ゆめひこう 

日々の思いを

イエス伝  若松英輔

2016-02-21 20:22:21 | カトリック
                
著者は評論家だそうです。
私は初めて出合いました。
キリスト教徒でない人のイエス伝ということでしたが、
著者は子供のころずっとミサ仕えをされていたとか。
イエス様は体に染みついているのではないでしょうか。

それほど愛情もって丁寧にイエスを読み解いていました。
なんとたくさんの著作を広げて見せてくれたことでしょう。
シュヴァイツァの「イエス伝研究史」ニーチェ・リルケ。
芥川龍之介・遠藤周作、トマスモアやアウグスチヌス・・・

私の理解力と知識では把握し切れなかったです。

聖書のコトバを読むことによって、言葉の奥にある真実を感じ取ること。
4つの福音書をていねいに開きながら、表現の違いや意味の違いの解説がある。

ユダがイエスを売った行為の罪はユダは分かっている。
しかしイエスが捕えられた時に逃げ出した弟子たちは、そのあとも
長い間裏切っている。

罪は、アダムやエヴァを引き出すこともなく、私の中にあると気付かされた次第です。

イチジクの木の下で 下

2016-02-16 14:53:49 | カトリック
                  

上巻よりも語学の説明が難しかったです。

でも内容は楽しく読みました。



あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する人のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。   (マタイ5章43~45)


お前さんたちも聞いている通り、「身内、仲間を大事にしろ。敵は憎め」と言われている。
加えて、この俺は言っておく。敵(敵)といえどもどこまでも大事にし続けろ。
さらにはだ、自分をさいなむ者のために何かよいことをしてやりたいものですが、
何をしてやったらよいでしょうかと、神様のお声に心の耳を澄まし続けろ。
そうやって天の父さま(ととさま)のいとし子になれ。  (ガリラヤのイシュー)


これは祈ることについて、かかれていると思います。
手を合わせて、祈りの言葉をとなえるのではなく、
心の耳を澄まし、神様の声が聞こえるようにすることが祈ることでした。

イエス様が十字架にかかったことが、なぜ世界中に広まるほどの宗教に
なっていったかも、興味深い説明でした。

イチジクの木の下で(上) 山浦玄嗣

2016-02-13 16:39:54 | カトリック
              

ケセン語で福音書を書かれたものを読みました。

日本人にぴったりわかる気がしました。

イエス様の印象も変わりました。

 今回はその福音書を分かるように、語彙や訳の解説をしてあるものです。

  敵を愛せとは無理なこと、・・・ たとえ敵であっても大事にする
 (武田信玄が敵に塩を送ったような精神)

ヨハネ 
 (汝の敵を愛せよ)

新しい掟をお前たちに与える。

 お前たち、互いに相手を大事にし続けろ。

 俺がそなたらを大事にしたように、

  そなたらも互いに相手を大事にし続けろ。


義という言葉は、万民が等しくなることすなわち施しを与える

義に飢え乾く人、・・・ 施しにありつきそこねて、腹が減っている人、のどが渇いている人


義のために迫害される人・・・ ほだされてつい施しをするものだから貧乏人からいつも                ねだられて追いかけまわされている人

 こんな風に、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を子細に比べて、

 その文に一番ふさわしい意味を当てています。

  目から鱗の箇所がありました。

  聖書が読み物として面白くなっています。

 エッ!  こんなこと? と思うところもあって、 興味深く読み終わりました。

 下巻を読み始めています。

空海 高村薫

2016-02-06 15:44:16 | カトリック
                    
高村薫の本なので、小説だと思いました。

空海の生きた道が分かるのかと・・・。


仏教の解説のような本でした。

高野山で真言宗を開いた空海、比叡山で天台宗を開いた最澄。

学校でこんな風にならいました。

真言宗を開いた空海は唐から帰国した後、日本で書家としても今日を書いた人としても

活躍しましたが、弘法大師というのは、亡くなってからの信徒の宗教でというところが

どういうことなのかちょっと分かりにくかったです。



読み終わって、写真がとてもきれいだったこと。

活字の紙を同じでこれほどきれいに見られることに感心。

資料がたくさん挙げられていて、いろいろなところに行った報告もあるのですが、

理解が難しかったです。

もう少し仏教について調べたくなりましたが、今は聖書で手いっぱいなので、

残念ながら美しい仏教の行事や、お坊さんの写真が見られたことで、今のところ読了です。