墨汁日記

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徒然草 第七十八段

2005-10-09 04:22:10 | 徒然草
 今様の事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。
 いまさらの人などのある時、ここもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、心得たるどち、片端言い交し、目見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心得ず思はする事、世慣れず、よからぬ人の必ずある事なり。

<口語訳>
 今風の事共の珍しいのを、言い広め、もてはやすのこそ、また受けいれられない。世で事旧るまで知らない人は、心にくい。
 いまさらの人などのある時、こちらで言いつけている言種、物の名など、心得たる同士、一部分言い交して、目見合わせ、笑いなどして、意味知らない人に心得なく思わせる事、世慣れてない、よからぬ人が必ずやる事だ。

<意訳>
 珍しい最近の事件などを、もてはやし言い広めるのも、また嫌なものだ。世間で言い古されるまで知らないでいるのが良い。
 はじめて会話に参加した人がいる時。わざと、今までの話のごく一部の内容や物の名前などを目配せなどをして互いに言い交わし、はじめて来た人がきょとんとするのを見て笑うような人達がいる。世間知らずの良からぬ人達がよくやる事だ。

<感想>
 78段は、76段と77段からつながった話で、77段の続きのようだ。
 76段と77段は、かなりダイレクトに兼好の自分自身へのいましめの気持ちもこめて書かれていたようだが、この78段は単なる一般論のようである。
 76段と77段に出てくる「聖法師(ひじりほうし)」とは、本当なら言う事も行いも世俗を離れた「聖」であるべき法師が、こんな下らない事をしているよ。聖がひじり泣いちゃうよ。という意味でワザと反対の意味で「聖法師」と書いたのだろう。べつに「聖法師」は具体的な誰かではないはずだ。兼好を含めた、そこらにいる法師みんなの事を指している。だから「聖法師」が出てくる76段と77段は、かなり自戒の念をこめて書かれたのだと思われるが、78段には「聖法師」も出てこないし、内容からみても、ただの一般論のようである。しかし、どこかにこうはなりたくないよね、なるべくなら下らない世間話とは無縁でいたいよね。という気持ちをこめて書かれているように読める。偉そうな事を言い散らしているようにも見えるけど、以外に兼好は純粋に謙虚なのだ。けんこうほうしだけに、けんきょほうし。

原作 兼好法師 


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