ゆめひこう 

日々の思いを

札幌の教会巡り

2015-06-29 14:59:25 | カトリック
今日は、北十一条教会でミサに与る予定でした。

昨日、途中にカトリックの教会があるのを見つけました。

それで今朝、急きょ訪問しました。

           
山鼻教会です。


           
テレジアの像です。
とてもかわいらしかったです。

            
聖テレジアの遺物がありました。

テレジアは日本でも人気があります。

出合えて、みなさん喜んでいました。

北十一条教会につきました。
             
フランシスコ会の教会です。
十字架がなかったら教会には見えません。
出迎えてくださった神父様は、十字架がなかったら倉庫みたいでしょうと
笑っておられました。

             
聖堂は広々して美しかったです

             
大きなパイプオルガン。

              
フランシスコの像

              

ルルドのマリア様の庭がよく手入れされていました。

              
フランシスコ会の神父様。


マルコ神父様は
「今日はヨハネの誕生のお祝いなので、白い祭服です。

 ヨハネはとても大切な人です。

 ポルトガルでは、今日は子供たちが風船をあげて祝います。

 どうぞみなさんも、ヨハネのためにお祝いしてください」

神父様のミサはダイナミックでユーモアがあります。

若者や子供たちに与って欲しいと思います。


それから、海沿いを通って函館に向かいました。

私は海を見ながら走ると思いましたが、高速道路は山の中を走りました。

4時間・・・

長かったです。
 





富良野教会 ラベンダー畑

2015-06-27 21:57:20 | カトリック
富良野教会でミサに与りました。
教会までの道を歩きながら、神父様が
「今日の聖書は、わたしにはちょっときついね。
 このおなかが邪魔をして。狭い門を入るのはタイヘン」
と、笑いながら言われました。

神父様は、朝から聖書の言葉を味わいながら過ごされるのですね。


富良野教会は戦後の復興期に、地元の人の熱意で建てられたそうです。



木彫りの黒いマリア様が、美しかったです。

神父様のお話  マタイ7章
「神様は、私たちに良いものを与えてくださいます。
 だから私たちも、周りの人に良いものをあげましょう。

 昔、ホームレスに食事を配っていました。
 その人が、あんたは宝くじが当たっても、これをやってるかねと、
 聞きました。
 
 もちろん、やっていますよ。
 私は、神様から、宝くじよりよいプレゼントを、もう頂いていますから。
 と、答えました」

 神父様の笑顔から、豊かとは、お金持ちになることではないと、納得しました。


               

富良野教会のシュミット神父様は、50年前に日本に来てからのことや
富良野教会のことを、ユーモアたっぷりに、お話をして下さいました。

同行司祭のマルコ神父様は、息子か孫くらいでしょうか。


              

              

              

              
ラベンダーはまだ少し早かったようです。
でも、最盛期には駐車場もなくなるそうで・・・。
広々としたお花畑は、人々の丹精が込められているようでした。

仕事をしている人たちが、生き生きして見えました。

ラベンダーのオイルを買いました。

札幌に着いて、カテドラルで聖体訪問をしました。

外は普通の教会でしたが、聖堂は素晴らしかったです。






立派なパイプオルガンです。

北海道 カルメル会修道院

2015-06-26 20:42:37 | カトリック
北海道の教会を尋ねる機会に恵まれました。

                

飛行機は窓側の席でずっと外の景色を見ています。
たくさんの人がいろいろなところで暮らしていることを思います。

                
帯広空港から、カルメル会修道院を尋ねました。
シスター方が笑顔で迎えてくださいました。


                
初めのミサは修道院の聖堂でした。
同行司祭のマルコ神父様がミサを準備をしておられます。



                
左奥に十字架があります。
いつも右側の障子が開いて、シスター方はミサに与るそうです。
私たちは、神父様の司式を、横から見るようにしてミサに与りました。


                 
お庭の花がきれいでした。
シスター方の作られたアーモンドやチョコレートを買って、
近くにある(といっても遠い・・・)紫竹ガーデンに行きました。


紫竹ガーデンは、十勝平野の田園地帯に広がる広大なお花畑です。
15000坪あるそうです。
案内の方は、なるべく自然のままにして、みなさんに味わっていただくと言われました。

                  

                  

                  

                  

                  
奥の小道を歩いていたら、リスが遊んでいました。
気に上ったり、木の実をむいていたり、何匹もいました。

北海道は広いと改めて感じました。





穢れた霊の力  ルカ1章24

2015-06-20 22:43:08 | カトリック
穢れた霊が人から出ていって、砂漠を歩きまわるが、「出てきたところに戻ろう」
戻ってみるときれいに整頓されているので、自分より悪い七つの霊を連れて来て、
そこに住み着く。その人の状態は初めより悪くなる。

以前からこの聖書の箇所は難解でした。
心を入れ替えてきれいにしては駄目なのだろうか・・・。
でも、悪霊に住み着かれるのは怖いし、

「きれいにして、空っぽにしておいては駄目なのです。
 悪霊に入りこまれないように、何かで満たさないと」

「祈りですね。神様の心ですね。イエス様の言葉ですね」

きれいにしてほっとしていると、自分の中にある元の誘惑が
戻ってきてしまうということです。

先週から私の中に、自己中心という悪霊がいました。

今朝、悪霊がいなくなって、空っぽになり、祈ったら、神様の愛を感じました。

何回も何回も、祈りますから、神様そばにいてください。


種蒔きのたとえ

2015-06-08 23:14:12 | カトリック
            
ルカ8章4~15

種をまく人が種まきに出ていった。


ある種は道端に落ちた 踏みつけられ 空の鳥がついばんでしまった

ほかの種は岩の上に落ちた 成長したが水気がないため 枯れてしまった

ほかの種は茨の中に落ちた 茨も一緒に成長して 覆ってしまった

ほかの種はよい地に落ちた やがて成長し百倍の実を結んだ


このたとえは、私たちが読むとちょっと不思議です。

農家の人は、畑を耕し、畝を作り、ていねいに種をまきます。

道端に落ちるなど、ありえない・・・


でも、そうでないところもあるのですね。

以前、これはみことばをたとえていると、聞きました。

イエス様の言葉を受け取れる人と、受取れない人と。


今日、神父様は、これを神様からの「愛」と考えると、

といわれました。

神様は、どんなところにも愛を降り注がれる。

善のところにも、悪のところにも。

そういう風に考えると、とても納得がゆきました。

私も、気付かず、受け取っていないことがあります。