レオス・カラックスは懐かしい。80年代、僕がまだまだ若かったころ、夢中で映画を見ていたころ、彗星のごとく現れた「新しいフランスヌーヴェルヴァーグ(!)の騎手だった。これはそんな彼の13年振りの長編映画らしい。
しばらく彼の映画が公開されていないな、とは思っていたけど随分ご無沙汰していたものだ。『ポーラX』以来の新作長編ということらしい。でも、この映画は2012年作品と記載があるから、僕にとってはなんと20数年振りの新作という事になる。(日本での公開は昨年くらいだったかと思ったが、記録では2013年にちゃんと公開されていたようだ。)
カラックスという監督がいたということを忘れていたほどに長い歳月が過ぎている。80年代、ジャン・ジャック・ベネックスやリュック・ベッソンとともに一世を風靡した。あの頃、彼らの放った新感覚のフランス映画から僕たちは今まで見たことのない衝撃を受けた。あれから幾星霜。この映画はたまたま今日、アマゾンで配信されているのを発見して見た。劇場公開時も少し気にはなってはいたけど、スルーしていた。それが2013年だったなんて驚きだ。チラシを見かけたのはこの数年のことだと思っていたのだが、勘違いだった。
実は『汚れた血』も『ポンヌフの恋人』もそれほど好きではなかった。(当然『ボーイ・ミーツ・ガール』も、だ)当時の僕にはよそのよさがよくわからなかった。でも、なんだかあの頃は嫌い、とは言えなかった。正直言うと、過激すぎてついていけなかったのだ。彼の極端なこだわりに乗り切れなかった。でも、すごいとは思った。否定はできない魅力があったのも確かだ。
さて、この13年ぶりの新作もまた、過激な映画で、好きになれない。(今ははっきり、言える。)そこまでする意味がわからない。
で、お互いに(僕とカラックスね)変わらないな、と思う。別に彼は奇を衒って人を驚かせようとしているわけではない、ということはわかっている。だけど、それが何を目指した描写なのか、よくはわからないから戸惑うし不快になることも結局は昔と同じだ。
当然リアルな描写ではなく象徴的なお話なのだけど、描き方は直截的で生々しい。えげつない。相変わらずドニ・ラバンは汚いし。その日出会う’というか、彼が扮する)11人(だったっけ?)の人生のひとコマ。彼が演じて見せる。1日にそれだけの人たちを変装して演じているようなのだ。リムジンの後部座席を楽屋にして、着替え、続々とさまざまな人物のその「ある局面」を体感する。彼が本人に成り代わってその時間を代役として務めているのか、そこでの出来事は彼の仕業なのか。しかもやってることがいろんな意味で過激。人生の一コマでこんなことを体験したくはない。最後の猿の妻子との団欒って、何ですか? おふざけでしかないけど、あきれるし、もちろん驚く。見終えて、なんだかなぁ、と思う。やっぱり、好きじゃない。