ゆめひこう 

日々の思いを

[ユダ福音書」の謎を解く

2014-03-25 21:30:48 | カトリック
            

以前に「ユダ福音書」を読んだ記憶がありますが、
今回のは福音書を解説してありました。

それが難しくて、読み通すのが大変でした。
翻訳のせいかと思いましたが、立派な方が訳しておられるので
やはり私の力不足でした。

キリスト教が成立するころ、ユダヤ教から分かれたころ
パウロが活躍していた時代も大変だったとは、
今勉強している新約でわかっていました。

でもその後、ローマになってからも一つの宗教にするために
いろいろあったようです。

今回読みながら、私の中でうずうずしているものが書かれていて、
もう少しゆっくり考えを進めようと思いました。

読書メーターでプロテスタントの「聖書に帰れ」の教えは
どういうものかと書かれていて、なるほどと思いました。

キリスト教って、信じたために悩むこともあって、
ただ信じなさいと、素直になれない自分がいます・・・。

分からないなりに、頑張って読んでよかったと思っています。

四旬節第3主日

2014-03-23 20:57:51 | カトリック
今日の第一朗読は、モーゼが岩を杖でたたいて水を出すところです。
旧約の出エジプトを勉強したのは2年前だったので、懐かしく思いました。
モーゼはいい人で苦労して、カナンに入れなくて、気の毒でした。

福音はヨハネの4章
サマリアの女とイエス様の話です。
この話はとても興味深く、いろいろ考えさせられます。

こんな風に何でも思ったことを言える女性はうらやましいです。

今日の神父様のお話はとても印象に残りました。
「この女性は3つの不幸の中にいます。
 1つはサマリア人であること。
 これはユダヤの人からは嫌われている人たちです。
 2つ目は女性であること。
 女性は低く見られていました。
 3つ目は夫を5人も持ったこと。
 周囲からさげすまれたことでしょう。

 でもこの女性は何とか幸せになろうと、
 この人なら幸せになれるかと、
 また次も、この人ならと信じて
 とうとう5人もの男とかかわりを持ってしまいました」

私は今まで、身持ちの悪い女性と思っていましたが
幸せになろうと一生懸命な女性の姿が浮かんできました。

良かれと思ってすることが、歯車がくるって、
不幸になることもあるのです。



教会の周囲は、春の気配いっぱいでした。
ミサの後、庭と通りの土手を歩いてみました。


             

             マリア様の足元のクリスマスローズです。

             

              そのお隣にあった水仙。

             
 
              水仙と並んでヒヤシンス。 ブルーがきれいでした。

              

              白ツバキ。花の白は、本当に白いという感じがします。

              

              白いクリスマスローズはまたまた花が増えていました。

              

              土手のレンギョウ。まだつぼみです。

              

              

              桜のつぼみ。
              咲くのを待ちきれない様子です。
              明日は暖かくなるそうなので、開くでしょうね。

四旬節の一日黙想会

2014-03-18 22:00:13 | カトリック


所属教会で四旬節の一日黙想会がありました。

「福音の喜び」への気づき

初めにシスターでシンガーソングライターをしておられる方のCDを聞き、
その後、神父様の講和があり、黙想。

それが4回繰り返されました。

第一講和
「いのち」3,11から3年、命について改めて黙想する。
「いのち」こそ私たちに最も与えられている恵み、
この「いのち」を感謝し、その与えられた可能性をフルに活かそうとすることが
「祈り」の根源であり、また恵みの出来事そのもの。

第二講和
イエス・キリストと言う希望の光

復活とは、打ちのめされて地面に倒れていたものが、「むっくりと起き上がる」こと

マザーテレサの言葉が紹介されました。

愛の反対は憎しみではなく、無関心。

第三講和
教皇フランシスコの言葉より
祈りの人になっていいく道は、「いのち」の自発的成長に真っ向から答えようとする
心の深さを養うプロセスです。

第四講和
神父様が講演会「隣人」「他者との共生」というテーマで開かれた
のシンポジュームでの発言をもとに話されました。

3,11に関して神議論が唱えられたりしましたが、
これは「ヨブ記」の昔からある難問。

長崎原爆・永井博士の「原爆のみ摂理論」を越え、
復活に向かって、わたしたち自身が立ち上がること。


講和は難しいものもありましたが、4回にわたって祈る時間が与えられ、
マリア聖堂の静かな空間で祈りの中で神を向き合うことができました。

四旬節にふさわしい一日となりました。

イエスと歩め!

2014-03-11 14:51:28 | カトリック
               

来住神父様の3冊目の入門書です。
楽しみにしていました。

歯切れがよく、ユーモアがあって、正直で、
分かりやすく書かれています。


キリスト教信仰を生きるとは、

 人となった神、イエス・キリストと
 人生の悩み・喜び・疑問を語り合いながら、
 ともに旅路を歩むことである。

その旅路の終着点は、「神の国」と呼ばれる。


過ぎ越しという言葉が、興味深く表現されていました。

人生の一つの段階が終わり、新しい段階に入っていくということ。
イエスと共に死んで、そしてイエスと共に復活したんだ。そして、
今の私がある。

人生は、何度もの過ぎ越しを重ねて、新しい世界に入ってゆく。

 
 キリスト信者の悔い改め  

    人生を旅する
      ↓
     迷い
      ↓
    識別の努力 (イエスと語りながら)
      ↓
     選択(自分で選択する)
      ↓
     行動
      ↓
    振り返り
      ↓
   過ちを  神の支えを
   悟る   悟る
      ↓
    旅路を続ける





灰の水曜日

2014-03-05 18:02:10 | カトリック
灰の水曜日です。
祭壇の脇には、灰が用意されてありました。

                

私は灰の水曜日のミサが好きです。
まだ洗礼を受けていないときに、時々ミサに行っていました。
たまたま灰の水曜日に出会って、
「塵から出でて、塵に帰れ」
と額に十字を切っていただきました。

そのとき、すとんと気持ちが落ちました。
そうなんだ、そんなものなのだと、自分を思いました。
何か解放された気分になって、軽くなりました。


それ以来、灰の水曜日のミサは、受洗前の自分を思い
初心忘れるべからずと、神様に感謝の祈りをささげます。

マタイの6章が読まれ
「見せびらかすような行為はやめなさい」
と神父様のお説教も、納得でした。


                  

もう一つうれしいことがありました。
我が家から移させていただいたクリスマスローズが
花開いていました。

小さな株だったのに、見事です。
先日の雪の下でも、準備はできていたのですね。
白色がますます輝いているようでした。