ゆめひこう 

日々の思いを

お父さんからの手紙

2015-09-29 16:33:24 | カトリック


週日のお昼に聖堂へ行くと、パイプオルガンの練習中のことがあります。

神様と一緒に音楽を聞いているような気持ちになります。

今日のミサは聖トマス西と15殉教者のためにささげられました。

ルカの9章、お名前を使って悪霊を追い出している話。

やめさせようとする気持ちは、自分たちだけが本物だという、自慢げなプライド。

イエス様はそれを指摘されたと。

小さなものになるのはとても難しいと思いました。

                

教会の図書館で、10代の人の本を借りてきました。

1933年から、1945年までのハンガリーの様子を少年の目でえがいてあります。

1938年11月9日の「水晶の夜」事件、こういうことだったのかと知りました。

「大きなふしあわせは、いつだって、大きなふたつのしあわせの季節にサンドイッチされているのさ」

長生きしたおばあさんが言ったそうです。

あの戦争を生き延びたことは、幸運だったのでしょう。

でも、今の世界でも、生き残れるかどうかの瀬戸際にいる人がいます・・・。

著者は1955年にニューヨークで生まれたそうです。

お父さんが1938年にナチスから逃れるためにオーストリア=ハンガリー帝国から米国に移住しました。

お父さんのルーツをたどって、書いたのですね。

この作品のような形で、若い人に語り継がれてゆくのが良いと思いました。

神の旅人―パウロの道を行く

2015-09-21 18:18:09 | カトリック
                

夏休みから、ずっとパウロを読んできました。いつも頭の隅にパウロがあった気がします。


今回読んだ森本哲郎氏の「神の旅人」は、私にとって集大成になった気がします。

初めのころは、パウロの宣教が分かりませんでした。

イエス様に出会った使徒でもないし・・・。

ダマスコの回心というのも、謎めいていて。

パウロの本を繰り返して読むうちに、パウロの軌跡を頭に描くことができるようになりました。

また、今は廃墟になっているそれぞれの町が、2000年前にはどのような歴史を持ってきたか、

そのときよりさらに前に栄えていたこと。

と、いうことは、現在繁栄している世界の都市も、2000年後にはどうなっているかと・・・。

この本は1988年の出版です。

紀元前の都市の歴史から紐解いて、ていねいに分かりやすく書かれていました。

パウロはローマへ行きたかった、そしてスペインまでもと。

パウロの思いの深さと、細かい気配りが

それぞれの地方への手紙を読むことによって理解できるようになりました。

まだまだ勉強の余地ができたということですが。


秋の講座

2015-09-14 18:08:42 | カトリック
今週から、秋の講座が始まりました。

ちょっと間が空いたので、頭も抜けてしまっています・・・。


           
大雨が続き、大変な被害でした。

今日の秋晴れは、やっと本当の秋だ、と思わせるような空でした。

霊操について学びました。

7月には聖書の初めのところの罪について考えましたが、

今回は、自分の犯した罪について考えました。

洗礼を受けたときに、過去の罪は許されたけれど、

人は罪を犯し続けます。

告解をすることによって赦されるわけですが、

それでも常に自分がどんなに心が弱いかは意識する必要があります。

霊操では生まれてからすべての罪について思い起こすという作業をするそうです。

話を聞いて、5分ほど黙想したのですが、

過去にさかのぼるにつれ、自分の罪がたくさん詰まっていて、

思い起こすのが怖くなりました。

本格的に霊操をするとなると、中途半端ではいけないのが分かりました。

私が思い起こしていた時に、神様はその姿をずっと見ておられました。




舟越保武 随想

2015-09-11 15:16:51 | カトリック
舟越氏の作品がとてもよかったので、エッセイも読んでみました。

作品に対する思いと、日頃の暮らしの中の繊細さや優しさにあふれたエッセイでした。

石を彫るという頑丈な人が、心は少年のままのように思いました。

          

1980年代に新聞にかかれたものだそうです。

掌編ですが、一つひとつ味わって読みました。


腕組みの姿勢はいけない。人の前で腕を組むのは防御の姿勢に見える。
反抗の姿勢でもあり、時には邪心を隠す形にも見える。


手は、4本の詰めは上を向いているが、親指の爪は横を向いている。
それぞれの指の関節の長さの比例は、見事なリズムを持っている。
手の指の複雑微妙な構造が、人間の文化をここまで進めてきたのだろう。


「大きな時計も小さな時計、どっちも時間がおんなじだ」
気が沈んでどうしようもないときに、つまらない言葉が私を支えてくれる。



          

こちらは1982年出版で、病を得たのちのものでした。

私は舟越氏の像をずいぶん見ていると気が付きました。

秋田のマリア様を訪ねたときには、田沢湖の「たつ子の像」を見ました。

長崎の二十六聖人も見ています。

去年、島原を巡礼したときには、原の城も見ることができました。

そしてトラピスト修道院のマリア様と。


でも、舟越氏についてこれだけいろいろなことを知った今、

もう一度、すべてを尋ねてみたい思いに駆られています。


彫刻展 舟越保武

2015-09-06 09:59:59 | カトリック
新聞に小さな彫刻の記事がありました。展覧会のお知らせでした。
                   
舟越保武。

舟越氏は「永遠の仔」の装丁で好きになりましたが、ちょっと私の勘違いでした。
保武氏はお父さんでした。

6月に北海道に巡礼に行った時、トラピストの聖堂のマリア像が保武氏のものでした。
聖堂の正面の像が、イエス様てなく、マリア様でした。            


                 
これはトラピストのホームページからお借りしたものです。


禁域の外から、晩課に参加させていただきました。
忘れられない思い出です


展覧会に行って、いろいろなことを知ることが出来ました。

清楚な女性像が特徴の一つだそうです。

            
聖セシリア

大理石の彫刻です。

硬い石から、こんな繊細な表情ができるのですね。

聖クララも大理石でした。


聖セシリア

木炭画です。

            
聖セシリア

楽器を持っています。
音楽にかかわる人の礼名に多いですね。


            
聖マリア・マグダレナ

            
聖マリア・マグダレナ

聖マリア・マグダレナの像は、香のツボを持っていて、
イエス様のお墓に行くところという感じでした。

何だか迫力が伝わってきました。



長崎の26聖人も氏の作品でした。

26聖人を作った時のいきさつや、制作過程などありました。
レプリカもあって、長崎で見た像をもっと間近に見ることができました。

            
聖フランシスコ・ブランコ
26聖人、殉教者の一人です。
亡くなった女の子の命を救ったと言われています。


会場にあった、文章が温かく、誠実さに溢れていました。


エッセイも書かれているようです。
読んでみたいと思います。

私が記事で見つけたのは、聖クララでしたが、絵ハガキはありませんでした。
がっかり😖⤵

彫刻の展覧会はめったにありませんが、心から安らげた1日になりました。