ゆめひこう 

日々の思いを

パウロ・パウロ・・・

2015-08-25 11:02:32 | カトリック
                  

今年の夏は、ずっとパウロのことを考えていた気がします。

私の宿題は第三回宣教旅行の初めからエフェソまでだったのですが、
結局パウロについて考えることになりました。

この本は4月ころ読んだのですが、考えたことは違っていました。

パウロが本当に頑張ったのだと思いました。

弟子たちは書くということをしなかったけど、
イエスさまの教えを実感したものとして、伝えたことでしょう。

パウロの手紙は2000年前に書かれたものなのですね。
残ったのは奇跡なように思いますが、失われたものも多いことでしょう。

パウロがイエスさまのところに行ったとき、一生懸命しゃべって、
そんなパウロをイエさまが温かく見ておられたのではないかと思いました。

やっとパウロの生涯が頭に入ったので、秋からはパウロの神学を学び直そうと思います。

存在の根を探して

2015-08-14 22:45:05 | カトリック

                    



カルメル会修道院の神父様の著作です。

旧約聖書を紐解いて、イエス様の言葉が旧約から続いていると、丁寧で心の温まる内容でした。

祈る深さを感じました。

愛に生きることを徹底して追求しておられます。

隣人を大切にしなければ、何も始まらない。

神様がご自分の子を遣わすほど愛して下さたったのだから 、私たちも互いに愛し合わなくてはならない。

確信を持って書かれています。

静かな口調の中に、愛が込められていました。

手元に置いて、折に触れ味わいたい本です。

パウロの第3回宣教旅行

2015-08-09 11:57:14 | カトリック
夏休みの宿題です。
パウロの第3回宣教旅行のスタートからエフェソまでまとめました。
行ったことがないので資料はすべてパソコンからお借りしました。



パウロの第3回宣教旅行


パウロはカイサリアに上陸すると教会に挨拶するためにエルサレムに上り、それから
アンテイオキアに下った。(使18・22)
しばらくアンテイオキアに滞在した後、パウロはまた出かけてガラテイア地方および
フリギアを相次いで巡り、すべての弟子を力づけた。(使18・23)

第3回の宣教旅行の目的として考えられること
ガラテイア地方とフリギア地方の弟子たちを力づける。
エルサレム教会への献金の要請。

 同行者はテモテ(使19・22)




                      

アンテイオキア                 
  ↓                     アンテイオキア近郊の遺跡
タルソス
  ↓
キリキアの峡門                                
  ↓      タウロス山脈          キリキアの峡門





デルベ      エルサレムに献金を運ぶチームに「デルベ人ガイウス」の名がある。
         (使20・4)
  ↓
リュストラ    テモテの母教会
    
  ↓                    
                       イコニオンの街並み

イコニオン                   
 ↓      アナトリア高原         

ガラテヤ諸地方  かなり遠回りになる。   保守的なユダヤ人キリスト者が
         弟子たちを力づける。   パウロの後を追って、パウロの
  ↓      献金の要請。(Ⅰコリ16・1) 宣教に従わないように働きかけた。                   
                       (ガラ1・1)
フリュギア地方  (使18・23)
  ↓
エフェソ (53年夏ころ~55年夏・秋ころ)    
                   
                                                  エフェソ大劇場                
                          
第2回宣教旅行の時に聖霊により禁じられたので、ミシアを横切りトロアスに下った。
「パウロはこの時、小アジアの西海岸にあるアジアの首都エフェソの直行しようとしていた。(使16・1フランシスコ会の註)」
しかし第2回宣教旅行の終わりに、エフェソの立ち寄り、アキラとプリスキラを残してきている。



エフェソ
ギリシャ方面と小アジアの町々との物資の流通と人的な交流の中心地だった。
現在は海から10キロは離れている。
有名なアルテミス神殿がある(世界の七不思議の一つ)

パウロは2年3か月のエフェソに滞在しているが、それほど長く滞在するつもりはなかった。
テサロニケの手紙をのぞき多くの手紙がエフェソで書かれた。

エジプトのアレクサンドリアからの同信者アポロを迎え入れた。(使18・24~28)
アキラトプリスキラがアポロを教育した。
パウロがエフェソに
到着したころ、アポロはコリントへ行き支持者を獲得し、また
エフェソに戻ってきている。

ヨハネの洗礼を受けた人たちは、パウロによって受洗される。
パウロが按手すると、人々の上に聖霊が下り、人々は異言を話したり、預言をしたりした。(使19・1~7)

パウロは会堂で福音宣教をしたが、ある者は頑なだった。(使19・8)
そこでパウロは彼らのもとを離れ、弟子たちも去らせて、ティラノの講堂で毎日論じた。
2年間も続いた。(使19・9~10)  

パウロの奇跡(使19・11)

パウロの計画
パウロはマケドニアに立ち寄り、エルサレムに行く決心をし、「わたしはそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。
自分に仕えている者の中から、テモテとテトスの二人をマケドニアに送り出し、彼自身はなおしばらくアジアに留まっていた。

                     
                        アルテミス神殿跡
                                                 
                                                アルテミス像                         
                         
                 
                    
                      アルテミス神殿模型               

                 

銀細工師デメトリオ事件
アルテミス神殿の模型を作り利益を得ていた。
パウロに「人間の手で造った神々は、本当の神々ではない」と言われた。
暴動が起きて、街の書記官が群衆をなだめた。

騒ぎがおさまった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニアに向かって出発した。(使20・1)

パウロ

2015-08-06 17:24:11 | 読書
使徒パウロを勉強しているグループに参加しています。

ずっとパウロの手紙を読んできましたが、今回机上宣教旅行をすることになりました。

仲間はみなさん実際にパウロの道を歩いてきた人たちです。

行ったことがないのは、二人しかいません。

私の担当は、第3回宣教旅行の、スタートからエフェソまででした。

使徒言行録では1章分ですから簡単だと思っていました。

念のため、2冊の本を読みました。

                

                

パウロの回心の内容が理解できるようになりました。

(たぶん全部ではないと思います)

エルサレム教会とパウロの関係は難しかったと思います。

異邦人をキリスト教徒にするのはユダヤ人にとっては我慢できないことであったとも思えます。

律法を守らなくても、割礼を受けなくても、神の救いがあるというのですから。

ユダヤ人の価値観では受け入れられなかったでしょう。

ペトロも、バルナバでさえ、間に入って揺れ動きます。

パウロの宣教中の困難は想像以上のものでした。

それでもエルサレム教会と決別することなく、

命を落とすかもしれないと分かっていてもエルサレムに行き、ローマに行きました。

こんな勉強の機会が与えられて、これも神様のはからいと思いました。

資料でたくさんの写真を見ました。

ほとんどが今は廃墟になっていました。

今から、2000年後の世界はどんなことになっているのだろうかと思いました。