ゆめひこう 

日々の思いを

クリスマスミサ&Christmas Corols

2013-12-22 16:44:37 | 読書
                

少し早いのですが、聖歌隊が主催するクリスマスミサに与りました。

                
大好きなマリア聖堂です。
木彫りのマリア様です。
抱かれているイエズス様もとてもかわいい表情です。


入祭は「ああベトレヘムよ」参加者全員で。

哀れみの賛歌   Kyrie

栄光の賛歌    Gloria

答唱詩篇  「遠く地の果てまで」

信仰宣言   クレド・ドミネ

感謝の賛歌    Sanctus

主の祈り     Oratio Dominica

閉祭     もろびとこぞりて

聖歌をラテン語で歌ったのは何年ぶりだったでしょうか・・・
懐かしかったです。

ミサのあと、聖歌隊がキャロルを歌ってくださいました。

すばらしいハーモニーで、聞いているだけで、心が洗われるようでした。

今日は私にとって神様からの最高のプレゼントでした。



                 

帰りがけ、後ろのステンドグラスを見上げました。

内側から眺めたことはありませんでした。

                  

教会の庭の馬小屋は完成していました。

               
外国の信徒の方が作られる馬小屋は、にぎやかで楽しそうでした。

一足先に降誕祭をお祝いいたしました。

クリスマスは、なんでもない日々を家で過ごします。

いつも神様のほうを向いている私が
クリスマスに教会に行かないで、家事をやっていたら、
家族にとって、それも宣教ではないかと考えたのです。

「福音書解読」

2013-12-17 11:51:59 | カトリック
         

知り合いの方のブログに「福音書」解読と言う本がありましたので、

読みました。

私は今まで聖書の勉強をしてきたのは、

神父様か神学部の教授の方たちでした。

この本の著者は言語学者のようです。

聖書を客観的に読み解くと言うことでしょうか。

驚くことばかりでした。

Q資料は存在しないと言う立場。

私は亜麻布をまとってイエスについてきて、

つかまりそうになって裸で逃げた若者は

ヨハネだとばかり思っていました。

だれに教わったのか分かりませんが。

若者はマルコ著者のマルコ自身と言う説があるそうです。

使途言行録に「ペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った」

とあります。

ヨハネ・マルコと言う名前はマルコ福音書の作者なのでしょうか?

キリストが十字架にかけられたときにそばにいたのはヨハネでした。

マリア様はその後ずっとヨハネと共に暮らしたと、聞いていました。

私の知人は洗礼名を「ヨハネ」にしました。

理由は「使徒の中で、殉教していないのはヨハネだけだから」

といって、笑っていました。

聖書がこんな風にいろいろな角度から長年にわたって

研究されてきたのには、改めて驚きです。

日本と言う言語が異なる立場では、大変なことと思います。

私には難解だったからでしょう。

疲れました。

告解してきました~

2013-12-14 14:15:00 | カトリック
「降誕祭が近づきますと、ゆるしの秘蹟を受ける方が多くなります。
 
 なるべく早めに受けるようにしてください」

教会のお知らせや、ボードに書いてあります。

まるでバーゲンのお知らせや新製品発表のときみたいに、せかされます。

信徒はこんなところからも師走を感じるかも・・・


友人の教会の神父様は「大罪しかか聞かないよ」っておっしゃるそうです。

別の友人は「年をとると、トラブルも避けられるようになるからね」


「う~ん・・・」

でも、気になることは済ませてしまいましょう。

火曜日の夕方5時、ゆるしの秘蹟を受けに、教会へ行きました。

早めに着いたと思ったけれど、もう7.8人の人が並んでいました。

えーと・・・

心の中で、告解することを言ってみます。

このところ毎日、心の中で繰り返して言ってました。

どきどきしてきました。

皆さん告解のときは、どきどきするのでしょうか。

隣りの人に聞いてみようと思って、ふと見ると、白人の青年でした。

大学ノートにびっしり英文が書いてあり、読んでいます。

驚きました。

結局6時のミサが始まるころに私の番が回ってきました。

告解室に入ったら、どきどきは止まっていました。

神父様の声は優しいです。

ミサのときとは違うトーンです。


帰り道、私は大きな荷を降ろしたような、軽々とした気分でした。

「告解してきたよ~」

と、言いたい気分でした。


町はクリスマスです。






そういう輝きとは違う輝きが、私の心の中に生まれました.


私が告解を済ませたと言ったら、友人は

「よかったわね、軽くなったでしょ。

 うらやましい、私はまだなのよ」

と言ってくれました。

落ち着いて降誕祭が迎えられそうです。





気合の入った神父様

2013-12-10 22:02:25 | カトリック
来住英俊神父様の本を読みました。

                

来住英俊神父様は私たちの教会に来てくださって、
お話を伺ったこともあります。

お話はわかりやすくて、ユーモアがあって、時間の経つのを忘れるほどでした。
それで「目からうろこ」シリーズなど、かなり読んでいます。
何もわからない私のようなものの目線で書いてくださっているので、
安心して読むことができます。

「「気合の入ったキリスト教入門」Ⅰも本当に入門書として読むことができました。

今回のⅡは、表紙にとても楽しそうなキリストがいらして、
それだけでうれしくなって読みました。

このごろ心に残った文章があると、付箋をつけて読むようになりました。
その中から、心覚えにいくつか・・・。


インマヌエル=「神は共に居られる」
何もしてくださらなくても、神が人と共に生きてくださるだけでいいのです。

人が生きていることは「自分が何かをする」か、
「人が自分に何かをする」のどちらかなのです。

(DO) が現れるために
(BE DONE TO) がなくてはならないのです。

老いた母の「受ける者として」の存在は意味のあるものなのです。

イエスの公生活は常に働きかけるものだった。
逮捕されて以降は、すべて受身だった。
十字架上の死まで、人として生ききった。
生ききった後、向こう側に突き抜けていった。
「突き抜ける」を聖書的に言うと「過ぎ越す」です。


各章の終わりに、対話があります。
それが皮肉に満ちたもので、神父様の独り言と取れないでもない・・・

3冊目があるそうです。
今からとても楽しみにしています。

最近、神が共にいてくださるという考えを、
理解できるようになった気がします・・・

遅いですね~

雇われ羊飼いの本

2013-12-06 10:20:42 | カトリック
オプス・デイ属人区司祭 酒井俊弘神父様の本を読みました。



シリーズ3冊目です。

初めての酒井神父様のお説教はパソコンで聞いたと思います。
途中に電車の音とか、赤ちゃんの声が入ったりしていて、あったかい雰囲気でした。

それから「雇われ羊飼いの言いたい放題」という本が出て、
2冊目も読み、今回、みたびということです。

なんだかとてもていねいに楽しんで読みました。
お説教の終わりに俳句が入っていて、味わい深かったです。

こんな楽しいお説教が聞ける神戸や大阪の信者さんがうらやましいです。

でも、長い・・・・。

たくさん心に残りましたが、自身の心覚えとしていくつか記録しておきます。

◎ 「全実体変化」パンの色とか形とかの偶性の中に、パンの実体があるのです。
  司祭が「これは私の体である」と聖変化の言葉を唱えると、
パンの実体の部分が、イエス・キリストの実体になる。
  聖変化について神学者の説明。

◎ 姦淫の女
  聖アウグスチヌスの解説
  「主よ、それはどういうことですか。
   それではあなたは罪を嘉したもうのですか。   
   確かにそうではない。続く言葉を注視せよ。
   『行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』
   だから主は罰したもうのである。
   だが、人間をではなく、罪を、罰したもうのである」
  (聖アウグスチヌス『ヨハネ福音書講解』
  
   要するに、罪を憎んで人を憎まずと言うことです。

◎ マルタとマリア
  仕事をするときの正しい意向。
  完璧な自分を目指してすると不満が出る。
  神様に喜んでいただくため、
  あるいは誰かに喜んでいただくために一生懸命する。

  神様が見ていてくださればそれで十分。

  (これは、私がよくよく自分に言い聞かせたいことでした)

◎ できない神様を知ろう
  「裏切ることがない人間」というものを創ることは
   神様には考えられなかった。
   そんな自由意志のない、ロボットのようなものを創るのではなく、
   たとえ裏切る可能性があるにしろ、自由に神様に愛を返すことが
   できる人間をお創りになることを、愛ゆえに選ばれた。

   俳句も心にしみる作品でした。
   17文字で振興の世界をも、広げられることを知りました。