何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。
よくわきまえたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。
<口語訳>
何事も立ち入らない様しているのが良い。良い人は、知ってる事とて、さも知り顔に言うだろうか。片田舎より差し出た人こそ、万の道に心得た由の差し答えをする。然れば、世に恥ずかしいところあれども、自らもすごいと思う態度、見苦しい。
よくわきまえている道には、必ず口重く、問われぬ限りは言わぬこそ、すごい。
<意訳>
何事にもしらんぷりしているのが良い。知っていることだからと物知り顔に言いふらすのはあまり賢い人間のやることじゃない。
知った風な顔してしゃしゃり出て、あらゆる道に心得があるかのように受け答える。そして、そんな自分をすごいと思っている様子は、恥ずかしくて見苦しい。
良く知っている事でも、口にチャックして、聞かれぬかぎりは答えない。これこそすごいんである。
<感想>
俺はさ、兼好とはマブなわけよ。マブダチよ、心の友なんだよ。つれづれと時空を超えた友情なわけよ。はっきり言って俺ほどに、兼行と仲が良い人間がかってこの世にいただろうか、いやいない。
だからさ、兼チャンのことは何でも良く知っているんだよ。スリーサイズから好みのタイプ。今朝食べた朝飯の内容から今晩食うはずであろう夕飯の内容まで。知らぬ物などないぐらいに知り尽くしちゃっているんだよ。この俺に兼好について知らないことなどあるだろうか、いやあるまい。
そんでさ、もはや俺と兼チャンは行くとこまで行っちゃてんのよ。すでに一心同体。俺が兼チャンで、兼チャンもまた俺なのだ。俺のことは「平成の兼好法師」と呼んでもらってかまわない。いや、呼べ。
>実は、俺なんか級で言うなら「つれづれ五級」ぐらいで、そんなに兼好法師にくわしいわけではない。なのに良く知らないことを上記のように書き散らすのは、恥ずかしくて見苦しいよと兼好はいましめている。
原作 兼好法師
よくわきまえたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。
<口語訳>
何事も立ち入らない様しているのが良い。良い人は、知ってる事とて、さも知り顔に言うだろうか。片田舎より差し出た人こそ、万の道に心得た由の差し答えをする。然れば、世に恥ずかしいところあれども、自らもすごいと思う態度、見苦しい。
よくわきまえている道には、必ず口重く、問われぬ限りは言わぬこそ、すごい。
<意訳>
何事にもしらんぷりしているのが良い。知っていることだからと物知り顔に言いふらすのはあまり賢い人間のやることじゃない。
知った風な顔してしゃしゃり出て、あらゆる道に心得があるかのように受け答える。そして、そんな自分をすごいと思っている様子は、恥ずかしくて見苦しい。
良く知っている事でも、口にチャックして、聞かれぬかぎりは答えない。これこそすごいんである。
<感想>
俺はさ、兼好とはマブなわけよ。マブダチよ、心の友なんだよ。つれづれと時空を超えた友情なわけよ。はっきり言って俺ほどに、兼行と仲が良い人間がかってこの世にいただろうか、いやいない。
だからさ、兼チャンのことは何でも良く知っているんだよ。スリーサイズから好みのタイプ。今朝食べた朝飯の内容から今晩食うはずであろう夕飯の内容まで。知らぬ物などないぐらいに知り尽くしちゃっているんだよ。この俺に兼好について知らないことなどあるだろうか、いやあるまい。
そんでさ、もはや俺と兼チャンは行くとこまで行っちゃてんのよ。すでに一心同体。俺が兼チャンで、兼チャンもまた俺なのだ。俺のことは「平成の兼好法師」と呼んでもらってかまわない。いや、呼べ。
>実は、俺なんか級で言うなら「つれづれ五級」ぐらいで、そんなに兼好法師にくわしいわけではない。なのに良く知らないことを上記のように書き散らすのは、恥ずかしくて見苦しいよと兼好はいましめている。
原作 兼好法師