日 | 清水ともゑ帳
私には、一つプチ自慢できることがあります。
それは、福引で「当たり」を引く人、引けない人の見分けができることです。
かなりの確率で見極めることができます。
私は2年前から、デパートで中元、歳暮の時期だけ年2回だけの仕事をしています。
それはギフト商品売り場のカウンターで、お客様と先様の名前、住所、商品などをパソコンに打ち込む業務です。
ご注文いただいたお客様には、選んでいただいた商品や金額に応じて、福引の抽選券をお渡しします。
そのときに私は、「このお客様は当たる」とか「今回は残念」など、ピンとわかります。
そして、「当たる」と思った方が抽選をしている様子を見ていると、約9割の確率で鉦が高らかにカラ~ンカラ~ンと鳴るのです。
そんなふうにわかるようになったのは、私の勘が冴えているわけでも何でもなく、ただ経験によるものです。

初めてこの仕事をした歳末商戦のときに不思議に思ったことがきっかけです。
接客をしていて、こちらの方が楽しい気分にさせていただいた方に限って、よく抽選に当たっていたのです。
気のせいかなと思い、次のお中元の時には注意してウォッチングしてみました。
やはり同じことが起こるんです。
3度目、再びの年末を迎えた時は確信に変わりました。
どんな方が「当たる人」なのかという私なりの分析は次のとおりです。

①朗らかな人、明るい人、本物の笑顔の人
②プレゼントをすることが自分の喜びと思える人
③見返りを求めない人、欲のない人
④謙虚な人

先様のことを一生懸命想い描きながら贈る方や、それが自分自身の喜びと思い、相手からの感謝の言葉や見返りを一切思ってない方は、絶対と言っていいほど「当たり」です。
また、子供もよく「当たり」を引くのですが、それは子供には純粋さ、欲のなさ、屈託のない笑顔があるからかなと私は思っています。

…で、こんなふうに分析している私本人はどうかというと、「当たり」にはほど遠い人間です。
まず、①でダメです。
常に、世間に社会に周囲に怒りを振りまいてしまうからです。
ゴミの出し方が守られてないとか、放置自転車が多すぎるとか、いつも怒ってます。
②は大OKです。
③も大丈夫なのですが、それはちょっと意味合いが違って大丈夫です。
誰かを想うとき一方通行でいいのだといつも思っているんです。
見返りや欲など求めれば自分が悲しい思いをするだけだと、負の方に考えてしまうのです。
④は自分ではまったくわかりません。

「笑う角には福来る」
これはほんとにそうです。
私の歳末商戦は明日からです。
まず、笑顔、笑顔で仕事しよう!!
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心のおへそ

2004年11月03日 | 清水ともゑ帳
「あなたの中心は今どこにありますか」
「今どこに体の中心があったらいいなと思いますか」
ロルフィングのセッションを受けたときにこんなことを訊かれた。
自分の体の中心を意識したことなどなかったので、答にずいぶん戸惑った。
おへそのあたりの丹田というところを、体の中心として意識するといいというのを何かで聞いたような気もしたが定かではなかった。
エアロビクスやバレエのレッスンのときでも、体の意識をどこにもっていくか忘れていることが多い。

同じような戸惑いを、作家のM先生からの質問を受けたときも感じた。
「あなたのテーマは何ですか。何かを表現するにおいて、或いは人生においてのテーマでもいいけれど、何かあなたなりのテーマがあったら言ってください」
虚を突かれた私は何も言えなかった。
実は、そういうことを考えたこともなかった。
ぽか~んと口を開いたまま、フリーズしてしまった。
以来、「テーマ」についていろいろ考えるようになった。
「これだ」というものにたどりついたような、そうでないような…。
M先生がおっしゃったテーマとは、なんだか心のおへそのような気がしている。

ロルフィングのセッションのあと帰り道で、意識をどこにおいて歩くかということを実行してみる。
どこを軸にしているかを意識することで、体への負担がまったく変わってくる。
その負担の軽減で歩くことが楽しくなり、心もうきうきしてくる。

きっと「テーマ」というものも生き方においてそんな違いが出てくるのではないかと思う。
自分の心のおへそはどこなんだろう?
心のあり方や自己の内面から発するほんとの欲求、自分自身の核を探し根ざしてみること。
そんな心のおへそを意識して過ごしてみると充実感が変わり、何かいい日々の連続になるのかもしれない。

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