6年ぶりの北京は前回と、大幅にイメージチェンジしていた。北京オリンピックを挟んでどんどん近代都市としてのリニューアルが進んできている。まぁ、北京だけでなく、アジアの都心部の発展は凄まじい勢いだ。古いものがどんどん取り壊され、近代的な高層ビルが所狭しと建ち並ぶ。表通りはどこに行っても東京や大阪とまるで変わらない街並みが続く。というか、日本なんかより凄いくらいだ。
しかし、この北京では、表通りから一歩離れたら、昔ながらの街並みがあり、故同が時代に取り残されたまま残っている。もちろん、そんな裏通りもこれからどんどん破壊されていくことだろう。昔ながらの雑貨屋のあるエリアからほんの数十メートル先には大型ショッピングモールが存在する。中間がない。前門周辺の現状は凄まじい。6年前にここで見た瓦礫の街が、今も目に焼き付いて離れない。あのエリアは完全にリニューアルされていたが、なんだか痛々しかった。ここで住んでいた人たちはどうなったのだろう。
街を歩く。凄まじい人口密度だ。行く先々におそるべき人たちが溢れている。天壇公園を歩くと、一瞬で、トランプゲームに興じる老人たちの姿を、千人単位で目撃できる。太極拳とか、なんかわからんダンスをしているおじさん、おばさんも山盛りいる。平日の午前という時間なのに。バスに乗ってちょっと郊外に行くと、その道々の路上でも、人が溢れかえっているのを、見る。どんだけあんたら、暇しているのか、とあきれる。
6年前、ジャ・ジャンクーの『世界』を見て、衝撃を受けた。絶対、今、北京を見てきたい、と思った。だから、いても立ってもいられず、見た翌々月には北京に足を踏み入れた。自分の目で刻々と移り変わる、今、この瞬間の中国を見たいと思った。冬の北京は予想以上に凄いところだった。空港に降り立った時から、帰りたいと思ったくらいだ。それでも5日間、自分の目で、足で、この街を散歩した。オリンピックを目前に控えたスクラップ&ビルドの凄まじさは先に書いた。前門周辺を歩きながら、こんなことがあっていいのか、と思った。同じ場所を今回もう一度歩いて、作られた綺麗な故同が嘘くさかった。しかし、その綺麗になった建物も、道路も、出来てまだ数年なのに、すでに少し薄汚れてきていて、もとの故同に戻りつつある。
今回の旅の目的は、オリンピック以降、落ち着いた街をもう一度歩いてみたいと思ったことだ。それと、前回は、行けなかったジャ・ジャンクーの『世界』で描かれた「世界公園」を実際に見てみたい、と思ったこと。あの嘘くさいテーマパークがあれから6年で、どうなっているのか、知りたかったのだ。
そこはなぜか、日本のガイドブックには載っていない。もちろん、いろいろ嘘情報(!)を満載した『地球の歩き方』(これに何度騙されたことか!)にも、この施設のことは一切載っていない。きっと日本人は行かない場所なのだろう。
前門からバスに乗って1時間ほどだった。華やかだったあの映画が嘘のような淋しいところだった。実際に行ってみて、予想通りの寂れ方に納得した。あの輝きが一瞬の後には、過去となる。そのことは、あの映画自身が暗示していたことだ。「北京に行って世界を見よう」というキャッチ・フレーズのもと、世界中の名所旧跡を10分の1スケールを基準にして、作り上げたレプリカの世界。そこで、中国の庶民が、世界一周を疑似体験するテーマパーク。ジャ・ジャンクーは田舎の両親を連れてきて、彼らを大喜びさせたらしい。そのことがきっかけとなり、あの映画を作った。しかし、映画の中で彼が描いたのは、明るい未来ではなく、やがて、この国は滅びていくのではないか、という不安だ。
凄まじい経済躍進により、高度成長を遂げる中国。都心部と地方との経済格差はどんどん広がる。しかも、都心部に於いても、富裕層と貧困層との落差は加速していく。一部の豊かな人たちだけが、生き残り、大多数の人たちは切り捨てられていく。ここでの暮らしは今後どうなっていくのだろうか。そんなことがとても気になった。たった数日間街を歩いたくらいで何も見えない。でも、頭で想像する以上に目で見ることは刺激的だ。いろんなことがリアルに実感できる。たとえそれが偏ったものであろうとも、である。それもまたひとつのリアルなのだから。
後日、ちゃんともう一度『世界』を見てみるつもりだ。その時、改めて感想を書く。
しかし、この北京では、表通りから一歩離れたら、昔ながらの街並みがあり、故同が時代に取り残されたまま残っている。もちろん、そんな裏通りもこれからどんどん破壊されていくことだろう。昔ながらの雑貨屋のあるエリアからほんの数十メートル先には大型ショッピングモールが存在する。中間がない。前門周辺の現状は凄まじい。6年前にここで見た瓦礫の街が、今も目に焼き付いて離れない。あのエリアは完全にリニューアルされていたが、なんだか痛々しかった。ここで住んでいた人たちはどうなったのだろう。
街を歩く。凄まじい人口密度だ。行く先々におそるべき人たちが溢れている。天壇公園を歩くと、一瞬で、トランプゲームに興じる老人たちの姿を、千人単位で目撃できる。太極拳とか、なんかわからんダンスをしているおじさん、おばさんも山盛りいる。平日の午前という時間なのに。バスに乗ってちょっと郊外に行くと、その道々の路上でも、人が溢れかえっているのを、見る。どんだけあんたら、暇しているのか、とあきれる。
6年前、ジャ・ジャンクーの『世界』を見て、衝撃を受けた。絶対、今、北京を見てきたい、と思った。だから、いても立ってもいられず、見た翌々月には北京に足を踏み入れた。自分の目で刻々と移り変わる、今、この瞬間の中国を見たいと思った。冬の北京は予想以上に凄いところだった。空港に降り立った時から、帰りたいと思ったくらいだ。それでも5日間、自分の目で、足で、この街を散歩した。オリンピックを目前に控えたスクラップ&ビルドの凄まじさは先に書いた。前門周辺を歩きながら、こんなことがあっていいのか、と思った。同じ場所を今回もう一度歩いて、作られた綺麗な故同が嘘くさかった。しかし、その綺麗になった建物も、道路も、出来てまだ数年なのに、すでに少し薄汚れてきていて、もとの故同に戻りつつある。
今回の旅の目的は、オリンピック以降、落ち着いた街をもう一度歩いてみたいと思ったことだ。それと、前回は、行けなかったジャ・ジャンクーの『世界』で描かれた「世界公園」を実際に見てみたい、と思ったこと。あの嘘くさいテーマパークがあれから6年で、どうなっているのか、知りたかったのだ。
そこはなぜか、日本のガイドブックには載っていない。もちろん、いろいろ嘘情報(!)を満載した『地球の歩き方』(これに何度騙されたことか!)にも、この施設のことは一切載っていない。きっと日本人は行かない場所なのだろう。
前門からバスに乗って1時間ほどだった。華やかだったあの映画が嘘のような淋しいところだった。実際に行ってみて、予想通りの寂れ方に納得した。あの輝きが一瞬の後には、過去となる。そのことは、あの映画自身が暗示していたことだ。「北京に行って世界を見よう」というキャッチ・フレーズのもと、世界中の名所旧跡を10分の1スケールを基準にして、作り上げたレプリカの世界。そこで、中国の庶民が、世界一周を疑似体験するテーマパーク。ジャ・ジャンクーは田舎の両親を連れてきて、彼らを大喜びさせたらしい。そのことがきっかけとなり、あの映画を作った。しかし、映画の中で彼が描いたのは、明るい未来ではなく、やがて、この国は滅びていくのではないか、という不安だ。
凄まじい経済躍進により、高度成長を遂げる中国。都心部と地方との経済格差はどんどん広がる。しかも、都心部に於いても、富裕層と貧困層との落差は加速していく。一部の豊かな人たちだけが、生き残り、大多数の人たちは切り捨てられていく。ここでの暮らしは今後どうなっていくのだろうか。そんなことがとても気になった。たった数日間街を歩いたくらいで何も見えない。でも、頭で想像する以上に目で見ることは刺激的だ。いろんなことがリアルに実感できる。たとえそれが偏ったものであろうとも、である。それもまたひとつのリアルなのだから。
後日、ちゃんともう一度『世界』を見てみるつもりだ。その時、改めて感想を書く。