どうしてここまでするのか。想像を絶する。強情なんて言葉では説明はつかない。自分だけではなく、家族や村の人たちにも影響を及ぼす。たくさんの人たちを巻き込んで、不幸にして、とんでもない事になる。最後は自分も死刑になる。わかっていたことだ。こんなことをしても誰も幸せにはしない。
しかし、彼は頑なに自分の選択を守り抜く。変えない。だから、ひたすら、見ていて苦しかった。間違っているのは彼ではないことなんて、わかりきっている。でも、こんなことになんの意味があるのか、と思う。ナチスを拒否する。すべてを失ってでも。兵役拒否という行為。ナチのために戦争に行きたくはない。みんなもそうだったはず。でも、仕方ない。自分の中の正義を貫く? そんな正義のために、これだけの苦しみを受け入れるなんて。
テレンス・マリックのこの新作は3時間に及ぶ苦しみの時間だ。その果てで手にするのは自然の美しさ。全編を貫くナレーションで語られる彼らの想い。その優しさがこの映画のすべてだ。マリックの描くたかったことは、ラストのエリオットのことばで集約される。だからこそ、それを実現させるためにこれだけの上映時間が必要だった。だが、そこで描かれるのは苦難の物語ではない。静かに、淡々と、美しい風景と彼のことばが流れていく。映像詩だ。確かに、お話はあるし、収容所での姿も描かれてはいる。でも、記憶に残るのは美しい田園風景ばかりだ。
主人公のフランツは覚悟を変えない。ただ、サインするだけで解放される。でも、しない。何があってもうなずかない。周囲の人々が戸惑う。硬い覚悟、と言うよりも、自然な気持ちを貫き通しただけ。大切なものがそこにはあるそんなことは充分わかっている。ただ、誰もが、そうしたいと願っても実現は不可能だ。人は弱いから,彼のように想いを貫けない。名もない男のしたことは、ばかげた行為でしかない。だからこそ、尊い。