墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第七十一段

2005-10-01 20:29:48 | 徒然草
 名を聞くより、やがて、面影は推し測らるる心地するを、見る時は、また、かねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ、昔物語を聞きても、この比の人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかく覚ゆるにや。
 また、如何なる折ぞ、ただ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

<口語訳>
 名を聞くなり、すぐ、面影を推し測られる心地するが、見る時は、また、かねてより思ったままの顔してる人はない、昔物語を聞いても、この頃の人の家はそこ程だったのかと覚え、人も、今見る人の中に思われてしまうのも、誰もがかく覚えるのか。
 また、いかなる時か、ただ今、人の言う事も、目に見える物も、我が心の中に、かかる事はいつぞやあったと覚えて、いつとは思い出せぬとも、まさしくあった心地がするのは、我ばかりかと思うのだ。

<意訳>
 知らない人でも名前を聞いただけで、すぐに人相まで想像できるが、会ってみると思ったままの顔をしているは人は、まずいない。
 昔の物語を聞いたり読んだりすれば、その場所や人々を、今ある場所や、今いる人々に重ねてしまうが、誰もがそうなのだろうか。
 また。たった今、人の言った事。見た事。考えた事。そんな事がいつとも思い出せぬが、こんな事がいつだかにあったはずと感じるのは、俺ばかりであろうか。

<感想>
 兼好の頭の中は、近所に住んでるネアンデルタール人よりは、はるかに現代的である。
 これは、借り物の言葉だが、兼好は自分の頭で考える事ができる人間だったのである。
 「低きに流れる」が人間の基本的なスタイルで、普通の人はなかなか現実の自分を省みられない。所属する共同体に流されて生きるのが、楽で普通だ。一人の時はそれなりに頭を使うが、人と交われば楽な方に流される。他人に意見して生きるより他人の意見に従う方が楽だからね。
 ところで、兼好はどんな顔だったんだろうか。
 俺が想像するに、額が広く、眉はりりしく。目はどこか優しさをおびながらも、他人を寄せ付けない強さを持った目で、鼻筋とおり、痩せていて、くちびる薄い。
 芸能人で言うなら、爆笑問題の太田と、ギター侍を足して、二で割り、三かけたみたいな人相か。兼好にはジジイの肖像画しか存在しないが、若い時はそれなりに美形であったと想像できる。

原作 兼好法師