ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

まどかと共に2

2014年09月13日 17時12分48秒 | 教育・指導法

JA紀北川上のゆるきゃら「かきたん」


橋本西の監事 山田浩之先生が持ってきてくれました!








道場内のまどかのそばに置きました。










大阪の堺常磐スポーツ少年団の久田先生がたくさん持ってきてくれました。



石切さんの「いしきりん」や道衣のチョッパー(久田先生のお知り合いの方が作られたとか。)



























みなさん、ありがとうございます!

まどかと共に

2014年09月13日 17時11分29秒 | 教育・指導法
まどかの写真に供花していましたが、日差しや風の関係で、代りに「ぬいぐるみ」を置いてやることにしました。


↑倉敷葦高スポーツ少年団の渡邉先生が送ってきてくれました!



最初はこんな感じでした。










しばらくして増えてきました。橋本西の皆さんが提供してくれました。












その後、育夢学園の人たちも提供してくれて、とても賑やかになってきました。














かほとあやのが整理して並べてくれました。(もっときれいに並べていきます!)










巻き込む指導技術

2014年09月13日 03時35分09秒 | 教育・指導法







少林寺拳法 橋本西道院・橋本西スポーツ少年団 道場通信

ドリーム №782(ただしくは783)


発行日 2014年9月7日(日) 文責・発行 長坂徳久



※月曜日⇒子どもたちへ。木曜日⇒保護者へ。土曜日⇒一般へ。日曜日⇒指導者へ。



【巻き込む指導技術】
 

 昨日(9/6)の稽古の学科は、「百人一首」「授業」「指導研究会」だった。時間は60分。

 授業は、道徳で「敵兵を救助せよ」(長野県の小嶋悠紀先生(TOSS)の追試。)

第二次世界大戦中の実話。日本の駆逐艦「イカヅチ」が、沈没して海に24時間漂流していた敵兵イギリス兵422名を救助したことを授業に

したものです。
 

その授業の前に拳士たちに次のように指示をしました。

『授業の中で長坂が使っている「指導技術」に気づいた人はそれをメモしていきなさい。たとえば、前を向かせるときに「先生におへそを向

けなさい」というのは、一つの指導技術です。「前を向きなさい」というよりも、「おへそ」という言葉に置き換えることで子ども達は

「あれ?」と集中し、思考し、すっと前を向きます。これが「AさせたいならB」という指導技術です。』


授業終了後、

『どんな指導技術がありましたか?』

「一つも気づかなかった人?」(大半)

『気づいた人?』

「ノートに書かせた。」

「箇条書きにさせた。」

「近くの人と相談させた。」

「自信のない人から発表させた。」

など。
 
次の例を取り上げました。

『たとえば、どれぐらい残っていたと思いますか?』と長坂が発問し、かめちゃんが「60」と答えました。そのあとで、長坂は、

『同じ?』『60より下?』『上?』このように長坂が聞くことが多いですね?

それに気づいている人?(多数)

これには、どんな指導の意味がありますか?




これは、全員を巻き込むということです。




一方的に話しを聞いているだけだと眠くなったり、退屈になったりします。そして、時間が経つのも遅いのです。

しかし、このように「活動」をさせることで、全員が参加しなくてはいけなくなります。眠くなっている暇はありません。

そして、時間も早く感じます。


「ノートに書かせる」「近くの人と相談させる」「手を上げさせる」「立たせる」

「答えたら座る」などもすべて、全員を巻き込むために行う指導技術です。


『授業や指導に大切なことは、「作業」や「活動」をさせることです。なぜ、それをさせるといいと思いますか?』
 
飽きさせないということも一つ。

作業させると「ドーパミン」や「セロトニン」が出て脳が満足するのも一つ。それ以外にも次の効果があります。

『座って話しを聞かせているだけだと、「ちゃんと座りなさい」「先生の話しを聞きなさい」とお説教や注意が多くなります。しかし、作業

や活動をさせるとこうなります。』

「おっ、立ち方がいいね。」

「いっぱい書いているね。」

「手の上げ方がいい。」

「いい意見だ。」

などとほめる機会が多くなのです。つまり、



作業指示⇒作業⇒ほめる 



というループをつくります。「ほめるところがない」とよく聞きますが、それはおそらく「ほめる機会」を作っていないのでは・・と長坂は

思います。



教育格言

「子どもに対する限りない信頼と自己の行為の結果に対する限りない疑いによってこそ、教室は教育の場たり得ることができる。」

(向山洋一著・「授業の腕をみがく」より)