ゆめひこう 

日々の思いを

雪の夜  小林敬三

2016-01-30 16:45:21 | カトリック
               

小林神父様のエッセイを久し振りに読みました。

短い章ですが、一つひとつお説教を聞くように味わって読みました。

心が温かくなります。

ほかの人の話なども引用するので、普通ならシラケるところですが、

なぜか神父様の話はそう思えません。

神父様になるきっかけとなった話。

友人の神父様の病気見舞いの話。
(私たちが歌っている、聖母のグレゴリヤです!)


甘い水と苦い水
(この話に、私は慰められました)

こうして返してゆくと、ほとんどが好きでした。


最終章の「雪の夜」を読みながら泣きました。

西千葉教会へ、ぜひ一度行きたいです。

追悼ミサ

2016-01-24 10:26:54 | カトリック


今日は友人の追悼ミサがありました。

友人のご家族のみなさん5人がそろって出席されていました。

お子さんたち、立派に成長されていました。

ミサの前に皆さんが、娘さんに声をかけていました。

笑顔の素敵な娘さんに成長され、スタイルもお母様に似て素敵でした。



私は友人と二人で修道院の朝ミサに通ったことを思いだしました。

今、考えると、何と豊かで贅沢な時間だったことでしょう。

毎朝7時、神父様と、私たち二人だけの時もずいぶんありました。



葬儀ミサの時に神父様が

「心優しい人だから、今では天の国で、忙しく神様の働きをお手伝いしているでしょう」

と、言われました。

友人を思いだすと、そのことばも思いだします。

聖体拝領のときに、みんなでグレゴリオ聖歌を心を込めて歌いました。


奉教人の死  芥川龍之介

2016-01-20 21:54:14 | カトリック



久しぶりに、芥川龍之介の作品を読みました。

きっかけは、新聞のコラムに、受験のテキストにふさわしくない性的な表現が使われている

という問題について書いてあったのですが、そのコラムで私の目に入ったのは芥川龍之介の

「奉教人の死」という作品名だけでした。

1冊読み終わって、芥川がどれほどキリスト教について関心があり、深く調べ考えたかを

知ったことでした。

以前読んだカトリック関係の書物に、日本では信徒の数以上に、キリスト教的考えに

共観しているとか、心の中に持っている人の数の方が多いのではないか、

というようなことが書いてありました。


大正時代の作家がこれほど深くカトリックを研究していたということに、打ちのめされた気持ちです。

読書という分野だけでも、自分が知らないことはどれほどあるかと・・・。


好きな作品は

奉教人の死

おぎん

きりしとほろ上人伝 ( 子供のお話のようで )

報恩記


どれも芥川らしくシニカルで、怖かったです。


最後の解説を、小川国夫が書いていたのも味わい深かったです。


良い読書ができました。



祈りのはこぶね

2016-01-14 21:12:45 | カトリック
              

教皇様の勅書に続いて、良い読書ができました。

英隆一郎神父様の祈りの本です。

90ページほどの小さい本でしたので、出かけるときも持ち歩けました。

祈りについて、分かりやすく、具体的に書かれています。

以前朝ミサに行くときに、シスター方が一人ずつ、歩いてておられるのを見て、

仲良く一緒に行けばよいのにと思いましたが、お祈りしていられたのですね。

私はわりと人と話すのが苦手で、立ち話をしている人のそばを会釈して

通り過ぎることがあります。

でも気にしないことにします。

歩く時も、電車のときも、祈りたいと思います。

読み終わったら裏表紙に、素敵な言葉がありました。

「いま人びとは心騒がせている。紛争、飢饉。干ばつ、殺人

 思想洗脳、さまざまな事件。この時代の大水をどのように

 して乗り切っていけばいいのだろう。答えは簡単、「祈り
 
 のはこぶね」に乗りこもう。ノアがあらゆる動物たちを乗

 せたように、はこぶねの中は祈りの宝庫だ。今のあなたで

 にあった祈りが見つかるだろう。たとえ嵐のさなかにあっ

 ても、祈るならば、鳩がオリーブの枝を運んできたように

 祈りは喜びを運んでくれる。彼方には祈る人々への確かな

 約束、大きな虹がかかるだろう。

 

「祈りのはこぶね」英隆一郎神父様 裏表紙のメッセージから

合宿

2016-01-12 17:25:46 | カトリック
教皇フランシスコの勅書の勉強会でした



箱根は寒くありませんでした。
良く晴れていて、富士山がきれいに姿を現しました。
富士山の雪も例年より少ないそうです。
これから降るのかもしれません。




途中の休憩で、周囲を散歩してみました。
何もないところで、空気と空がきれいでした。



8階からの夜景です。
小田原がとても近くに見えますが、車で40分くらい上ってきました。


合宿に参加したおかげで、一人で読んでいたところの疑問が、解消されてよかったです。

Misericordiae Vultus
この言葉は、直訳では「あわれみのみ顔」に近いそうです。

 あわれみは 憐れみではなく、哀れみの方の意味で。

 慈しみだと、かわいがる、大切にするのようなことですが、

 神様の哀れみは、はらわたからくる痛みという表現でよく聞く言葉です。


 神様が私たちを気にかけてくださっている。

 私たちも気にかけ合いながら、生きてゆくということを考えました。

 

                  

合宿で購入した「カトリック生活」1月号が特別聖年記念号でした。

その記事の中で「いつくしみ」につて岩波キリスト教辞典を引用しての解説がありました。

あわれみの疑問を持てたこともよかったし、合宿に参加して、元の意味や教皇様の意図を

うかがうこともできて、有意義な時間でした。