ゆめひこう 

日々の思いを

魂のゆくえ

2019-04-23 22:08:04 | カトリック

新聞の細い広告だったのですが、目に留まりました。

タイトルか、写真の雰囲気か・・・

主日のミサの帰りに渋谷まで行きました。

お昼の部なのに、ほぼ満席でした。

(小さい劇場ですが)

2050年の地球はどうなっているか。

私もこのままで地球は人が住み続けられるのだろうかと考えます。

教会の苦悩も描いています。

脚本はタクシードライバーを書いた人で監督もしています。

主演のイーサン・ホークがすごくよかったです


復活の主日

2019-04-21 20:33:52 | カトリック

神父様のお説教

「一緒にいるとはどういう状態をいうのでしょうか?

 通勤の満員電車では、人がすぐそばにいます。

 くっつくように近くにいます。

 でも、その人は一緒にいる人ではありません。

 関係ない人離れてゆく人です。

 カーナビはどうでしょう。

 ずっと傍にいます。

 離れません。

 そして行く道を間違えても怒りません。

 では次に行く道はと教えてくれます。

 神様も同じです。

 いつもそばにいます。

 間違えても、大丈夫です。

 次の道を教えてくださいます。

 神様はどれほど、私のそばにいるか、今日から改めて

 考えましょう」

 

ほんとに神様はいつも、すぐ近くにいてくださいます。

 

ヨハネの福音書20章6節

シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを 見た

8節 それから、先に墓についたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。

ペトロとヨハネの信仰の違いと、以前聞いたことがあります。

でも翻訳がどうなのでしょうね。知りたいところです


聖木曜日

2019-04-19 14:18:32 | カトリック

聖木曜日のミサを終えて、御聖体安置室をお参りする人の列です。

 

洗足式には若い人や子供たちが並びました。

パパ様が、宗派を超えて、民族を超えて、足を洗われたように、

思いもよらない大きな好意を表しましょう。

 

ご聖体が運び出され、何もない聖堂です。

ぽっかりさみしさだけが存在します。

 

帰宅途中で見た月は、まさにもうすぐ満月でした。

今日もミサに与れない人と一緒のつもりのミサでした。


受難の主日

2019-04-14 16:45:54 | カトリック

枝の主日です。

聖歌隊も枝を持て歌いました。

「キリストは神の身分でありながら、神と等しい身分であることに

痼疾しようとは思わず、却って自分を無にして、しもべの身分になり、

人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、

死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

 

お説教では、宗教の神は上にあってあがめられる存在になっている。

けれどキリストは一度死んで一番下目で下ってゆき、すべてを見られた。

そして天に上げられた。すべてを知る神である。

 

と、言われました。

すべての人間のためにキリストはおられる。

深く深く祈ります。

 

 


四旬節第五主日

2019-04-07 22:36:34 | カトリック

ゲッセマネの園の絵を典礼に使える機会は少ないそうです。

今日の第一朗読の

「初めからのことを思い出すな。

 昔のことを思いめぐらすな。

 見よ、新しいことを私は行う」

という箇所が、心に響きました。

祈っているときに、自分に言い聞かせていました。

第二朗読の

「キリストのゆえに、私はすべてを失いましたが、

 それらをちり芥とみなします」

パウロの言葉が、良く分かりました。

お説教では、この姦淫の女と、シモンの家に

香油を持ってきた女と、イエス様のかけた言葉は違う。

みな同じように赦されたというのではない」

四旬節に自分の罪を見つめましょうと。