ゆめひこう 

日々の思いを

怒らないって・・・

2013-09-24 20:39:12 | カトリック
禅の作法っていうのに興味を持って読みました。



やさしく読めて、楽しかったです。

仏教用語の解説が、わかりやすくて。

「心のメタボ」   これは仏教用語ではない(+_+)
 煩悩のぜい肉が忙しさやプレッシャーで少しずつ厚くなる。
「泥多仏大」
 泥が多いと大きな仏像が作れるから、煩悩のぜい肉が多くても道は開けるということ。


「見性成仏」   
 心のメガネをはずしてみるとその人の本質に気づく。色眼鏡で人を見ない。

「明珠在掌」宝物(仏性)は手の中にある。ただし磨かなくては珠にならない。

「任運自在」流れに身を任せ、その巡りあわせを味わう。 イライラしない。

「山是山、水是水」あるがままの姿で存在している。

「我見、離るべし」相手の立場に立ってみる。

「常行一直心」目の前の物事に打ち込む。

「随所快活」どんなところにいても自分らしく自然体で生きる。

「知足」今与えられているものに満足し、感謝する。

「行解相応」一瞬一瞬自分の信じる道に真剣に取り組む。

「他不是吾」変わりたいと思ったときに自分を変えられるのは自分自身だけ。

「丹田呼吸」息を吸う前に、まず吐き切ること。

「調身、調息、調心」座禅の3要素。

「一日一止」一日に一度立ち止まれば正しい生き方が出きる」

「放下着」ほんの一瞬でもいいから、何もかも一切捨ててしまいなさい。

「和敬清寂」千利休の茶の精神

 和  人や自然に和して逆らわない
 敬  すべてのものを敬う
 清  一点曇りもない清い心とたたずまいでいる
 寂  煩悩にとらわれず、静かな落ち着いたたたずまいでいる
 
 とにかく、何かに執着しないで放すってことですね。
 これはとても共感できます。



聖書も面白いけれど、仏教の教えもなかなか深いものがあります。
秋からの聖書の勉強の学期が始まったので、またしばらくは読書の時間が取れなくなり、残念です。

「なぜ」と問わない

2013-09-14 13:23:41 | カトリック

山浦玄嗣氏の本を読みました。


去年は2・3回講演を聴きに行っています。
本も楽しく読みました。

語り口も楽しい方ですが、この本は3.11のことを臨場感を持って書いていられます。
以前お話を聞いていましたが、読むと光景が浮かびます。

そこで苦しんだ内容は、マスコミが報じるのとは違います。

私は災害の報道をあまり読まなくなりました。

この本のテーマである
「なぜ」神様は罪のない人をあんなに苦しめるのだと
私もいろいろな人から質問されました。

その人の問いの意図がわかっているので答えることはしませんでしたが。

「がんばろう」と言う言葉もとてもいやでした。
あれ以来普通のところでも、がんばると言う言葉をなるべく使わないようになりました。

たとえば、先日入院手術した友人へお見舞いを送るときも
「がんばってください」とは、書きませんでした。


この本の最後の章の祈りの解説がとてもわかりやすく納得でした。
聖書にある4つの祈り  日本語ではみんな「祈り」ですが

エウロゲオー     「ほめる 賛美する」
 神様を褒め称える心
 神様はなんてすばらしいかただ」

エウカリステオー   「ありがたい」と言う感謝
 「ありがたい」
 「今日もこうして生きています。ありがとうございます」
 
デオマイ       「願う」
 「願う」
 「神様どうぞ、こうしてください、ああしてください」
  神様にお願いしてもいい。
  神様からの私たちへの望みも叶えるようにする。

プッロセウコマイ   「祈る」
 「祈る」
  ここで祈ることは神仏に願って、何かをかなえていただくことではない。
  
  イエスはよくお祈りされました。
  神の言葉を聴くための祈りです。
  「一生懸命に神様のお声に心の耳を澄ます」
  という訳が正しいでしょうとありました。

  自分の身の回りに何が起きているかを、よく見てみましょう。
  神様のお言葉はわれわれの身の回りに満ち溢れています。
  それを見て、どうしたら自分はこの出来事の中で神様のお役に立ち、
  神様に喜んでいただけるかということを一生懸命考えましょう。


 私はお祈りについて苦しんでいたことが少し改善されるような気がしました。
 気持ちが明るくなりました。
 






楽園からの旅人

2013-09-11 16:31:24 | カトリック



岩波ホールで映画を見てきました。

ヨーロッパの教会が壊される映画とのことでした。

今日は映画の後、神父様のお話が伺えると言うので、欲張って今日にしました。

満席でした。

さすが・・・・。

映像が美しかったです。

ずっと教会の中なのですが、下から見上げたキリスト像も、

上から見下ろした教会の中も。

あれはイエズス様の目ですね。

あんなふうに私たちは見られているのでしょう。

アフリカからの不法入国者がつぎつぎにやってきて。

負傷者を治療した医師との対話が印象に残りました。

強制収容所の体験をさりげなく言って。


みんなを受け入れて、何かを分け合って、支えあって。

神父様のお話もそういうところだったと思います。



ロビーで、ご婦人方に囲まれて、記念撮影に応じたり、

この神父様はほんとに面白い方です。

朝ミサ

2013-09-10 11:32:43 | カトリック
久しぶりの朝ミサでした。

自転車を走らせると、気持ちのよい風が吹いていました。

夏は少し遠ざかったようです。

神父様は、お元気でスペインからお戻りになりました。

今日の聖書はイエズス様が、12人の弟子を決められたところです。

前の晩から祈っておられました。

私たちも、何かするときはいつもお祈りから始めましょうと。

そうして選ばれた弟子ですが、ペトロは何度も知らないと言ったし、

いざと言うときには、みんな逃げてしまったし、

そして不幸なユダまでいます。

と言うことは、私たち取るに足りないものでも、神様は目をかけてくださっている。

それを信じて、心にしっかり留めて、いつも祈りましょう。

祈るときは自分がよくなりたい祈りではなく、誰かのために祈るのです。

神父様はいつもこのことを言われます。

私は大切な友人が手術をしたので、その友人のことを祈りました。

ミサが終わって、写真を撮っていたら、お花を生けられたシスターが

「これはアスパラガスの葉なのよ」

と教えてくださいました。

「アスパラガスの実は青からこんな風に赤くなるのですよ」と。

みんなお庭にあるものです。





帰り道、夏の花が、名残りに咲いていました。


置かれた場所で咲きなさい

2013-09-06 00:22:14 | カトリック
シスター渡辺のお話を聞きに行ってきました。



前に本を読んだときは、普通に、なるほどと共感を持ったというか、尊敬できたのですが、実際にお目にかかってお話を伺うと、心のそこから納得が行きました。

90分間、ずっと立っていらして、ほんとにお元気でした。

心に残った言葉をいくつか書き留めておきたいと思います。

ときどき振り返られるといいのですが・・・

「人生は思い通りにはならない。なったら感謝しなさい」  母上から

周囲の人に「あなたは鬼みたい」といわれたそうです。
何でもがんばっていたから。
いわれたことに苦しんで、シスターに話したら「それでは洗礼を受けなさい。そうしたら新しい自分になれます」
といわれて洗礼を受けられたそうです。

洗礼はマジックでも恵みでもありませんでした。
苦しんでわかったことは、信仰は持つものではなく生きること。
毎日祈っていればよいのではなく、信仰の中に生きることがクリスチャンの生活。


「それでもあなたはクリスチャン?」
こういわれるとはっとします。
この言葉が一番自分を立ち返らせてくれます。
そして自分を見つめなおします。


天災も人災も神のせいにしてはいけない。
なぜそんなことがと思うのではなく、そのことにどんな意味があるのかと考えることです。
そのときは解決できないことでも、きっと神のご意思は働いています。


食器を並べるときに、おざなりに置くのではなく   to do
この食器を使う人のために祈ります。 being

雑用という用事はありません。

「穴があいてしまった」  これは失敗  ではなく、その中に見えるものがあると考えます。

「どんな不幸を吸っても 吐く息は感謝の息」

環境の奴隷にならず、環境の主人になる
「あなたが変わらなければ、どこへ行っても同じ」

たくさんあったけれど、とりあえず、いやいや生活するのをやめようと思います。

拍手が鳴り止みませんでした。
聖堂いっぱい、クリスマスのときくらい人がいました。

          





聖堂を出た人は、三々五々、駅のほうに向かい、余韻を楽しむようにビルの中へ消えていきました。