ゆめひこう 

日々の思いを

蛍の森

2014-01-31 21:57:40 | カトリック
            

石井光太氏はノンフィクションを書く人だと思っていました。
貧困や東日本大震災を題材に発表しています。
読みたいと思いながら、チャンスがありませんでした。
今回初めてフィクションを発表したというので、
とりあえずそこからと。

ミステリーとありましたが、重かったです。

60年前に日本で、あったハンセン病に対する偏見と差別です。
ハンセン病との政府の和解などという記事は、つい最近まで見られました。

最近の本は、身の回りの出来事を感性で書くものが多いようで、
フィクションを読む気になれませんでしたが、

「蛍の光」は資料を集め取材を進めて出来上がった作品に
重みを感じました。

聖書の中にも皮膚病の話が多くあります。

差別について、そんなことも思いながら読みました。

差別そのものは、形を変えて今でも日本の中に存在するものです。

会話文が、もう一つこなれていないのが残念でした。

アララト山

2014-01-26 20:54:45 | カトリック
              

「アララト山 方舟伝説と僕」
という本を読みました。

厚くて、字が小さいので、ちょっと今は読むのは無理と思ったのですが

読み始めたら、止まらなくなりました。

オランダ人のジャーナリストが、アララト山に登る話です。

彼は幼児洗礼で、プロテスタントの信者だったのですが、

大人になって、信仰を捨てました。

でも捨てたといっていいのかどうか・・・。

こだわり続けています。


ノアの方舟の話が、旧約以前にメソポタミアから出土した粘土板に

書かれた民話が先にあったと知って、ショックを受けます。

プロテスタントは聖書のみという教えなので、より真摯ということでしょうか。


アララト山を囲む、トルコ、ロシア、イラン、アルメニア、そしてクルド人など

民族の壮絶な戦いの歴史も書かれています。


最後はあと60メートルで雪に阻まれて、下山します。

彼は、信仰を捨てたといいいますが、神様は彼の中にあると思いました。

落第生のレポート

2014-01-25 19:00:16 | カトリック
旧約聖書の勉強が終わって、はじめる前とどう変わったかを
発表することになりました。

自分の中の心のもやもやは、神様はちゃんと分かってくださっておられるのに、
「大変だったけれど、勉強になりました」
みたいな事を言うのはいけないと思いました。

それで、今の気持ちを書いておくことにしました。
2年後に、新約の勉強が終わって、変化があるのかどうか。

ますます、沼地に入り込むのか・・・。

皆さんの前でお話したら、気持ちがすっきりしました。
今の自分はこうなのだから、仕方がないと。



旧約聖書のまとめ

聖書について
旧約聖書の勉強を始めるに当たって、キリスト教を信じるものが、なぜユダヤ教の経典を学ばなければならないか、疑問がありました。

今回、新約聖書の中には、100回以上も詩篇が引用されていると知りました。
そのほかイエス様はいつも旧約聖書を読んでおられたのだと気づきました。
お話やたとえには、旧約が登場しました。
やはり深いつながりがあるのだと思いました。

旧約聖書を学んで、神様がイスラエルの民を契約に従って、導き助けようとされたのを読みました。

それに対して、イスラエルの民が神様を忘れ、偶像に走り、生活が怠惰になっていったかが書かれていました。
これはイスラエルの民だけのことではなく、人間の本性だと思います。

神様は、私たちに、選ぶ自由を与えられました。
そのことを悪く使う本姓が人間にあるのだと思います。
イスラエルの民は、そうした自分たちの負の歴史について、余すところなく記しています。
その強さが、イスラエル民族の特徴だと思います。

2年以上かけて旧約を学びましたが、ほとんど忘れてしまっているような状態で、果たして学んだと言えるのか、不安です。

何らかの形で、今後も旧約聖書を学ぶ機会を見つけたいと思います。

また一般の読書をしているときにも、旧約聖書の話題が登場することがあります。
西洋の絵画展などに行っても、題材に使われていることが多いです。

そういう意味でも旧約聖書を学んだことは、これからの生活を豊かにしてくれるのではないかと期待しています。

神に関して
旧約の神は、激しく罰する神であるのを、何度も読みました。
イスラエルの民に対しては、慈悲深いですが、それでも罪を犯したときは、罰します。そのときの民の祈りは痛切なものでした。
また他民族に対して、容赦ない滅びをもたらしました。
旧約の神は、怒る神のイメージのほうが今は、強く残っています。

キリスト教で教えられた神は、慈悲深く、私たちの悩みを受け入れてくださるし、
いつも愛を持って見守ってくださっていると感じることができます。

イエス様が登場して、本当の神はイスラエルの民が考えているような神ではないと、
言われたのでしょうか。

それは神のイメージのどんでん返しのような感じがします。
そのどんでん返しを私の中でやろうとしたら、
目が回ってしまって、とても付いて行けない気がします。

どのように神が変わったのか、神はイスラエルの民が祈っていたときに、
どう思われていたのか。

わが子を世に送って、正しい神認識を伝えようとしたのでしょうか。
長い間苦しんできたイスラエルの民も気の毒な気がします。

私の中では、旧約の神とキリスト教の私たちが信じている神が同じ神だとリンクさせるのは、大変難しく感じます。

今後、新約聖書を学ぶことで、その疑問が解決されると良いと願っています。




いよいよ新約聖書に入ります。
フランシスコ会訳聖書をアマゾンから送ってもらいました。

あまりがんばり過ぎないように・・・

なぜ私だけが苦しむのか

2014-01-19 18:01:20 | カトリック
               

現代のヨブ記と、副題がありました。

著者はユダヤ教のラビだそうです。

難病にかかった息子さんを、14歳で亡くされたそうです。

その後の苦しみの中で、考えたことを本にしました。

どうして自分が、こんな目にあわなければならないのか。

苦しいことに出合った時は、誰でもそう考えると思います。

こんな苦しいことが起こるなんて、神は存在しない。

旧約聖書の中のヨブ記、ヨブは大変善良な人だったのに苦しみました。

ヨブ記の作者は、神を公平という概念を超えた存在と見、

どんな道徳的基準も超越するほど、強大な存在だと考えます。

全能という考え方をしない。


6日間の創造物語という聖書的表現を考えてみると、

今はちょうど金曜日の午後だと考えられます。

人間は、(何十億年の宇宙誕生から見たら)わずか数時間前に

創られたばかりなのです。

神の徹底した仕事の成果を認めることができますが、

まだ、多少の混沌状態が残っています。


これはとても興味深い考え方でした。

地球はまだ完成していないという考え・・・。


良いことも悪いことも人間の意思で選択する自由が与えられた。

神はそれを見守っておられる。

だから神に、力を与えてくださいと、祈ります。

旧約聖書終了

2014-01-15 22:01:00 | カトリック
創世記から始めた旧約聖書の勉強が、詩篇をもって完了しました。

スタートから2年4ヶ月が過ぎました。

           

今日、教室のある大学に行ったら、梅の花が満開でした。
いつの間にか春が来ていたのですね。

最後の詩篇の勉強をしました。

詩篇は祈りですね。

毎日、詩篇のどこかを開いて祈れば、神様に通じると思いました。


スタートは12人だったのですが、2年が過ぎて8人になりました。

それぞれが次の課題を持ち始めたようです。

このままでは終われないというような情熱が神様から届いたような・・・。

本当に良い仲間に恵まれました。

皆さん信仰に対しても強いですし、個性的です。


               

来週は、まとめ、「神について」、「聖書について」、「おのれの信仰について」

分かち合います。

こんな内面的なことを分かち合えるでしょうか?

でも2年4ヶ月本当に心を寄せ合って、学んできました。


別に、誰にも感動してもらえないけれど、私一人、

今までの人生の中で、まれに見る感動です。

投げ出さなかったことを、自分にほめています。

春から、新約聖書が始まります。



              







日陰に霜柱を見つけました。