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映画・演劇のレビュー

『クローンは故郷をめざす』

2010-05-31 22:07:28 | 映画
 なんとも不思議な感触の残る映画だ。結構面白い発想のSFなのだが、とんがってはいない。この設定で無理なく、しかも2時間に及ぶポエムのような世界を作る。しかも一応最後まで集中を切らさない。脚本・監督は新人の中嶋莞爾。

死んだ宇宙飛行士である高原耕平(及川光博)は、政府から依頼されて自分の身体の情報を完全に残していた。しかも、彼が死んだときにはそれをもとにして自分のクローンを作るということも了承していた。

 クローン人間だ、なんて、なんとも非現実的なお話なのだが、現代の科学技術をすればそんなことも可能なことかもしれない、と思わせる。映画のなかで「そんなこと当たり前だよ」と言われると納得する。

 だが、クローン1号は記憶障害を起こして、廃棄される。完全なコピー人間なんて不可能だ、とも思う。なんだか大変だ。

 主人公は双子で、母親以外の人にはこの二人の区別はつかなかった。だが、事故で弟が死んでしまう。その日から彼は弟の代わりに生きる。幼い日のこの記憶を巡ってドラマは展開していく。回想として描かれる幼い日の母親との日々が美しい風景の中で綴られていく。

 自分が死んだ後も、もうひとりの自分が生き続けるっていったいどんな気分なのだろうか。死んだ後にも人生が続くのである。しかも、そこに自分は一切関与することはない。そんな虚しい話があっていいのか。オリジナルである自分は死んでしまったのだから問題は残された人たちの気持ちだろう。

 彼の妻(永作博美)がクローンの夫と出会い、彼に抱きついた時のなんとも言えない想い。最初に死んでしまった夫のクローンの存在を聞かされたときには、認められないと思った気持ちはよくわかる。生命の尊厳を無視した許すべからざる行為だと思ったはずだ。なのに、実際に会ってしまったとき、その男は、知らない男なんかではなく、当然自分がよく知っている彼自身でしかないのである。悔しいけど、うれしい。

 クローン人間としての自分についての話の内側には双子として生まれた自分たち2人の話が内包されてある。自分と同じ顔、形をしたもうひとりの自分が生まれたときからいるという気持ちってどんな感じだろうか。もちろん2人は全くの別人格なのだが、周囲は2人の識別すらつかない。不幸な事故があり、ひとりが死に残された主人公は死んでしまったもうひとりの代わりに生きていこうとした。このエピソードがベースにあり、2人のクローンの話がそこにリンクしていく。完璧にコピーされたクローン2号が、先に作られ記憶障害を起こし廃棄されようとしていた1号を追いかけるという終盤の展開はこの物語の当然の帰結点であろう。彼らが目指す故郷とは、母と過ごした幼い日のあの家である。そこにたどり着いた時、彼らは何を手にするのだろうか。雰囲気は抜群の映画なのだが、お話の詰めが甘いのが、残念だ。この映画のプロデュサーとしてヴィム・ヴェンダースが名を連ねている。いかにもが好きそうな話だ。

 自らの死体を発見したクローンは、それ(彼の前に作られた記憶障害を起こしたクローン1号だ)を死んだ弟と錯覚する。かつて暮していた美しき故郷を旅する。これはクローンとして再生された男の魂の彷徨を通して、生と死を見つめた物語だ。彼が何を思い何を求めたのかは、言葉では語られない。美しい風景の中、ひたすら歩き続ける彼の後ろ姿が象徴する故郷への旅は人間の魂のありかはどこにあるのかを考えされられる。



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