墨汁日記

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つれづれ映画化

2005-10-02 19:48:30 | 徒然草
リンク: 今出河院近衛(今出川院近衛) 千人万首.
 
 さて、「徒然草」映画化決定(妄想)の話しである。
 冒頭は第五十段。「鬼女の噂」からはじまる。広大な中世の京の都をセットに、群衆シーンで以外に金がかかる。
 都に、女が鬼になったのを率いて京にのぼったという噂が流れる。噂は騒ぎを呼び都は喧噪に包まれる。
 そこへ、若き兼好が供の者を連れて登場する。まだ出家前である。
 あまりの人だかりに閉口して、供の者に様子を見にやらせるが、帰って来た供の者は鬼などどこにもいませんでしたと報告する。
 兼好は直感する。鬼の噂など、まったくのデマで、この群衆はデマに踊らされている。兼好は自分が頭がいいと確信していた。しかし、その頭の良さを、この京の都でどう生かして良いのかがわからなかったのだ。兼好は橋の上から都を眺めながら、つぶやく。
「やっぱり出家するしかないか」

 時は十年ばかり流れる。兼好もすでに30代後半。最近は法師姿もサマになってきた。だが、兼好の真の目的は出家にはなく、歌人になることだったのである。
 憬れるは、平安の優雅な世界。
 もし、下級貴族として、自分の歌を世に出したなら、自分の歌は下級貴族の歌としてしか評価されないだろう。だが法師ならもはや身分は関係ない。法師という、ただの一人の人間として歌を評価してもらえる。それが出家のもうひとつのウラの目的であったのだ。歌の為なら「世」だって捨てられる。それが兼好法師の隠された本音であった。
 そんな頃、歌のつながりで、若い女に出会う。今出川院につかえる近衛(このえ)という女。何首も歌集に入選している新鋭の女流歌人。
 いつの間にか幾度となく、兼好と近衛は、私的に歌や手紙をやり取りするようになった。この頃、兼好はまだ歌人としては認められておらず、歌集への入選もない。いっぽうの近衛は若いながらも、何首も歌を歌集に収めている。
 兼好はすでに三十過ぎのおっさんで、なおかつ法師だ。近衛にアタックできるような人間では、ない。
 ある雪のつもった朝。兼好は使用人に近衛あての手紙を持たせた。たいした用事なんかじゃない、ただ近衛に手紙を書きたかったから、昨日の夜に書いた手紙を使者に持たせたのだ。
 午前中のうちに返事が来た。
「今朝の雪の白さにもふれらぬような偏屈な方の、頼み事を聞き入れても良いものかしら」
 思わずニタ~と笑う兼好。近衛ってば。か、可愛いい。
 
 ある月のきれいな夜。兼好は供もつけずに月見に出かける。
 秋の月こそ最高だよなとか思いながら、ブラブラ歩いているうちに、郊外にある近衛の家の前にたどりついてしまった。
 俺は漢字の漢と書いておとこ兼好法師だ! 近衛に淫らな思いなどない。いやマジで決してないはずなのだ。清い歌の付き合いなのだ。ましてや俺は法師だ。法師の姦淫など俺の美学が許さない。許すまじきだ。女の髪で結った縄には象すらおとなしく繋がれちゃうんだよ。
 でも。会うだけ。会ってお話しするだけなら、誰もとがめないよね。
 
 気後れしながら、近衛の家の門を叩くと、年とった女中が家の中に案内してくれた。男手が足りないのか、庭には草が生い茂る。虫が鳴いている。
 家の中には、普段から焚いているのだろう、なんともいえぬ香の匂いが柱にまで染み付いている。

 近衛と会って、話しをしてお茶を飲んだ。それだけだ。
 なごりおしく、つい帰るふりをして、見送ってくれた近衛の様子を見守る。近衛は扉を閉めずにしばらく月に魅入っていた。兼好は思う。俺と同じ月を見ている。なんだか小便を漏らしそうになるほど感動してしまう。

 それから、数日後。兼好が仕えていた堀川家の主君が亡くなられた。かねての縁もあるのでイヤイヤながら葬式に出席する。
 あー、葬式はかったるいと帰宅した兼好に、さらなる訃報が届く。
「近衛が死んだ」
 なんで。まさになんでだ。

 近衛は死んだそうだ。
 その夜に近衛からもらった手紙などを取り出して眺める。いろんな記憶がとめどなく溢れ出し、涙が流れそうになる。
 ふと、むかし自分が書きなぐった反古の類いを見つける。そういや、この頃は「枕草子」に憬れて似たようなモノは書けないかと模索していたっけ。思いついたように兼好は墨をすりはじめる。筆に墨をつけて少し考えてから、反古のウラに書き連ねる。
「つれづれなるままに」


徒然草 第七十二段

2005-10-02 17:27:16 | 徒然草
 賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる。
 多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。

<口語訳>
いやしげな物、座るあたりに調度が多い。硯に筆が多い。持仏堂に仏が多い。前栽(前庭)に石・草木が多い。家の中に子孫(こうまご)が多い。人にあって詞(ことば)が多い。願文に作善(善行)多く書いて載せる。
 多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。

<また出た『からぬ』>
 この段の最後の方に「多くて見苦しからぬは」と書いてある。それを見たとたんに「からぬ」がまた出たよと思ってしまった。
 この段自体は、「賤しげなる物」から始まり、兼好の嫌悪する状態を書いている。家の中に「子孫」が多いことを「賤しげ」と言い放つ感覚は兼好節ともいえる一刀両断で、自分に子がない事の負け惜しみにも取れない事もないんだが、兼好ってやつはこういうキャラクターなんだと納得してやるしかない。多少、偏屈だけれども兼好も根はいいやつなんですよ。
 それはともかく「からぬ」だが、「私らしからぬ秋の装い」だとか「よからぬ相談」などの様に、「らしくない」とか「よくない」などの、打ち消しの意味で今でも普通に使われている言葉だが、じつは辞書にも載っていない素性がまったく不明の言葉なのだ。「からぬ」の「から」は「~から」の「から」であろうか。「ぬ」は打ち消しの「ぬ」だろうか。
 かって、徒然草の第四段を訳した時にも「疎からぬ」を「疎くない」と訳して良いものかと、ずいぶん悩んだ。結果、橋本治の現代語訳を参考に「疎いからね」と訳してしまった。
 今回は「見苦しからぬは」である。これなら、「見苦しからぬ」の後に「は」がつくので文法的にも間違いなく、「からぬ」の「ぬ」は、打ち消しの「ず」の連体形の「ぬ」である。「からぬ」は辞書に載ってないので、「見苦しからぬは」を無理やり口語にすれば「見苦しいからないのは」とでもなろうか。とにかくこの段では素直に「見苦しくないのは」と訳しておくのが文脈から見ても無難なようである。
 ちなみに、文中にある「文車(ふぐるま)」は、室内で書籍を運ぶ荷車のことである。大八車か、絵本の桃太郎が、鬼からのぶんどり品を運んだ荷車を想像してもらいたい。だいたいあんなものである。
 「塵塚(ちりづか)」は塵を捨てる場所と辞書に書いてある。ゴミ捨て場のことか。

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<意訳>
 いやしげに見えるもの。座る人のまわりに道具が多い、硯に筆が多い、持仏堂に仏像が多い、庭に石や植木が多い、家の中には家族が多い、人にあったら言葉が多い。仏への願文には自分の善行をやたらと多く書いてある。
 多くて見苦しくないのは、文車の本と、ごみためのごみ。

<感想>
 こんな芸風の芸人がいたなぁ。「いやしげに見えるもの~」とか叫ぶんだよね。名前は忘れた。
 テキストに「まったく、枕草子の筆法」と書いてあったが、と言う事は、兼好はかなり「枕草子」を意識して、この段を書いたのであろうか。「枕草子」を全く知らないので、なんとも言えない。

原作 兼好法師