ゆめひこう 

日々の思いを

小説キリスト 賀川豊彦

2014-10-21 16:03:41 | カトリック
                       

1938年に書きあげられた本です。

賀川豊彦は牧師として知っていましたが、社会運動の先駆者と知りました。

これほどの活躍をした人が真のキリスト伝道者といえるのかと、改めて思いました。

1947年・1948年のノーベル賞候補者リストに日本人初として名前があったそうです。

この時期もし日本人からノーベル賞受賞者が出ていたら、

どれほど日本を元気にしていたかと思いましたが・・・。

「小説キリスト」とありますが、聖書の中のイエス様が生き生きと描かれていて

脇役もたくさん登場して、魅力的です。

読んでいて楽しかったです。

気仙沼聖書を書かれた山浦玄嗣氏のキリストを想起させます。

社会運動について詳しく触れているので、当時の社会問題の一端も理解できました。

542ページ 

読みでがあり、十分楽しむことができました。
            

放蕩息子の帰郷 ヘンリ・ナウエン

2014-10-13 20:52:59 | カトリック


「1枚のポスターとの出会いが、それからの霊的探究の長い冒険を始めるきっかけになった」

ヘンリ・ナウエンは冒頭にこう書いています。

レンブラント作の「放蕩息子の帰郷」は、私も見たことがあります。

聖書の放蕩息子の帰郷の話も、何回も読んだり、話し合ったり、お説教で聞いたりしています。

ヘンリ・ナウエンの深い思索には、圧倒されました。

読みながら考え、元に戻り、絵を見つめ直し、また読み進むを、繰り返しました。

自分を放蕩息子の立場におく人が多いのでしょうか。

挫折を繰り返すという点では、私も同じ気持ちです。

でも、ときどき、頑張って生きていると、自分を励ましているときは

兄に自分を置き換えています。

今回、父の気持ちが、はじめて理解できるようになりました。

まだ全部ではないでしょうが・・・

兄も、弟も愛しているのです。

本当に単純なことでした。

私は家族を、同じように愛しています。

いろいろなことがあるけれど、愛しているという点では動きません。

神様は、その愛を、すべての人に示していられるのですね。

Samgha japan

2014-10-07 17:49:58 | カトリック
                
[仏教とキリスト教」

仏教とキリスト教について、大澤真幸氏と橋爪大三郎しとの対談でした。

この二人の対談は読みやすくて楽しいので、すいすい読んでしまいます。

「キリスト教とブッダの違い」

イエス・キリストはその本質において、神。人間とは違った生命体です。

ブッダがその本質において、あくまで人間であるのと対照的です。





「神の国は今ここに」

テイクナット・ハンの、エキュメニカルのような教会の在り方も、

現代の人が求めているものを、受け入れる場になっているのでしょうか?




「隣人愛」と「愛しいもの」
 仏教とキリスト教の
「愛」はどうちがうか?  石飛道子

「最後にまとめましょう。人類に偉大な影響をおよぼした二人の人物から

学びたいと思います。

隣人を自分のように愛したイエス。

「自己」を超え、他を害さないブッダ。

どんな宗教を信じてもとうとも、どんなに教えが異なっていようとも、

その宗教の精神を生かしもし殺しもするのは、ただ、あなたの「自己」が

どうふるまうかにかかっているのだと知るのです。




「ヴィパッサナー瞑想を哲学する」

永井均・香山リカの対談は理解できませんでした。





仏教関係の季刊誌だったのですね。

面白い本に出合えて良かったです。


これから、瞑想を、キリスト教の立場から深めていきたいと考えています。

虚ろな十字架

2014-10-04 20:45:09 | カトリック
               

十字架というタイトルですが、キリスト教とは関係ありませんでした。

東野圭吾だから当然ですが・・・。

一気読みでした。

彼の本はいつも一気読みになります。

殺人者・被害者

それぞれの方向から、書かれていていました。

人間は誰でも罪を犯しながら生きている。

それが明るみに出ることが怖いと思いました。

他人事ではない・・・。

なんとかまっとうに生きようと努力しているのが、

弱い人間の精いっぱいの生き方ではないか。


「刑務所に入れられながら反省もしない人間など、いくらでもいます。

 そんな人間が背負う十字架なんか、虚ろなものかもしれません。
  
 でも、主人が背負ってきた十字架は決してそんなものじゃない。

 重い重い、とても重い十字架です。」

 
夫は、21年間、罪の意識を持ちながら、懸命に償う生き方をしてきたと、

妻が言います。



赦しを与えられるのは神。

人は人を裁くことはできない。

登場人物は律法のもとに罪を明るみに出して裁こうとしている。

傲慢に思える。

でも、殺人の被害者や、殺人を犯してしまったものの身内ンあっていないと、

発言する権利はないようにも思いました。