墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

あー

2005-10-22 20:59:03 | 駄目
 あー。なんかまだ書き足りねーなー。なんか書きたいんだけど、すでにアルコールが指にまで回ってて、キーが満足に押せない。
 なんか、人に尊敬されるような事を書きたいな。いや、目立つ事。目立つならなんでもいいんだ。俺がココにいる証みたいなね?
 暴走族の夜露死苦みたいな。そんな文章書きたいよね。「坊ちゃん」や「我が輩は猫である」はその点がうまいよね。
 俺には付加価値がまったくないので、俺の付加価値ををあげなきゃどうしようもないんだけど、俺は俺の価値をさげるような事しか書けない。真実だからね。ルポタージュでコンソメ味なのだ。
 というのも、下らないおふざけで、どうでも良くて。
 俺は世界の中心なんだけれども、世界を受信する感性こそがこの世界の中心なんだけれども、世界は片隅にある中心など無視して回り続ける。


徒然草 第九十五段

2005-10-22 20:20:11 | 徒然草
 「箱のくりかたに緒を付くる事、いづかたに付け侍るべきぞ」と、ある有職の人に尋ね申し侍りしかば、「軸に付け、表紙に付くる事、両説なれば、いずれも難なし。文の箱は、多くは右に付く。手箱には、軸に付くるも常の事なり」と仰せられき。

<自信のない口語訳>
 「箱の環にひもを付ける事、どちらに付けますべきか」と、ある有職の人に尋ね申しましたらば、「本体に付け、蓋に付ける事、両説なれば、いずれでも難なし。文の箱は、多くは蓋に付く。手箱には、本体に付けるも常の事である」と仰られた。

<自信のない意訳>
「箱のワッカにひもをくくる時は、結び目をどちらにつくるべきでしょうか?」
 こんな事を、ある有職の人に尋ねてみた。
「本体でも、蓋でも、結び目はどちらでも良い。だが、人に文書を送る時には必ず結び目を上にする。自分がふだんに使う小箱なら結び目は下である。これが常識だ」
 と仰られました。

<自信のない感想>
 情報が少なすぎて、この段は良くわからない。
 だが、それではすまないので、想像力を働かせて考えるに。
 まずは、浦島太郎の玉手箱を想像して欲しい。たぶん、箱に緒をつけるとは、浦島太郎が抱えてた玉手箱のような状態なのだろう。
リンク: 片輪車蒔絵螺鈿手箱.
 次に、このリンクに飛んで、写真をクリックして、箱の本体に鉄輪がついているのを確認して欲しい。たぶん、これが兼好の言う「箱のくりかた」であろう。
 ようするに、兼好は箱についてるワッカにひもを通すときは、上から通すのか、下から通すのか、どちらが正しいのかを疑問に思って有職の人に尋ねてみたらしい。
 「有職の人」とは知識がある人。
 その答えは、ヒモの通しかたは箱の用途や場合による。というものでした。
 自信はないけど、たぶん。この段はそういう話だと思う。

<感想>
 俺はお札の並べ方にこだわる男だ。
 かって、給料を現金でいただいていた頃には、わざわざ給料袋のなかのお札をひっぱりだし、自分の手前を基準として、お札の人物の向きと、金額による差異で並べ替えてから、また給料袋にしまったりしていた。
 それは、現在まで続く俺のこだわりで、現在でも財布をひらいた時に常に最小単位の紙幣が自分の手前に来ていないと、非常に気分が悪い。
 俺は、二つ折りの財布を使っているが、常に財布の中では、最小単位の紙幣。ようするに千円札が、財布をひらいた時に一番手前にくる。一万円札は必ず奥である。しかも、お札の肖像画は、財布をひらいた時にちゃんと正面を向き、うらおもて勝手な向きを向いている事をけして許さない。さらに肖像画の頭の向きもそろえる。でないと気がすまないのだ。
 お札がうらおもてバラバラで、さらに単位も気にせず並んでいる他人の財布を見ると、こいつは馬鹿じゃねいかと思ってしまう。
 下らないこだわりでしょ。
 しかし、この世に存在する作法や、お行儀など、たいていはこの程度の下らないこだわりなのだ。
 作法など、誰かの下らないこだわりが現代まで根ずいちゃったものにすぎない。
 作法は、強烈な個性を持ちつつ、なおかつ影響力のあった人間の模写にすぎない。ようするに基本はつまんないこだわりだ。溝上さんなら、すぐさま「つまんない」というはずだ。
 お茶も、華道も、書道も、伝統芸能も、下らないこだわりの積み重ね、もしくは猛烈な個人の個性のコピーにすぎない。
 だがだ、下らないなと言いつつ。そういう伝統を否定しきると人は過去から学ばなくなる。人真似ができない個性だけの人間は、他人とうまくコミニュケーションがとれない。やがては、バベルの塔がくずれたかのような有様になり、人々は離散してまう。
 言語が良い例だ。言葉こそ、人真似に他ならない。どんなに個性的で魅力的な人間であろうと、勝手にオリジナルの言語体系を作り、それでしか語らない限りは誰からも理解されない。
 伝統や作法などには、もともと意味はない。下らないこだわりにすら思える。だが、それにのっとらないかぎり他者とのコミュニュケーションは不可能である。
 と言うような事を、前段とこの段で、兼好は語りたかったのではなかろうか。
 伝統や規則を守る者達は、頭が固くて、時には人の生活や感情すら踏みにじるが、そういう人達が伝統を守っているからこそ、この世はかろうじて成り立っているのである。

原作 兼好法師


暗い

2005-10-22 06:07:07 | 携帯から
日が昇る時間がすっかり遅くなった。なかなか明るくならないので今朝の天気もなかなか分からない。けど、どうやら今朝はくもりらしい。夜だか朝だかわからない街を抜け、ポン引きに声をかけられながら、電車に乗って仕事に行く。