ゆめひこう 

日々の思いを

創世記 神の愛

2014-06-28 20:59:22 | カトリック

神田教会で講和がありました。

今日は、結婚式がなかったので、聖堂で行われました。

                


写真はお借りしました。

とても荘厳です。

1928年に建てられたそうで、戦災で焼けなかったのですね。

よかった・・・。

昨年訪れた、五島の古い教会を思い出しました。

               

正面のステンドグラスです。

                 
高い天井まで、周囲にステンドグラスが並びます。

一つ一つの絵に聖書のお話がありました。


さて、講和ですが。

「天地創造の神についての信仰を、改めて問い直す」

神は人間を愛するがゆえに世界を造られました。

天地創造物語は、神が天地を造られて、すべて良し。
その壮大な宇宙の中に、人間を置いたという語りになっていますが、

視点を人間においてみると、
人間を喜ばせるために至れり尽くせりの神の姿が浮かび上がってくる。

何もない混沌というのは、原語では「無秩序・廃墟のようであった」と。
そこから人間のためにすべてを造られた。
人間のためにすべて良しと・・・。


旧約の神は怒れる神、新約の神は愛の神といいますが、
これだと初めから愛の神ですね。

ヨーロッパに伝わってから、神の姿が少しずつ変化していきました。

二ケア公会議の
「私は信じます。唯一の神、全能の神、天と地、見えるもの、見えないもの
 すべてのものの造り主を」
の従来の神を信ずるのもよし。

愛する人間のために世界を作ってくださった神を信ずるのもよし。
というところだそうです。


90分の講和は大変興味深く時間のたつのも忘れるほどでした。

次の講和は、楽園の追放になるのでしょうか?

楽しみです。

                 

ノア 観てきました

2014-06-17 17:07:12 | カトリック
          

この夏は観たい映画が目白押しなので、「ノア」早速見てきました。
旧約聖書を読み込んであってよかったと思いました。

ちょっとしたセリフや映像でも、そういうことかと納得したり、
聖書の系図に従って子孫がつながっていたり。

いよいよ方舟に入った生活が始まり、外では雨の中でおぼれてゆく悲鳴がずっと続きます。
アララト山の頂上まで逃げた人たちも、押し寄せた大波をかぶり流されてゆきました。

日本での公開は辛いかなと思いました。


方舟を造るところも面白かったし、アララト山が美しかったです。

人間として生きる権利を主張する男と、神により頼んで生きるノアとの会話
短いでしたけれど、心に突き刺さりました。

人間として生きる世界のすさまじさの映像も・・・。

この監督はクリスチャンなのでしょうか?


ノアの苦しみもとてもよく分かった気がしました。

前にノアは酒浸りになってしまったと聞いたことがありましたが、映画でもそんな感じで。



ウイークデイのお昼だったので、観客は10人ほどでした。



家から自転車で10分の所にあります。

帰りは公園を抜けてきました。


日払い? 時給制?

2014-06-15 20:43:01 | カトリック
マタイの福音書を読みました。
8人の仲間と分かち合いました。

ブドウ園のたとえです。

夜明けにやとわれた人  1デナリオンの契約です。
9時にやとわれた人   
12時にやとわれた人
5時にやとわれ人

5時にやとわれた人が、1デナリオンを受取りました。
「それなら俺たちはもっともらえる」・・・」
 朝から働いていた人たちは、
そう思いますよね・・・。

でも、雇い主が払った賃金はみんなに1デナリオンずつでした。

ずいぶん前に聖書の勉強をシスターとしていたのですが、
この箇所が読まれたときに、
こんな理不尽なことは納得がゆかないと友人は辞めてしまわれた。


これは賃金ではないのですね。

神様の慈しみと愛なのですね。

愛だったら、夜明けから働こうと 夕方5時から働こうと
神様は同じように愛をくださいます。
どちらかというと、晩年になって神様の愛を感じた人の方が幸せを実感できるかも知れませんね。



でも、聖書の上では理解できましたが、
今の世の中を考えてしまします。

この世も神様が人のために作ってくださったのですよね。
この世をよくするために、頑張って働いている若者たちを神様は祝福してくださっていますよね。


そして神様からの慈しみになかなか気づく機会のない人にチャンスを与えてください。



結局、自分の人生を他と比べたりしないで生きなさいということでしょうね。

石を投げる

2014-06-10 09:57:25 | カトリック
聖書講座です。

途中駅のホームにアジサイ園の宣伝がありました。
うちから30分で行かれるところなのに、まだ行ったことがありません。
いつか行きたいと思っています。

このところ癒しについて、お話を伺っています。
マルコ2章1節
中風の人が癒される。
癒しを願うのに大切なこと。
1.神の無償の愛を信じる。
  (癒しの恵みは神の無償の愛しかありません)
2.具体的に願う。
3.困難にくじけない。
4.人間的な協力を行う。
  自分で積極的に超えてゆく態度を示し。必死な気持ちになる。
5.神の癒しはさまざまなしるしで現れるので、よく見極める。
  神の業・働き・結果・作品として…
  体の信仰状態のほかに、無意識のレベルの癒しもある。
  
どこに神の業が現れるか見つめてゆくことが大切。
中風の人を治したい一心で、屋根を壊してまで連れて行った人たちの熱意、
治りたい一心の中風の人。
困難であればあるほど、一心になります。


次にヨハネ8章1~11節
姦淫の女に石を投げる。
神父様のお話の仕方はとても興味深かかったです。
時々笑い声も起きました。

私の心に残ったのは
「皆さんも石を投げていますよ。
 特に自分に向かって石を投げている人もいますね」
というところでした。

私自身、自分に向かって、ずいぶん石を投げていると気付きました。
石を投げているうちは、神様からの愛も癒しも気づけないでしょう。

しばらくの間、石を投げる自分について黙想しようと思います。




アジサイがどこも満開です。
奥にマリア様がおられます。


隣りに並んでいます。これもアジサイでしょうか?


祈りながら歩くことを教えていただきました。
バス停までの道を祈りながら歩きます。



通りの花屋さんのお店のアジサイも見事です。
売り物でしょうか???



二コラ・バレ

2014-06-01 13:15:31 | カトリック
女子修道会の講演を聞きに行きました。




ここの聖堂で、以前井上洋治神父様のミサに預かったことがあり、とても懐かしい気持ちになりました。

遠藤周作とともに、日本のキリスト教について考えられた方です。

とても優しくてユーモアのある方でした。


今回の講演のテーマは 「生活に中に神を見る」 というものでした。



教会でミサに与ったら、神様のそばにいると実感できる人は?
と尋ねられ、ほとんどの方が手をあげました。

修道会に入っていられる人は神様に近い生活をしていると思う人は?
かなり手が上がりました。

「シスター方、皆さんが神様に近い人だと思っていますよ」
と声をかけられたので、笑い声が起こりました。
かなりのシスターが出席されていました。


ところで、普段の生活の中で神様を感じる機会は持てるでしょうか。

聖書を開いてみましょう。

キリストは異邦人の女性の子供の病を治したり、5人も夫がいたサマリアの女と話したり、
罪でけがれたという病人を治したりしました。

キリストは市井の中の苦しい人や貧しい人の中によりそっています。


私は周囲の人を見まわしました。

みなさん豊かそうで、幸せそうです。

お話の中で、「皆さんの中で夫を5人替えた方はいますか?」と尋ねられ、
笑い声が起きました。

これは皮肉かなあと思いました。

でも、私自身過去のいろいろなことを思うと、罪深いと落ち込みます。
それでも神様は普通に暮らさせてくださっておられるから、
私も聖書の範疇かな・・・と。

傲慢にならず、苦しい人に寄り添うのは難しいことです。
自分が神様に愛されていると思うこともおごりのような気がしてきます。

向かい側に所属教会が見えました。
このロケーションで眺めることはないので、新鮮でした。




講演が終わって、お昼のミサに与りました。
「聖母マリアの訪問」の祝日でした。
マリア様がエリザベトを尋ねたところが読まれました。
「マリアは聖霊に導かれてエリザベトを訪問しました。
 私たちもマリアの謙遜とやさしさを思い倣うことができるように祈りましょう。」



通りの桜の土手には、アジサイが咲き始めていました。