ゆめひこう 

日々の思いを

消された信仰

2018-08-17 11:46:44 | カトリック

昨年、九州地方の巡礼のツアーに参加しました。

その時生月島にも行きました。

今回世界遺産に入らなかったことは、良かったと思いました。

個人的な感想ですが。

信仰が人を縛るという考えもあるかもしれないけれど、

それが支えになっている人もあるでしょう。

はたからは言えないことだし、観光目的の世界遺産は

外国でも拒否する地域もあるそうですね。

生月島の信仰はキリスト教から生まれたもので

何が正しいとかいえないと思います。

神様はそういうことはすべて受け入れてくださるでしょう。

生月島の人口が減っていくことが残念です・・・


天の国のたとえ

2018-08-07 21:09:19 | カトリック

 天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。

見つけた人はそのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物を

すっかり売り払って、その畑を買う。(マタイ13章44節)

 

 このたとえを、「わたし」を主人公にして、「畑に宝が隠され

ている。それを見つけたわたしは、それをこっそり隠しておいて

ウキウキしながら帰る。そして、自分の財産を全部売り払ってで

もその畑を手に入れたいほど、その畑は価値があるものだ」と多

くの人が読んでいますが、それは間違っています。

 「天の国」のたとえの主人公は、いつも神です。ここは「畑の

中、泥の中に宝が隠されている。その宝を見つけた神は、自分の

持ち物を全部売り払ってでも、それを買い取ってくださる」とい

うことです。宝とはわたしです。それが天の国のたとえです。

神は、畑の中、泥の中に隠されているわたしを見つけて、ご自分

を全部捨てて、私を買い取ってくださるのです。

 つまり、神は神であることさえ売り払って、捨てて、わたしを

贖ってくださったということです。それが、天の国のありような

のです。      神言会修道会 西 経一神父

 

 使徒言行録の解説書の中にあった文です。