墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

えへへ

2005-10-05 20:09:43 | 徒然草
 マジでなにもかもどうでもよく、俺がどうだろうともどうでもよく、なにがなんでもいいのです。
 あらゆる問いには答えはでません。
 一と一を足せば二ですが、誰も一が正確になんであるのかを知りません。だいたいこんなものが一だろうという、それだけの話しです。一がなにか考えているうちに答えのでないまま人はゼロとなります。
 我々はつらなりの一断片とでも思えば良いのでしょうか。
 そうなると、子の一人も残さねば、人様として間違いのような気もしてきますが、精子など紙にくるんで捨てるほどあるので、わざわざ俺の精子を残す必要もありません。
 他人の感情につきあえばろくな目にあわない。
 それが兼好の経験則の法則でしょう。
 正直なところ、俺にはなにもわからない。

 これが孤独の行く先です。一人でも、二人でも、三人でも、結果はさほど変わりません。
 三人寄れば文珠の知恵などと言いますが、文殊の知恵では目先の答えしかでません。
 孤独も三人も、わからんものはわからんのです。 


他人が下らないから

2005-10-05 19:35:27 | 徒然草
 誤解ない様にねがいたいが、兼好はけっして「自分以外の他人が下らない」と思って、こんなことを言っている訳ではない。人の心は誰でもこの程度のものなのだから、できれば人とは距離を置いて、孤独になってみて自分だけの考えにひたってみるのもいいんんじゃないかと言っている。
 ようするに『考えろ』と言っている。
 引きこもりのすすめでも、出家のすすめでもない。ただ考えろと言っている。

 がだ。
 自分の頭で考えられる人には当たり前の下らない話しなのである。
 ちなみに俺は自分の頭じゃ考えられない。考えるのめんどくさい。誰か命令して下さい、女王サマ求ム。


徒然草 第七十五段

2005-10-05 19:17:15 | 徒然草
 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。
 世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
 未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。

<口語訳>
 つれづれわぶる人(孤独の寂しさをわびしく思う人)は、いかなる心なのだ。まぎれる方法なく、ただ一人でいるのこそ良い。
 世に従えば、心、外の塵に奪われて惑い易く、人に交われば、言葉、他人の聞くのに従って、さながら、心でない。人にたわむれ、物に争い、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まる事ない。分別みだりに起って、得失止む時ない。惑いの上に酔い。酔いの中で夢を成す。走って忙しく、惚けて忘れる事、人皆かくの如し。
 まだ、まことの道を知らなくとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあずからないで心を安らかにするのこそ、しばらく楽しむとも言えるだろう。「生活・人事・技能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にもございます。

<意訳>
 孤独を怖がっちゃいけない。寂しさをまぎらわす術もなく、一人でいるのこそ最高なんだよ。
 世の中に従えば、心は世俗の垢で真っ赤っかだ。
 他人の言葉に従い、人に交わって生きているかぎり、あなたの心は、あなただけの物ではない。人と争い、恨んだり喜んだりして、心はけっして定まらない。好きとか嫌いとかいう感情ばかりがさきばしり、自分が損したとか得したとかいうことばかりを考えてしまう。人の中にいるかぎり、あなたの心は迷い続ける。心が酔っぱらっていうようなものだ。酔った上に夢をみている。どんな偉い大人でも、人と一緒にいるかぎりこんなものなのだ。
 まだ、本当の道を知らなくても、友達や家族から離れて一人きりになろう。
 自分だけの考えの世界。空想の世界でもいい。とにかく、一人きりになって考えてみよう。
 あらゆる自分の身のまわりの事から距離をおいて、心を安らかにして、たった一人で考える事を楽しんでみよう。
 「今夜の晩ご飯。友達との約束。自分がやらなきゃ行けない事。明日の宿題。全てを忘れちまえ」って、中国の教典に書いてあったよ。

<感想>
 今日は、中学生でもわかるように意訳してみた。中学生でもわかるでしょうか?

原作 兼好法師