ゆめひこう 

日々の思いを

待降節・主の誕生

2018-12-25 21:15:54 | カトリック

 

 

22日の土曜日に聖歌の練習に行きました。

23日は待降節第4主日です。

いつくしみ深く、小さいものに目をとめてくださる神よ

と祈りました。

「私たちは小さいものだから、小さいことを喜び受け入れましょう」

「ご覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」

イエス様の言葉です。

奉納で「しあわせなかたマリア」を歌いました。

拝領は「アヴェマリア」を歌いました。

24日は主の降誕の夜半ミサです。

私は5時のミサに行きました。

「イエスは若い貧しい夫婦のもとに生まれました。

 祝福されて生まれたわけではありません。

 そのあとも、エジプトの逃げなければなりませんでした。

 不自由な生活だったでしょう。

 今の日本でも、災害にあって不穏イな生活をされておられる方が多くいます。

 これは2千年前の出来事だけではないのです。

 そのことを思いを深くしましょう」

 力強い神父様のお説教でした。

入祭は「しずけき」

奉納は「きたれともよ」

拝領は「ああベトレヘムよ」

閉祭は「もろびとこぞりて」を元気よく歌いました。

 

 

5時のミサが終わったら、7時のミサを待つ人の列が

庭を一周していました。

まだ40分前ですが.…。

 

駅前で、若者がクリスマス演奏会をしていました。

演奏する人も聞いている人も楽しそうでした。

 

25日は主の降誕のミサでした。

ヨハネによる福音の第一章が読まれました。

「初めにことばがあった。これは神様のことです。

 言葉はイエス様となって、私たちと同じ人間になってくださいました。

 私たちの中に聖霊となってあふれるように満たされています。

 恵みと真理はむずかしいですね。

 恵みは愛です。真理は正しい自由な心です。

 イエス様が人間として生まれてくださったのだから、

 私たちは喜んで安心して生きましょう」

入祭は「雨にはさかえ」

奉納は「まきびと」

拝領は「ハレルヤクリスマス」楽しい曲でした

閉祭は「もろびとこぞりて」

 

毎日教会に行ってました。

楽しいクリスマスでした。


降誕節ミサとミニコンサート

2018-12-15 21:00:10 | カトリック

・・

聖歌の練習に行った帰りに、

「初金聖歌隊による

 降誕節ミサと

 ミニクリスマスコンサート」

に行きました。

神父様のお説教はとても印象に残りました。

アメリカのニューヨークに住んでいた父と息子、

ベトナム戦争で息子は戦死しました。

一番大切なことはキリストを身のうちに持っていることと。

ミサの後、聖歌隊のコンサートです。

世界中のキャロルを聞きました。

・久しく待ちにし / Veni,Emmanuel (9世紀語聖歌)

・あめのみつかいの/フランスのキャロル Angels we have heard on high

・まきびと/イギリスのキャロル The first Noel

・歓べ/イギリスのキャロル Gaudete

・あまねく地上に/スペイン、カタルニアのキャロル Over all the Land

・飼い葉桶急げ/アメリカ、ゴスペル Run to the Manger

・さあ、起きて/アメリカ、ゴスペル Rise up

・鐘の音高らかに/フランスのキャロル Ding Dong

・しずけき/オーストラリアのキャロル Noche de Paz/Still Nacht

・喜べ/アイルランドのキャロル Rejoice

アンコールはマリア様でした。

どれ程研さんを積まれたかと思いました。

4部がきれいでした。

早くもクリスマス気分になりました。

良い一日でした。

庭には馬小屋もできました。

 

神父様をおたずねした、SJハウスのお玄関 で見つけました。


須賀敦子さんの翻訳

2018-12-10 17:46:33 | カトリック

「大司教に死来る」

須賀敦子さんが卒業論文として訳されたそうです。

20代でこんな素晴らしい仕事ができるなんて。

でも、カトリックの言葉が日本語にはないものが多く苦労されたとか。

19世紀のアメリカの開拓時代の自然と、社会の様子が描かれています。

自然描写も心理描写も、引き込まれてゆきます。

2人の祭司が登場しますが、とても味があります。

この苦労はパウロの宣教をも思い起こさせます。

須賀さんの本をまた読みたくなりました。


聖書週間記念講演会

2018-12-07 14:19:12 | カトリック

聖書週間にパウロ会の修道院で、講演会がありました。

澤田豊成神父様のお話です。

聖書のたとえ話を読みました。

一つのたとえ話をいろいろな角度から考える。

「良きサマリア人」のたとえも、

祭司、レビ人、サマリア人。それぞれの立場がある。

冷静に考えると,祭司の仕事ができなくる、レビ人も掟がある、

実はサマリア人も、ユダヤ人を助けたことが分かったら、

村八分になるかもしれない…。

また道の向こう側と書かれているが、実際は狭い道で

旅人のすぐ側か、またいで通るくらいのところなど。

でも、イエス様は助けた人が友人と言われた。

それは冷静な判断力ではなく、はらわたを動かされるような

とっさの感情で行動を起こした。

それが愛なのです。

放蕩息子や。パンだねなど、私たちは結果を知ってるから

あまり感動しないで読み進む。

でも、聖書はいつも初めて読む気持ちで読みましょう。

かなり広いホールでしたが、たくさんの人でした。

澤田神父様のお話と笑顔は穏やかで、気持ちが和みました。