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徒然草 第百七十九段

2006-01-04 02:26:25 | 徒然草
 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して、六波羅のあたり、やけ野といふ所に安置して、殊に首楞厳経を講じて、那蘭陀寺と号す。
 その聖の申されしは、「那蘭陀寺は、大門北向きなりと、江帥の説として言ひ伝へたれど、西域伝・法顕伝などにも見えず、さらに所見なし。江帥は如何なる才学にてか申されけん、おぼつかなし。唐土の西明寺は、北向き勿論なり」と申しき。

<口語訳>
 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して、六波羅のあたり、やけ野といふ所に安置して、殊に首楞厳経を講じて、那蘭陀寺と号する。
 その聖の申されるは、「那蘭陀寺は、大門北向きだと、江帥の説として言い伝えてるけど、西域伝・法顕伝などにも見えない、さらに所見ない。江帥は如何なる才学で申されたか、おぼつかない。唐土の西明寺は、北向き勿論だ」と申した。

<意訳>
 宋で学び、帰国した道眼上人は一切経を持ち帰り、京都の六波羅のあたり、やけ野という所に経を安置した。とくに「首楞厳経」を教えとして、その地に那蘭陀寺を建立した。
 その道眼上人が言うには、
「天竺の那蘭陀寺の大門は北向きだと、江帥の説として言い伝え聞くが、『西域伝』や『法顕伝』などには見えない、さらに他の文献にも所見はない。江帥は如何なる根拠で北向きだと言われたのかが判らない。唐の西明寺は、もちろん北向きだ」
 と言っていた。

<感想>
 簡単にご説明いたしましょう。
 中国に留学してお経をたくさん持って帰った道眼上人。
 とくに「首楞厳経」というお経が気に入ったので、それを教えとして京都六波羅のやけ野に寺をつくりました。
 「首楞厳経」は、インド仏教のナランダ寺の教えが基本となっていましたので道眼さんは、それにちなんで自分の寺にも「ならんだ寺」と名付けました。
 ところが、ある日。
「普通のお寺の門って南向きだけど、北向きな門を持つ寺は、
 インドのナランダ寺
 唐の西明寺
 日本の六波羅蜜寺
 だ!」
 ずば~ん!!
 なんて江帥と呼ばれた、大江匡房という漢学者の説を知ってしまいました。
 道眼さんは自分の寺を「ならんだ寺」と名付けたので、なんだかすごく気になっていろいろ調べてみます。
 玄奘三蔵の「西域伝」(西遊記の三蔵法師)
 法顕三蔵の「法顕伝」(徒然草の84段で扇を見て泣いた人)
 などといったインドまで実際に行った人の見聞録にもそんな事は書かれていません、その他の書物にもナランダ寺の門の事はとくに何も書かれていないようです。
 こだわって調べていましたが、調べ疲れたのか、
 ある日、こんな事を他人にもらしていました。
 「大江匡房はいったい何を根拠にあんなことを言ったのだろう。何を情報源にしたのかよくわからない。唐の西明寺はもちろん北向きだよな」
 って言ってた。と兼行は最後にしめくくります。

原作 兼好法師


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