神様はいつも私のすぐそばにいてくださる。
「わたしはある」
と言われたから。
実を結ばない木にも、肥料をやり世話をして待ってくださる。
私たちはそれを信じて実を結ばなくてはいけない。
それがどんな実でも構わない。
人と比べる必要はない。
粗末だからと嘆く必要もない。
精一杯自分の実を結ぶこと。
教会の前の桜が咲き始めていました。
お花見で賑わいそうです。
神様はいつも私のすぐそばにいてくださる。
「わたしはある」
と言われたから。
実を結ばない木にも、肥料をやり世話をして待ってくださる。
私たちはそれを信じて実を結ばなくてはいけない。
それがどんな実でも構わない。
人と比べる必要はない。
粗末だからと嘆く必要もない。
精一杯自分の実を結ぶこと。
教会の前の桜が咲き始めていました。
お花見で賑わいそうです。
恒例の四旬節黙想会です。
今年のテーマは
「元イエズス会総長ペドロ・アルベ神父の霊性」
列福調査が始まりました。
1938年に来日以来、およそ30年近く日本での宣教を生きられた宣教師です。
『他者とともに』
戦時中山口で1カ月間刑務所の入れられた。
スパイ容疑だった。
静寂、1人でいること、過酷出来でしい貧しさ、
「私の魂を訪れる来客」との心の中での会話。
広島原爆の体験
野戦病院となった修練院
『他者のために』
(コンパッション)苦しみも喜びもともに分かち合うこと
他者のためにある人→寛大に自分を差し出してゆく勇気
キリストとともに成長してゆく
『キリストとともに、キリストのために』
キリストとの出会い、交わりとキリストへの自己奉献
神のみ手の内にすべてを委ねるほど深い霊的な体験はない。
祈り
主よ、今や、すべてのものを新しいまなこで見る恵みをお与えください。
時のしるしを読むにあたって、霊の動きを識別し、確かめる助けとなるよう。
あなたから頂いた恵みを味わい、それを他者に分かち合ってゆけるように。
あなたが、かつてイグナチオにお与えになった明晰な理解を私にもお授けくだ
個人黙想の時間は、大好きなマリア様の聖堂で行いました。
いつにもまして恵み豊かな黙想会を過ごすことができました。
ルカ9章28-36節
ご変容の場面でした。
神様はいつでも私たちに寄り添ってくださっているけれど、
常に私たちがそれに気付けるわけではない。
むしろわからない。
私たちの日々は舞台の上のようで、一生懸命演じているが
その後ろには舞台裏があり、そこは神様のおられるところで
光に満ちている。
その光は垣間見ることができる程度だ。
確かに存在する。
その光が私たちを照らし助けてくださる。
神様が居られると感じられる、
謙虚で澄んだ心で日々を過ごしたいものです。
上野毛教会で四旬節の講話がありました。
「家庭の霊性とカルメル」というテーマでした。
現代の社会の問題をカルメル会の霊性の面に関連づけ手のお話でした。
「アビラの聖テレジアと十字架の聖ヨハネは霊的成長を、愛の成長として理解していた。自然的愛が浄化され、神の愛と一致し、神の愛へ変容されていくことが、完徳とされる」
アビラの聖テレジアと十字架のヨハネについてもう少し知りたいと思いました。
カルメル会では黙想会がよく行われているようです。
今から馴染むのは難しいかなと思いましたが・・・
灰の水曜日です。
近くの教会のお昼のミサで、神父様から灰をかけていただきました。
ここの神父様は額に十字ではなく、頭の上に撒きました。
「ひそかに祈るひそかに断食をする。
それだけではいけません。
あなた方は困っている人に今すぐ目を向け、行動に移しましょう。」
神父様のお説教です。
所属教会の神父様は、
「目の中の丸太をとるためには
深い回心が必要で、涙があふれるほどに回心をすると
丸太は浮き上がります。
そして取り除かれるのです。」と
この季節に、深い祈りのなかで、自分の信仰を見つめたいと思います。