書店に行っても、ネットを開いても、「徒然草」はあふれている。
徒然草は現代まで読みつがれているベストセラーだ。
ところが、「徒然草」の口語訳って、非常にわかりにくいモノが多い。
他人の徒然草の現代語訳とか見ると、「僕が一番、徒然草をうまく訳せるんだぁ!」とかアムロになってしまう。そのくらいわけわからない訳が多い。でも真面目で謙虚な先達の方々は、あくまで自分の意味を生み出さないように努力して「徒然草」を口語に訳している。
俺がやっている事は、俺はこう読んだというだけの「意訳」だ。学習の役には立たない。
先達の方々の徒然草の現代語訳がわかりにくのは、訳者のせいじゃない。はなっから「徒然草」はわかんないように書かれているのだ。というか、兼好はわかってもらおうとは思っていない。
ただ筆の流れを楽しんでいるだけなのだ。
マジで兼好は単なる暇つぶしで「徒然草」を著した。そうとしか思えない。
暇でやる事もないから、書きたい事を書いたのだ。それだけだ。
ちゃんとはじめに兼好自身がそう言っている。
兼好の望んでいた物は「歌」と「仏道」だけ。
「徒然草」など、あふれる才能の欠片にすぎない。ついでなのである。マジどうでもよかったのだ。
だがよ。
皮肉な事に、兼好のあふれる才能において、一番適していたのが「徒然草」だったのだ。
「歌」も「仏道」も兼好は二流で終わってしまっている。
そういう人の文章だ。わかってもらおうとなんか思っていない。わかりにくいのは当然だ。兼好は本人も気づかないまま「徒然草」の為だけに生まれてきたような人だったのだ。兼好は根っからの「随筆家」だったのだ。「随筆」というジャンルもない時代に生まれてしまった根っからの「随筆家」が兼好なのだ。
徒然草は現代まで読みつがれているベストセラーだ。
ところが、「徒然草」の口語訳って、非常にわかりにくいモノが多い。
他人の徒然草の現代語訳とか見ると、「僕が一番、徒然草をうまく訳せるんだぁ!」とかアムロになってしまう。そのくらいわけわからない訳が多い。でも真面目で謙虚な先達の方々は、あくまで自分の意味を生み出さないように努力して「徒然草」を口語に訳している。
俺がやっている事は、俺はこう読んだというだけの「意訳」だ。学習の役には立たない。
先達の方々の徒然草の現代語訳がわかりにくのは、訳者のせいじゃない。はなっから「徒然草」はわかんないように書かれているのだ。というか、兼好はわかってもらおうとは思っていない。
ただ筆の流れを楽しんでいるだけなのだ。
マジで兼好は単なる暇つぶしで「徒然草」を著した。そうとしか思えない。
暇でやる事もないから、書きたい事を書いたのだ。それだけだ。
ちゃんとはじめに兼好自身がそう言っている。
兼好の望んでいた物は「歌」と「仏道」だけ。
「徒然草」など、あふれる才能の欠片にすぎない。ついでなのである。マジどうでもよかったのだ。
だがよ。
皮肉な事に、兼好のあふれる才能において、一番適していたのが「徒然草」だったのだ。
「歌」も「仏道」も兼好は二流で終わってしまっている。
そういう人の文章だ。わかってもらおうとなんか思っていない。わかりにくいのは当然だ。兼好は本人も気づかないまま「徒然草」の為だけに生まれてきたような人だったのだ。兼好は根っからの「随筆家」だったのだ。「随筆」というジャンルもない時代に生まれてしまった根っからの「随筆家」が兼好なのだ。