ゆめひこう 

日々の思いを

黙想会 わたしの魂よ、主をたたえよ

2013-11-25 16:57:18 | カトリック
主聖堂で、教会黙想会がありました。

1年に一度です。

イエズス会の神父様がいらして、指導してくださいました。



                  

イグナチオの霊性の基本を各自の置かれた場で行います。
今まで歩んできた道を振り返り、自分を神に無条件で委ねましょう。
創造してくださった神の愛に、また今でも絶えず自分を支えて心にかけくださる神の愛に、すべてを委ねましょう。
そして神が私たちの世界を見降ろしているのを想像してみましょう。


                     


イエズス会の黙想会に参加することが多いのですが、なかなかうまく黙想できません。今日のお話と説明のパンフレットはとても分かりやすくて、良かったです。

祈りへの導入

心構えが話されました。

静けさと知覚の祈り
A 身体の知覚

B 音の知覚

C 呼吸の知覚

いつも通っているヨガと似ているところがありました。


それから聖書の箇所をいくつか示されて、一年間の生活を振り返りました。

今年の私は、秋田のマリア様へ巡礼しました。
森のイスキアで、佐藤初女さんとお話することができました。

秋には五島に巡礼しました。福江島から野崎島の野首教会までめぐることができました。

初めての巡礼を深く感謝しました。


午後

ご受難の観想

このあたりから難しくなります・・・。
テキストを読みながらゆっくり黙想しました。

最後に対話

父と子と聖霊とそれぞれとの対話。
マリア様とも対話する。

「主の祈り」を唱えて終わる。



翌日が「王であるキリスト」の主日でした。

そのミサを上げてくださいました。


心に残ったお話は、イグナチオ・ロヨラの「霊操」から

人間は創造されつつある。地上の他のものも創られつつある。
というところでした。

完成した地球という星に、完成した人間が生きているのではないと考えました。

少しずつ黙想が深められるような気持がして、充実した一日になりました。




                  

先週のお御堂です。
いつもとは雰囲気の違ったお花でした。

ブッダはなぜ子を捨てたか

2013-11-23 23:41:35 | カトリック


前回に続いて、また仏教の本を読んでしまいました。

ブッダはなぜ子を捨てたか  山折哲夫

読み終わりましたが、ブッダがどうして子を捨てたか、納得のゆく理解はできませんでした。

ところどころ、面白いなあと思うことがあって、なんとなく読み進みました。

「今日、葬儀の機会における悲しみの問題をグリーフ・ワーク(悲しみからの癒し)いう言葉で説明することが顕著になっているが、これは違う。仏教の立場からすれば、人の死にさいして深く悲しむことこそが無上の理(ことわり)を悟ることに通ずるからである。悲しみからの癒し(回復)を強調する考え方は、生き残った者の生存へのエゴイズムを象徴する解釈、というほかない」

お経についても、般若心経は新しく作ったダイジェスト版みたいな説明がありました。

子供のころ、祖母に連れられて行ったお施餓鬼で、お坊さんがお経の本を扇みたいにぱらぱらと、広げる技も意味があると知りました。

最後に引用されていた中村元のブッダの言葉がとても印象に残りました。
聖書でよく出会ったいる言葉でしたが。


また中村元の本を読みたくなると困ります・・・。

仏陀

2013-11-18 20:23:55 | 読書




ひろさちや氏の本を読了しました。

今までチャレンジしても最後まで読めなかった気がします。

「仏陀」です。

宗教はいろいろ関心があります。

でも私の場合ちょっと、変則で・・・

息子から借りた「聖 おにいさん」のまんがが面白くて、9巻まで読み。

それから本箱の奥にあった手塚治虫の「ブッダ」を全巻読み、中村元の「仏陀」を読み、ひろさちや氏にたどり着きました。

高校の歴史で、仏教には小乗仏教と大乗仏教があって、日本に伝わってきたのが大乗仏教ですと、教えられましたが、内容や区別は教わったのに忘れたのか?

仏陀が病院の院長さんで、阿羅漢たちは入院患者、在家の信者は通院患者というのがわかりやすかったです。

大乗仏教は在家の信者と仏入滅後200年くらいの時に立ったアショーカ王の働きだったそうです。

もっと先を知りたくなりましたが、今は旧約聖書に手いっぱいなので、いつかまた仏教も勉強したいと思います。