聖書講座の梯子をしてしまいました。
午前中は、ずっとお世話になっている神父様の講座でした。
このところ旧約からキリスト教を見るお話が続いています。
私にとっては、ヨーロッパのキリスト教が、なぜなのだろうと思うことがあるので、
その前の、ユダヤ教の人々が神をどのように崇拝していたか知るのは、納得がゆくことが多いのです。
今日は詩編の主に感謝せよ。
慈しみはとこしえに。
というフレーズについてでした。
イスラエルの人たちは、天地創造から、出エジプト、ずっと神の慈しみの中を生きてきたと歌います。
私たちの存在の根底に、神の存在があり、神の慈しみの上に私たちの命がある。
神にかかわっている私たちの命の営みに目覚め、人とのいのちのかかわりを
つなげてゆくことが生きるということ。
運の良いことに、お昼のミサに与ることができました。
このところ神様にプレゼントをいただくことが多いなと思います。
午後の神父様は、修道会の神父様で、春からお世話になっています。
今日はルカ福音書の中の慈しみの箇所を読みました。
イスラエルの歴史の中で神の救いの業を慈しみとして賛美している。
人間の側から、「憐れんでください」と叫ぶ。神への信頼。
ルカだけに登場するたとえの中でも、憐れみを語る。
神から憐れみを絶えず受けている私たちは、その愛を分かち合う必要がある。
思いを外に出すことが大事。
どちらもキリストを頭で理解しようとするだけではダメということだと思います。
帰り道、新緑の中を車にゆられ、この満たされた気持ちを、どうしたら外に表すことができる
だろうかと思っていました。
最後の皆様の発言の中に、ヒントがありました。
出席者が話すことも貴重だと思いました。