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映画・演劇のレビュー

『ぜんぶ、フィデルのせい』

2008-01-31 21:28:23 | 映画
 9歳の女の子が、自分の目と耳を使って、この世界がいったいどうなっているのかを考える。自分の身に降りかかった災厄に不服を抱き、反発する。

 どうして急に狭い家に引っ越さなくてはならないのか。訳の分からないしらない人たちが家に出入りし、なんだか、お父さんとお母さんは忙しそうにするけれど、、そんなの納得がいかない。両親は自分勝手に政治活動なんかするから、生活が一変してしまう。「みんな、フィデルのせいなんだ」と彼女は思う。

 キョーサン主義なんていうものがわたしの生活をむちゃくちゃにしてしまう。彼女の仏頂面がとてもかわいい。この子は本気で怒っている。ふきげんになり、目を三角にして怒りをぶつける。

 ただのいい子ではない。しかし、もちろん悪ガキなんかではない。きちんと自己主張する少女なのだ。だから彼女はなんとかして両親のこと、この家に出入りする髭ずらのおじさんたちのことを理解しようとする。世界中にいる貧しい人たちのこと、富の分配について、等々。9歳の女の子にとって、複雑な政治事情、状況なんてほとんど理解不可能なことばかりだ。アジェンデ政権だとか、スペインの内乱、キューバのこと、そんなこと正確にわかるはずがない。

 だけど、図書館でチリについて調べてみたり、家に来るおじさんたちに聞いて見たり、お母さんたちの仕事を覗き見たりして、自分なりに考える。お父さんに「五月革命ってなんなの」と聞く。すると父親はちゃんとこの子に話す。「難しいから」なんて言わない。だから、必死で聞く。

 この小さな少女が、世界の人たちの幸福を実現するためには何が必要なのかを考えるのである。なんだか、それってすごい。

 付け焼刃の政治活動をする両親なんかより、この子のほうがずっと本当のことが見えているのではないか、なんて思ってしまうほどだ。特定の思想に惑わされることなく、自分の目で見て、しっかり自分の考えを持ち、正確に世界を見つめて、自分にできることをしようとする。

 激動の1970年代のパリを舞台にして、気まぐれな、でもとても真面目で一生懸命な両親のもとで翻弄されながらも成長していく少女の姿を見ながら、この強い意志を持った女の子の冒険に、なんだかたくさんの元気を貰った気分だ。

 カトリックの上品な学校から自分の判断で公立校に転校して、初めて学校に行く。いろんな子供たちのいる中に飛び込んでいくラストシーンも素晴らしい。

 世界はとても、広くて大きい。そんな当たり前の事を、この子はしっかりと自分の目で実感していく。子ども目線だから実現できたある種の真実の姿がここにはある。

 

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