ゆめひこう 

日々の思いを

いやしのミサ

2013-05-30 17:03:33 | カトリック
3か月ぶりのいやしのミサです。

少し早目につきました。

聖歌隊がうたの練習をしていました。

いやしのミサは聖歌がとてもきれいなうえに、一緒に遠慮なく歌えるのでうれしいです。

このミサでは神父様が按手をして下さいます。

心や体の疲れている人のためのミサですが、誰でもいろいろなものを抱えて暮らしているので

誰でも招かれているということです。

頭においていただいた神父様の手がとても温かくて体の中にエネルギーが入れられたような気持になりました。

聖書のお話は子どものようにならなければ天の国に招かれないというところでした。

重い煩いとか、心配とか、打算とか・・・

すべて取り払って祈る。

                         


この聖堂にはそんな雰囲気があります。

ミサが終わるころ、一人の信者さんが倒れてしまわれました。

周囲の人も驚いたし、倒れた人も辛かったことだと思います。

看護師さんが二人いられて、貧血を起こしたのでしょうと手当をされました。


いろいろなものを抱えてミサに来られて、神様に重荷を取り払っていただいたら、

あんまり軽くなって、ふらっとしてしまわれたのか・・・。

そうだったらいいなと思いました。

だんだん顔色が良くなって、みんなもほっとして聖堂をあとにしました。

                       

気合の入ったキリスト教入門

2013-05-21 10:11:47 | カトリック
来住英俊神父様の本です。
出版の広告を見てからずっと楽しみにしていました。
来住神父様の「目からうろこ」シリーズで
小さな悩みをずいぶん救っていただきました。

去年、所属教会に来てくださって、お話を伺った時もとても楽しかったのです。

今回の本も期待通りというか、期待以上でした。

          

キリスト教を信じている人と、信じていない人が夫婦になって一緒に暮らしているのは
一見何でもないようだが、問題を含んでいる。

一人の世界には神がすんでいるということ。
これはいろいろな折りに実感があります。



わたしが願っていること。
(夢)
願い事があったら熱心に神に祈る。
必ず実現するとは言わない。
「それは起こりうる。だから、願いなさい」

人間は神が何をいつ、どのように実現しようとするか知りつくすことはできない」
神が望まれれば、それはすぐにでも起こる。
起こりうる。
神は全能であり、この世界の創造主であるからです。
神にはそれは可能なのです。


日本は極めて孤独な国だ。
ドイツは戦争に負けたあとはヨーロッパという家族に戻った。
しかし、日本には家族のような国がない。
本当の意味での友達もいない。
これは日本の運命だ。
(ロシアの人が言われたそうです)

人間の目的
人は一緒に生きるものである。
癒してくれる動物ではだめ・・・。

原罪という言葉は、罪の字が、日本語では強すぎる。
原罪とは、人が一人でいるのは良くないのだが、
一緒にいることで、何かがずれたということ。
「神を押しのけて、自分がすべてを支配しようとする反逆だ」
(ヨーロッパの力への欲望)

日本では
怠惰・・・まぁ いいか
「人間は自分自身を神に優先させ、まさにそのことによって、神を軽んじました」
別の言い方をすると、待てなかった。

戦後の日本の発展と、今の挫折について、戦後生まれの人が書かれたことに納得しました。

この本は第1巻で3巻まで続くそうです。
とても楽しみです。



               
聖霊降臨の主日の聖堂です。
聖書の言葉のような雰囲気の花でした。



聖書の初め

2013-05-19 14:00:53 | カトリック
新約聖書の初めはマタイです。
系図が延々と書かれていて、たいていそこで挫折すると。
わたしも何回もチャレンジしましたが、途中まででした。

どうしてみんなに嫌われるような、面白くない書き方をしたのかと。

今日の神父様の講座はそのお話でした。

マタイにとっては、神の働きかけがアブラハムから始まっていると伝えたかった。
まずアブラハムに子孫を繁栄させると約束された。
次の登場はダビデで、その玉座が永遠に続くものになると明言した。
次がバビロン捕囚では預言者たちを通して新しい神の誓いを明らかにした。

そこからキリストに続く。

キリストの誕生は、人間に対する神の究極の愛の成就であったと伝える。
ヨハネには
「神は御独り子をお与えになるほど、この世を愛された」(ヨハネ3:16)
とある。

キリストは最後に
「行ってすべての民を私の弟子にしなさい」(マタイ28:8)
とある。

(キリストは伝えなさいと言っているのであって、修行しろなどとは言っていない・・・。)

だからイスラエル民族だけの神だけにとどまらないのを弟子たちも理解していった。


放蕩息子の話は、息子が戻ってきて父親に赦してもらったというなら、単なる人情話に終わる。

このたとえ話は神が息子を追いかけていって離さず、ずっと付き添っていたこと。
そして連れ戻してきたという神理解、「神は人間を見捨てずに働きかけつづけている」が必要。


たくさん考えて、頭が疲れました・・・。
帰りにミサに与りました。     
               
               初夏の気配です

これだけは知っておきたい・・・

2013-05-15 08:43:42 | 読書
「これだけは知っておきたい 史的イエス」
という本を読みました。


          




どんなことが書いてあったかというと

・なぜイエス研究は必要なのか?

・どのようにして「イエス研究」は可能なのか?

・「史的イエス」の研究はいつ始まったのか、そして何が学ばれたのか?

・イエスが語ったことと福音書記者が報告したことを区別するのは重要なのか?

・イエスに由来する諸伝承を識別する最善の方法は何か?

・新約聖書以外にイエスに関する報告は存在するのか?

・福音書は客観的な伝記なのか・

・イエスは最初のキリスト者ではなかっかたのか?

・イエスは、エッセネ派、ファリサイ派、熱心党、あるいはサドカイ派だったのか?

・いつ、どこで、イエスは生まれたのか?

・処女降誕に史実性はあるのか?そしてある者たちがイエスを「マムゼル」{私生児}だと判断したのか?

・イエスは知恵や治癒力を得るために外国へ旅をしたのか?あるいはそれらの力を得るためにエッセネ派と共に生活したのか?

・イエスの青年期を理解する助けとなる信頼に値する歴史を正典外福音書は含んでいるのか?

・洗礼者ヨハネはイエスの教師だったのか?

・イエスはマグダラのマリアと結婚していたのか?

・イエスは奇跡を行ったのか?

・どのように、またいかなる仕方で、考古学は「イエス研究」にとって重要なのか?

・「イエス研究」にとって最も重要な考古学的発見は何か?

・イエスは貧農であったのか?

・イエスの重要なメッセージは何であったのか?

・イエスは神がその支配をいつ開始すると考えていたのか?

・イエスは神に対してどんな用語を用いたのか?

・何がイエスを指導的祭司たちのある者たちとの衝突へと導いたのか?

・誰が、なぜ、イエスを十字架につけたのか?

・イエスの骨壷は発見、復元されたのか?

・もしイエスの骨が発見されたとしても、復活信仰は可能か?

・イエスは死者の中から復活したのか?


27の問いに対して、たくさんの資料を紹介してありました。

ずいぶん時間をかけてていねいに読んだつもりでしたが、未消化でした。

こういう研究を世界中の人がしているということに今更驚きました。

この本を熟読して、なお、さらに、信仰が深まるか、
全く信仰とは違う世界の学問なのか・・・?

信仰がなくてこれほどのエネルギーは使えないとも思いましたが。

これだけは知っておきたいことなのか、

これくらいのことを知らずに信仰は深まらないのか・・・・

聖堂で静かに祈りたい気分になりました。

                 

皐月にふさわしい飾りでした
               

朝ミサ

2013-05-07 13:10:34 | カトリック
「明日は朝ミサ」と思うと、早く寝なくてはと思いますが、
早く寝ても眠れるか分かりません。

あせると却って眠れなくなり・・・
薬を飲もうかと思ったり、
でも薬を飲めば翌日ぼんやりするかもしれないし・・・

いつもそんなふうに考えていました。


今回は、起きられなかったら行かなくてもよいと決めました。
やはり眠れませんでした。
その上、何度も目が覚めて、5時に目が覚めてロザリオ1環唱えましたが眠くならず。
そのまま起きてミサに行きました。



和室の聖堂です。
掛け軸の前の箱が聖櫃です。




いつもだったら朝方寝込んでしまうのに。
どうして行けたのかなあ・・・?

そうか、体はわたしの意志でどうにかなるのではないのかもしれない。

体も命も、己の所有物と思っていましたが、
わたしが頂いているものかもしれないと思ったら、
スッと力が抜けました。

先週読んだ、第3イザヤが浮かんできたのです。

しかし、主よ、あなたはわれらの父。
わたしたちは粘土、あなたは陶工
わたしたちは皆、あなたの御手の業。  64・7


「作られた器が、作った方にどうしてこんな器にしたのだとは言えない」
と、ありました。

主が意図して作ってくださったわたしという器・・・。