墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

おんな

2005-10-16 20:22:10 | 駄目
 女は、自分に都合が悪けりゃ、息子でさえ見捨てる。
 猿山の雌ザルは、新しいボスの為に我が子を捧げる。
 それが女への、確信である。
 都合は常に女の都合で、俺には預かり知れぬ。都合さえ良けりゃ、なんであろうと必死で包み込む。


親父

2005-10-16 20:05:50 | 日常
 俺は親父が苦手だ。恐れている。
 ジャイアンツが負けただけで文鎮がとぶ。機嫌で俺に対応する。俺はその人の機嫌によっての対応を求められた時点で、その人が苦手になる。機嫌につきあうのはめんどうくさいのだ。俺にだって感情がある。マジで親父とつきあうと疲れる。
 おふくろはいい人だ。俺を自由に育ててくれた。たいした干渉もせず、好き勝手にさせてくれた事に感謝はするが、最期の最期におふくろは俺を見放した。
 俺は交通事故で人を殺してしまった。留置所から戻った俺を、おふくろは「もう知りません」と見放した。裁判所にも一度も来なかった。そんな俺を何も言わずに助けてくれたのは文鎮を投げた親父だった。
 俺が懲役一年。執行猶予三年ですんだのは、被害者の遺族の方と、親父のおかげだ。おふくろは数年ばかり俺を忌み、たいした会話もなかった。


徒然草 第八十九段

2005-10-16 19:41:11 | 徒然草
 「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上りて、猫またに成りて、人とる事はあなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、独り歩かん身は心すべきことにこそと思ひける比しも、或所にて夜更くるまで連歌して、ただ独り帰りけるに、小川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、やがてかきつくままに、頸のほどを食はんとす。肝心も失せて、防かんとするに力もなく、足も立たず、小川に転び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何に」とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物取りて、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りけり。
 飼ひける犬の、暗けれど、主を知りて、飛び付きたりけるとぞ。

<口語訳>
 「山奥に、猫又というものあって、人を食らうらしい」と人の言いますに、「山ならなくとも、ここらにも、猫の経上って、猫又に成って、人とる事は有るらしいそうだ」と言う者ありますを、何阿弥陀仏とかいう、連歌する法師の、行願寺の辺にいましたのが聞いて、独り歩くような我が身は心すべきことだと思っていた頃、或所にて夜更けるまで連歌して、ただ独り帰りますに、小川の端にて、音に聞きし猫又、誤らず、足許へふと寄って来て、やがて飛びつくままに、頸のあたりを食らおうとする。肝心も失せて、防ごうとするが力もなく、足も立たず、小川に転び入って、「助けろや、猫又よやよや」と叫べば、家々より、松明ともして走り寄って見れば、このあたりに見知る僧だ。「これは如何に」と言って、川の中より抱き起こしたらば、連歌の賭物取って、扇・小箱など懐に持ったりしたのも、水に入った。希有にして助かった様にて、這う這う家に入りました。
 飼ってた犬の、暗くても、主を知って、飛び付いたんだと。

<意訳>
 何阿弥陀仏とかいう法師がいました。
 略して何阿法師で御座います。
 この人、行願寺の近くに住み、連歌を得意としておりました。
 その頃。巷で猫又の噂が流行る。
「山奥には猫又っていう、猫の化けたのが住んでいるそうだ。人を襲って食うらしい」
「なんでも、山奥じゃなくても、近所の猫でも長生きしたのは猫又になって人を襲うそうだ」
 この噂を聞いた、何阿法師。一人出歩く事が多い我が身、十分に猫又に注意するべきだと心がけておりました。
 ある日、ある所で、連歌の会が催されて、何阿法師の組は勝利し賞品を手にしました。夜も更けて、ただ一人で夜道を、賞品をふところにホクホと帰る何阿法師の脳裏にふと猫又の記憶がよみがえります。人を食らう猫の化け物か。
 小川に沿って家路を急ぐ、もうすぐ家だと思った瞬間。小川のほとりにケモノがたたずんでいる。噂に聞く猫又。
 そう思った次の瞬間、ケモノは何阿法師に飛びかかり、のど笛を噛み切ろうとしました。あまりの恐怖に足はすくみ、防ぐ事すらできない。なんとかケモノを引きはがすと、小川に飛び込んで大声で助けを求めました。
「助けてー。猫又だよ。猫又が出た!」
 松明ともして近所の家々より人が走りよってみると、近所に住む何阿法師が川の中でもがいている。連歌の賞品の扇や小箱などもすっかり水に濡れ台無しだ。
「いかがなされました」
 と人々が川の中から抱き起こせば、何阿法師は危機一髪で命が助かったという様子で、腰を抜かしたまま這って自宅にこもってしまいました
 なんでも、暗がりから何阿法師の飼い犬が主人めがけて飛びついたのが、猫又騒ぎの真相であるそうだ。

<バランス感覚>
「空ばかり見て歩けば、心が豊かになる。
 地面だけ見て歩けば、落ちてる金を見つけてふところが豊かになる。
 でも、たまには前を見て歩かないと、いずれ人にぶつかる」
 なんの話だと言われりゃ、なんの話だろ。バランス感覚の話である。
 徒然草の、このところの数段は、全て人にまつわるうわさ話である。兼好が人から伝え聞いた、興味深いうわさ話を書きとめておいたのが、この数段であろう。
 86段は、なかなか普通の人には言えない事を言った惟継中納言のありがたい話。87段は、信じられないような凶行の話。88段は信じられないような馬鹿の話。そしてこの89段は、やや教訓めいた何阿法師の騒動をコミカルに書く。
 なんてバランス感覚だと、舌を巻く。
 本能的にやっているのだろうが、読む人の心が偏らないように兼好はうまくバランスを取って章段を並べている。
 ありがたい話→救いようもない凶行の話→あり難い馬鹿の話→コメディ。
 この並べ方のバランス感覚はすざまじい。人を飽きさせない。
 人間、ポジでもネガでも、まんまずっとはいけない。栄養も精神もバランスを取らなけりゃいけない。だって涙がでちゃう女の子だもんの後は、箸が転がるだけで笑いころげるのだ。一つの感情にしがみつくなら、何かを見失うだろう。
 常にポジティブシンキングなんか心がけても、疲れるだけだ。失敗してもヘラヘラ笑っていたら他人から馬鹿だと思われる。感情なんか己でコントロール出来る物ではない、常に状況に流されるものだと理解するべきだ。
 落ち込むべき時には落ち込み、喜ぶべき時には素直に喜べばいい。常に陽気な人や、ずっと落ち込んだままの人の心は、変化を恐れるかたくなな心の人だ。自分で自分の心はこうだと決め付けている。兼好の言う閑かな心から遠く離れた人だ。
 豊かな感情を制御して、心を落ち着ける事が閑かな心だ。いつも落ち込んでいる心は自分で自分で偽って心を自ら底辺に置いている事を理解していない。自分が最低のわきゃないだろう。何故、自分で自分を最低と位置づける。そんなものはナルシズムにすぎない。自分で自分が可愛そうと嘆いているだけだ。言っとくが、あなたなんかより、俺の方がよほど可愛そうな馬鹿だ。救われるはずもない。わかるだろ。俺は35才にして、定職もないバイト君で、女にも見向きもされず、それでも女を望み今夜もセンズリをこく。本気で今からこく。あなたの方がよほど立派だと思う。
 俺は、表現を志し、あきらめた時点で負け犬で、今や応援しか能がない。
 野球少年で、プロを目指した親父が、身長制限で引っかかり、プロを諦め、テレビのナイターのジャイアンツを応援していたのと同じだ。応援ぐらいしか能がない。巨人が負けると文鎮がとぶ。
 
原作 兼好法師


徒然草 第八十八段

2005-10-16 16:27:41 | 徒然草
或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人「御相伝、浮ける事には侍らじなれども四条大納言撰ばれたるものを、道風書かん事、時代や違ひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。

<口語訳>
或者、小野道風の書いた和漢朗詠集といって持っていたのを、ある人「御相伝、浮いた事ではないでしょうけれども四条大納言撰ばれたものを、道風書く事、時代が違いませんか。覚つかないことです」と言いましたらば、「そうでありますからこそ、世にあり難い物で御座います」と言って、いよいよ秘蔵しました。

<意訳>
 ある者が小野道風の筆による「和漢朗詠集」だとして持っていた書物。これを見て、疑いを抱いた人が尋ねた。
「先祖代々受け継がれる御相伝を疑うわけではないのですが。道風が死んだ後に生まれた四条大納言の『和漢朗詠集』を、道風が書くなどという事が御座いましょうか。時代も違い、あり得ない話です」
 すると、書物の持ち主は嬉しそうに答えた。
「あり得ないからこそ、世にもあり難い物なので御座います」
 彼は、その後もますます大切に「和漢朗詠集」を秘蔵したそうである。

<感想>
 なんだか落語みたいな話で、実話かどうかは疑いぶかい。
 しかし、テレビ東京の「お宝鑑定団」の地方大会とかを見ていると、あー、こんな人もいたかもなぁ。まんざら嘘でもないのかもなぁと思ってしまう。
 俺を含めて、馬鹿に底はなく、果てもない。世の中には信じられない程の馬鹿が実在する。俺も含めてね。

原作 兼好法師


徒然草 第八十七段

2005-10-16 12:16:39 | 徒然草
 下部に酒飲まする事は、心すべきことなり。宇治に住み侍りけるをのこ、京に、具覚房とて、なまめきたる遁世の僧を、こじうとなりければ、常に申し睦びけり。或時、迎へに馬を遣したりければ、「遥かなるほどなり。口づきのおのこに、先ず一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さし受けさし受け、よよと飲みぬ。
 太刀うち佩きてかひがひしげなれば、頼もしく覚えて、召し具にて行くほどに、木幡のほどにて奈良法師の、兵士あまた具して逢ひたるに、この男立ち向かひて、「日暮れにたる山中に、怪しきぞ。止まり候へ」と言ひて、太刀を引き抜ければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を摺りて、「現し心なく酔ひたる者に候ふ。まげて許し給はらん」と言ひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。この男、具覚房にあひて、「御房は口惜しき事し給ひつるものかな。己れ酔ひたる事侍らず。高名仕らんとするを、抜ける太刀空しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬りに斬り落としつ。
 さて、「山だちあり」とののしりければ、里人おこりて出であえば、「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかかりつつ斬り廻りけるを、あまたして手負ほせ、打ち伏せて縛りけり。馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。あさましくて、おのこどもあまた走らかしたれば、具覚房はくちなし原にによひ伏したるを、求め出でて、舁きもて来つ。辛き命生きたれど、腰斬り損ぜられて、かたはに成りにけり。

<口語訳>
 下部に酒飲ませる事は、心するべきことだ。宇治に住みます男、京の、具覚房という、生めいた遁世の僧が、小舅でありましたので、常に交遊しました。或時、迎えに馬を遣したらば、「遥かな道程だ。口取りの男に、まず一服させよ」と、酒を出したらば、さし受けさし受け、よよと飲んだ。
 太刀うち差してかいがいしげなので、頼もしく覚えて、召し連れて行くうちに、木幡のあたりにて奈良法師の、兵士多数率いるのに逢ったのに、この男立ち向かって、「日暮れかかる山中に、怪しいぞ。止まりなさい」と言って、太刀を引き抜けば、人も皆、太刀抜き、矢つがえるなどしたのを、具覚房、手を摺って、「現実心なく酔った者に御座います。まげて許して下さい」と言いましたらば、おのおの嘲って過ぎた。この男、具覚房に向かって、「御房は口惜しい事して下さったものかな。己れ酔ってる事ありません。高名仕ろうとしたのに、抜いた太刀を空しくなされました」と怒って、ひた斬りに斬り落とした。
 さて、「山賊でた」と騒ぎましたらば、里人でてきて出あえば、「我こそ山賊よ」と言って、走りかかりつつ斬りまわるのを、大勢で手負わせ、打ち伏せて縛りました。馬は血ついて、宇治大路の家に走り入った。驚いて、男ども多数走らせたらば、具覚房はくちなし原にうめき伏してるのを、求め出して、かつぎもって来た。辛く命生きたけれど、腰斬り損じられて、かたわになりました。

<意訳>
 しもべに酒を飲ませる時は十分に注意した方が良い。
 京に具覚房と名のる、色めいた遁世の僧がいた。この具覚房は宇治に住む親戚と仲が良く、しょちゅう行き来しては一緒に遊んでいた。
 或る日、宇治の親戚の家からお迎えの馬が来た。具覚房は長い道のりを、馬を連れてやって来た馬の口取りの男に気をつかい酒を振る舞わさせた。
「往復ご苦労な事だ。この先も長い道中になる。酒でも一杯飲ませてやりなさい」
 男は杯をさし受けさし受け、よよとたらふく酒を飲んだ。
 準備ができ、具覚房が馬に乗ると二人は宇治へ向かい出発した。口取りの男は、太刀を腰にさした頼りがいのありそうな男なので具覚房は安心して馬の背中に揺られていた。
 木幡のあたりで、奈良の法師が多数の兵士を引き連れて来るのに出会った。それを見た口取りの男は、突然太刀を抜いて兵士達の前に立ちふさがると叫び出した。
「日も暮れかかる山の中で何者か。怪しいぞ。止まられよ!」
 兵士達も、太刀を抜き、矢をつがえる。あわてて具覚房は手をすり合わせて兵士達に謝罪した。
「この男は、正体もなく酔っている者で御座います。どうか刀をおさめて、お許し下さい」
 具覚房の必死の懇願が可笑しかったのだろう。兵士達は、なんだ酔っぱらいかと太刀をおさめ嘲り笑って去って行った。具覚房は男に対して怒りを覚え、さてなんと言ってやろうかと考えているうちに、男が口を開いた。
「あなた様は、たいそう口惜しい真似をして下さいましたな。せっかく手柄をたてようとしておりましたのに。この抜いた刀が空しくなりましたぞ」
 そう言うと男は具覚房に斬りかかり、ひた斬りに斬り落とした。
 その後。男は「山賊が出た」と大騒ぎして、何事かと里人達が集まると、「我こそ山賊よ」と言って、人々に斬りかかった。里人達は大勢で男を手追わせ、打ち伏して縛り付けた。
 いっぽう。具覚房を乗せてきた血だらけの馬は宇治の親戚の家に走り戻っていた。馬の様子を見た宇治の親戚はたいへん驚き、すぐに男どもをやって、具覚房を探させたところ、くちなし原でうめき倒れている具覚房を見つけて、担ぎ帰ってきた。辛くも命だけは助かったが、斬られた腰の傷は深く、具覚房はかたわとなった。

<感想>
 この段で書かれている事件は、短絡的で衝動的な事件である。
 文章から、具覚房の宇治の親戚は、大勢の人をたばねる武士であったのだろうと推測できる。この話に登場する口取りの男も、普段は単なる下男だが、戦争ともなれば戦いに参加する下級兵士でも、あったのではなかろうかとさらに推測する。多少は武術の経験もあったのだろう。
 この口取りの男はなにかが原因で鬱屈した心を抱くようになったのだろう。しかも鬱屈した心を晴らすことが出来ないままでいた。たまたま、今回は具覚房に切りかかったが、そうでなくても、そのうちに似たような事件をしでかしたのではなかろうか。もしかしたら、普段は無口で真面目な男であったのかもしれない。
 社会が閉塞してくると、狂気を内包する人間が増える。またそういった人々による凶行も増える。兼好の鎌倉時代も閉塞した時代であった。時代は乱世にかたむき、この時代を末世を思う人々が増えた。元寇から鎌倉幕府崩壊の時まで、息苦しいほどの閉塞感が人々に覆いかぶさっていたのではなかろうか。
 なにも、切れて衝動的な犯行に及ぶのは、現代人だけではない。昔の人だって切れて衝動的な犯行を行った。なにか事件が起こるとすぐに「現代が病んでいる」と、「現代」だけに重きをおいて評論する人がいるが、なにも病んでいるのは「現代」だけではない。「昔」だって病んでいたのである。「現代」という視点だけで衝動的犯行を語るのには無理はなかろうか。多少は歴史を参考にしても良いのではないか。
 それはともかく、なにか事件が起こると、お上のしめつけが強まり、世間の目も厳しくなる。すると、さらに時代は閉塞感を高めて、狂気を内包した人間が増える事になる。凶行も増える。そうすると、さらにますます、お上のしめつけは強まり、世間もさらに過剰に反応するようになり、閉塞感は高まるばかり。お上と世間のしめつけと、閉塞感のイタチごっこで、衝動的な犯罪は増えこそすれ、減る事はない。
 どこかで、時代そのものが閉塞感をリセットできないかぎり、行くとこまで行くしかないのだ。

原作 兼好法師